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酉あえす

乾杯の妖精?、酉あえすの、個人ブログ。
公式愛称「きつぼみ」。
検索ワードは「とりあえずね」。
アノドノレやってます。
[撮リア絵図音系列]

2023年11月17日、金曜日、LBS@MUSIC芸能・音楽事務所所属の城田一葉さんとロイヤルガードさん主催のアニソンライブイベントに出演します。

 

 

☆日時☆

2023年11月17日金曜日

18時30分開場

18時50分主催者挨拶

19時0分開始

21時0分頃終演、物販開始

21時20分物販終了

21時30分打ち上げ開始(別料金)

23時0分打ち上げ退出完了

 

☆場所☆

池袋ゲキパ

 

東京都豊島区南池袋1-25-12 プライムスクエア南池袋B1

 

池袋駅地下通路40番出口より徒歩およそ1分

池袋駅東口より徒歩およそ5分

 

ビッグエコーさんの地下です。

ビッグエコーさんの入り口を入って、すぐ左のエレベーターで地下1階までおいでください。

 

※池袋西口にGEKIBA(ゲキバ)という場所がございますがそこではありませんのでご注意下さい。

ゲキハ゛ではなく、ゲキハ゜、点々ではなく丸、濁音ではなく半濁音です。

 

☆入場料☆

2,500円~。(2,000円プラスワンドリンク)

打ち上げまで参加される方は、別途1,500円。

尚、打ち上げ時間については、飲食物持ち寄り制です。

 

☆出演☆

城田一葉 ( https://twitter.com/shirota_ra1 )

煉獄ロイ ( https://twitter.com/1st_roiyarugado )
工堂真由 ( https://twitter.com/kudomayo2017 )
りうる  ( https://twitter.com/Rika_rieul )
おおたにはるな  ( https://twitter.com/HarunaOotani )  
樹元文  ( https://twitter.com/bun_kimoto ) 

酉あえす

 

☆ご予約方法☆

https://y-studio.jimdofree.com/%E7%B7%8F%E5%90%88%E5%8F%97%E4%BB%98/

こちらの、LBS@MUSIC芸能・音楽事務所ホームページよりご予約下さい。

「メッセージ・お問い合わせ内容」欄に、「アニソンライブイベント2023一般参加希望」と明記し、上記出演者の中から、最も推したい1名の名前を併せて記入をお願いいたします。

酉あえす推しと書いて頂ければ大変ありがたいです。

 

ではでは、お楽しみに!。

ジェンダークラッシャー、略してJKと称しまして、性役割破壊、男女平等を訴えています。

ジェンダーの頭文字はGだろ、クラッシャーの頭文字はCだろというツッコミは無しでお願いします。それは英語の話、ここは日本です。

 

さて、2023年10月25日、最高裁判所は、性同一性障害特例法での性別変更の条件のひとつである、生殖不能要件を違憲と判断しました。一方で同じく条件のひとつである外観要件については、違憲とも合憲とも判断せず、高裁に差し戻して審理となりました。このことについて、ジェンダークラッシャーとして活動するにあたりどう扱うのか、気になる方もいると思います。

結論だけを先に言えば、主張してきました、性役割破壊や男女平等ということと、トランスジェンダーの性別変更は、全く別の問題であり、ジェンダークラッシャーとしましてはこの判断で何も変わるところはありません。

 

詳しく述べるにあたりまして、まずはこの最高裁の判断について説明いたします。

争われましたのは、性別違和により性別変更を申し立てる際の条件です。

現状、6つの条件があり、

1、性同一性障害者であり、その診断、治療の経過と結果について、厚労省が定めた事項が記載された診断書があること。

2、18歳以上であること。

3、配偶者がいないこと。

4、未成年の子どもがいないこと。

5、生殖機能がないか、永続的に欠いていること。

6、性器の見た目が、変更後の性別のものに近いこと。

 

法律原文ではなく、多少端折りましたが現状この6つの要件をすべて満たさないと、性別変更の申し立てができません。

正確に知りたい方は、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」で検索して頂ければと思います。

 

