時が来た時に向き合える | 八ヶ岳原村のヒプノセラピスト

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八ヶ岳の麓標高1400m自然の中でヒプノセラピー&知的障害の娘と農業をしながら暮らしています。移住4年目

ヒプノセラピー年齢退行での出来事

受講生同士の実技練習。

私がセラピーを受けているときにどうしても先に進めなくなり

途中で切り上げたセッションがありました。

 

潜在意識にはいると「目」がずっと私を監視しています。

その「目」が怖くて進むことができません。

 

そこで実技練習をストップしました。

 

もちろんきちんとセラピー的な処理をします。

中途半端にしては

意識に影響を与えてしまうので

 

時が来た時に向き合える

今はボックスに入れて鍵を閉めておきましょう。というように

きちんと処理をしてもらいました。

 

 

どんなに覚悟をしても

潜在意識は優秀なので

まだこのテーマに取り組むときではないと判断を下したのです

だから先に進むことはできなかったのですね

 

 

 

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モニターセッションを始めた時の大きな学び。

 

興味を示してくださった方に

 

色々な技法があってねというお話をしたとたんに

 

「見ない事、気が付かないようにすることで必死に自分を保っているのにパンドラの箱を開けてしまったらどうしてくれるんですか?」といわれたことがありました。

 

まだまだ学んだと言えど、

自分のものとして落とし込めていないときのことです。

 

 

この話を師匠に話した時。

 

 

セラピストが開けられるものではない。

自分で出すものは自分で受け入れられるものという意識を持ち、

自分で自分を救うという認識をしっかり持ってもらう事が大事。

 

 

クライアントにきちんと理解していただけるように

私たちセラピストが伝えられなくてはだめだよ。といわれました。

 

 

本当にその通りでした。

 

ヒプノを学び始めた時

こんなに素晴らしいものがある。

これでみんなを救ってあげることができる。

みんなを癒してあげることができる。という

 

大きな勘違いをし救ってあげよう。癒してあげよう。

エゴだらけの時。

 

変なエゴで接してしまっていたのです。

 

 

自分でしか自分を救うことはできない。

 

何度もその過程を経験をしてるのに

 

あーーー私って何様だったのだろうと反省しまくりました。

 

 

 

私がやっているのではない。

上がしていること。

そこに自我は必要ない。

 

師匠が常に言っている言葉です。

 

 

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ヒプノセラピーは乗り越えるという感覚で過去を見るというより

 

 

もう自分にこの意識は必要がない。

この意識を作り出した経験での感情。感覚から学び気付き。

感謝と共に手放していくものです。

 

その過程で大きな大きな愛を受け癒しがある。

 

 

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つい先日、

この 「目」が出てくるセッションの続きを見ることができました。

 

 

この「目」に関連する出来事を間接的に癒し続け、

たどり着いた時にはどうでもいい内容として

手放せるようになっていました。

 

 

直接この問題と向き合うにはまだ準備ができていない。

別のところを癒してからまた向き合ってごらん。

大丈夫だよ時が来れば手放せるから。

 

私の潜在意識が出した答え、見事なまでに

癒す順番をつけてくれたのです。