2007年4月23日記述の過去ブログです。
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カミーユ・クローデルの逸話を聞いて以来、
ロダン展は必ず観ようと想っていました。
今朝は明日が自由な日であることもあって、余裕で早くに起きたし、
朝から準備完了して岩屋の兵庫県立美術館まで足を向ける。
着くと、結構空いていて、
会期中中日に来る利点を想う。いつも最終日ぎりぎりに行き、
混みすぎな状況が多いのを、反省。
やはり、観たいものは早めに計画的に行こう、と決心する。
ロダン展ポスター
入り口には大きな彫像をあしらった垂れ幕があって、
最近のこれが流行りなのか
美術展への期待を盛り上げる。
ロダン展垂れ幕
会場に入るとすぐに、
ロダンの愛人にして女弟子のカミーユの作ったロダンのブロンズ像、
そしてその隣には、ロダンの作ったカミーユの白い像がある。
ここで明らかなのは
カミーユは情と時間をたっぷり掛けて成形した丁寧なつくりの像を出しているのに
ロダンはさっと簡単に造った荒削りなカミーユ像が展示されている
これは
彼らの関係性を表しているようで興味深かった。
愛人として、またモデルとして、
才能溢れる彫刻家としてカミーユは
ロダンを魅了する。
彼女は人生と才能のすべてをロダンに捧げるが
「分別盛り」の作品で象徴されるように
彼の愛を喪う。
ロダンとカミーユのレクチャーをみてきました。
ロダンはすごく才能あるカミーユを愛していたのに結局は
自分につくすだけの人生を送ったローザと結婚する
そしてカミーユは絶望して30年余生を精神病院で過ごして死ぬんだ
いくら彼らの愛の記念碑的作品が後世に残されようと
結局は「つくす女」に愛においては敵わないんだ
カミーユの悲劇は彼女が死後与えられる栄誉を知らぬまま狂って死んでしまうことだ
捨てられてしまうことだ
愛の栄華があろうと、華やかな花火みたいな愛は永遠を与えられはしないんだ。。。。
(某掲示板の私自身の書き込みより)
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ロダン展で印象に残ったのは
「眠り」の、ポスターになってないほうの大理石像です。
なめらかで周囲に飾り彫りを刻んだ
幻想的で夢現のような静けさ。
ロダンの彫刻は、カミーユとの関係を刻んだ「ラ・パンセ」のように
沈思黙考を表す閉じた目のものが多い。
彼自身が「ひと」というものの内面に焦点をあて製作をし続けていた所為だろうか
女性の身体の美しいフォルムを堪能し
再認識する展示でもある
肉感を伴ったマッスが確かにそこに美を伴って存在する
美しい女体、というものへの意識がフォーカスする。
1時間ですべてを鑑賞し終わり、
レクチャーを見て美術館のレストランで食事。
ホタテの前菜が美味で、春野菜のベビーリーフが繊細な苦味を齎し
桜鯛のポワレのネギの食感を満喫する。
贅沢な美に溺れる1日を終え、
何故か満たされるよりカミーユの孤独と
製作によってしか報われない情動と
精神の不安定さに
すこし空寒さを感じ帰宅する。
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