今回の裁判で争われたのは、上記の6つの条件の内、5と6。

これを満たすためには、精巣や卵巣の摘出、陰茎切除や陰茎形成の手術が必要となります。

解釈によっては、閉経後の女性とか、ホルモンの長期投与で精子量がゼロになった男性は、満たしていると主張できるかもないかもしれません。しかしなかなか難しいようで、5と6の条件を満たすには外科手術となることが大半なようです。

 

手術というと、リスクが大きく、確率は非常に低いながらも、麻酔から覚めなかったり障害が残ったり、感染症の危険もあります。また、コストもかかります。そんなものを強いるのは許されない、必要とは考えられない手術を受けなければ自認する性が認められないのは違憲である。そういう訴えがありました。そして最高裁の判断は、今までにないものでした。

5の生殖不能要件を違憲としたのです。

そして6の外観要件については、高裁差し戻しとなり、今後も継続して争われることになりました。当面は外観要件がある以上、手術の必要性は維持されてしまいますが、外観要件を合憲とは言い切らなかったのです。

 

ここでは、この判決への賛否は言いません。ただ、今までにない判断に、世の中も混乱気味だとは思います。それだけに、今ジェンダークラッシャーとして思うところを言わなければならない。

だって、陰茎や睾丸があって、それらが機能していても、女性は女性。卵巣や子宮があり、妊娠出産できる男性がいてよい。妊娠出産授乳、女性だけの役割ではない。これは究極のジェンダークラッシュです。

 

しかしながら、私が主張したいジェンダークラッシュとは異なります。

私がジェンダークラッシャーとしてぶち壊したいのは、性役割。女はこうあるべき、男はこうあるべきということの破壊。女なんだから料理や掃除が上手じゃないととか、そういう概念を徹底的に排除したい。

ただ、身体的特徴に対する区別は否定していないのです。衣服にメンズとレディースがあるのは、身体の形状の違いから当然のことであります。

 

セクシャルマイノリティー(性的少数者)とマジョリティー(多数者)が、分かり合い、共に活動し、社会を造っていくことは、とても大切なことです。

これはこれで、私も当事者として思うところはあります。

今後それは、ジェンダークラッシャーとは別のところで言いたいと思います。

 

ただジェンダークラッシャーとしての立場としては、性別とジェンダー(性役割)は、別物として扱いたいのです。重ねて議論した方がいい部分があるという声も理解しますが、男女平等、男女差別撤廃を1丁目1番地として主張したい。

男がスカートをはいたら白い目で見られるとか、女は職場でも化粧をすべきとか、こんなのは差別。教育や出世の機会など、まだまた平等でないところを是正したい。そのためには、家長制を引きずっている文化を破壊しなければならない。

そういう話に、セクシャルマイノリティーの問題まで持ち込んでしまっては、軸がぶれてしまうと考えています。

もちろん、それはそれで必要なこと。しかしまず、私がJKとしてやりたいのは、徹底的な性役割の破壊、男女平等の追求なのです。

2023年11月4日、土曜日、『ギグミュージックフェス』に出演いたします。

 

 

☆日時☆

2023年11月4日、土曜日

16時00分開場

16時30分開始

 

☆場所☆

池袋ゲキパ

 

東京都豊島区南池袋1-25-12 プライムスクエア南池袋B1

 

池袋駅地下通路40番出口より徒歩およそ1分

池袋駅東口より徒歩およそ5分

 

ビッグエコーさんの地下です。

ビッグエコーさんの入り口を入って、すぐ左のエレベーターで地下1階までおいでください。

 

※池袋西口にGEKIBA(ゲキバ)という場所がございますがそこではありませんのでご注意下さい。

ゲキハ゛ではなく、ゲキハ゜、点々ではなく丸、濁音ではなく半濁音です。

 

☆入場料☆

2,500円~。(2,000円プラスワンドリンク)

 

~出演~

TAKA

みぃみぃ

前ひろこ

カナリヤ

ちびデレラ千恵子

きぬか

七緒ひかり

酉あえす

チェリスQ

ナカハジメ

 

お楽しみに!。

人気ユーチューバーの宅建太郎さんより、2019年10月から11月に撮って頂いたインタビュー動画、コラボ動画を13本に分けてプレゼントして頂きました。

元々宅建太郎さんのチャンネルで公開されていましたが、彼のチャンネルからは落として、私のチャンネルで公開できるように宅建太郎チャンネルのオープニングなどはカットしたりして頂いたものです。

宅建太郎さんからは日頃より応援して頂いておりまして、私のYoutubeチャンネルが収益化できる再生時間に近付けるようにとの好意でございます。誕生日だからということではないとは思いますが、頂いたのは9月下旬でしたので、バースデープレゼント扱いさせて頂いて、この時期の公開といたしました。

 

私のリアルバースデーの10月16日を中心に、10日から22日まで、13日間、一本づつ公開いたします。

公開時刻は、私が生まれた時刻と聞かされている、午前11時23分とします。

2019年の撮影なので、室内の状況など、現在とは違っているところもございます。少し前のインビュー動画、楽しんでいただければ幸いです。

 

こちらからの公開です。

https://www.youtube.com/@toriaezune/videos

 

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宅建太郎さんのチャンネルも、是非行ってみてください。

宅建太郎CH

https://www.youtube.com/@ch1354

 

 

宅建太郎さんとのコラボ動画プレイリスト

https://www.youtube.com/playlist?list=PLEcqH5djJTLAuR0F_2TFbckSyPTYCdYrr

 

宅建太郎チャンネル様、ありがとうございます。

2023年10月20日、金曜日、『花のアル中トリオ年輪追加祝賀会』が行われます。

今年も誕生日イベントを企画して頂き、誠に嬉しい限りです。それも、なんと、花金の晩にでございます。

飲食物持ち寄り制の宴となります。是非是非、乾杯しましょう。

 

フライヤー作:チェリスQ

 

☆日時☆

2023年10月20日、金曜日

18時30分開場

19時00分開始

21時30分頃終了

 

☆場所☆

池袋ゲキパ

 

東京都豊島区南池袋1-25-12 プライムスクエア南池袋B1

 

池袋駅地下通路40番出口より徒歩およそ1分

池袋駅東口より徒歩およそ5分

 

ビッグエコーさんの地下です。

ビッグエコーさんの入り口を入って、すぐ左のエレベーターで地下1階までおいでください。

 

※池袋西口にGEKIBA(ゲキバ)という場所がございますがそこではありませんのでご注意下さい。

ゲキハ゛ではなく、ゲキハ゜、点々ではなく丸、濁音ではなく半濁音です。

 

☆入場料☆

2,000円。

飲食物は持ち寄り制となっております。ご自身が飲食される分はご用意してご入場ください。

差し入れ歓迎です。

 

☆花のアル中トリオ(五十音順)☆

如月柚憂(10/12で44歳)
しんぼぶちゃん(10/6で52歳)
酉あえす(10/16で46歳)

 

~主催~

あべまんじゅう

 

~形式&祝福パフォーマンスを希望される方へ~

呑み会です。途中で、雰囲気次第で、ゲームとか、ライブを入れるかもしれません。

祝福のパフォーマンスをしていただける方は、人数にもよりますが、できる限りできるようにする所存です。

音源を使用される方は、CDを用意して頂くか、携帯のイヤフォン出力から流せるようにしていただければ、対応可能です。

パフォーマンスにギャラはありません。告知ができる、フライヤーを配った場合の注目度が上がる、パフォーマンス自体が宣伝になる、ぐらいでご納得いただける場合のみでお願いいたします。もちろん、感謝の意は最大限伝えさせていただきます。

 

皆様、10/20、お楽しみに!。

2023年12月17日(日曜日)、LBS@MUSIC芸能・音楽事務所主催クリスマスイベント内のショート演劇『平和通りの真里愛様』に出演いたします。

 

こちら、第一報として発信させていただいておりますが、詳細未定でございます。

事務所より発表があり次第、確定情報に更新させていただきます。

 

☆日時☆

2023年12月17日(日曜日)(日にちは所属者が告知しているので確定)

時間は、12時~15時あたりになる見込み。

 

☆場所☆

池袋東口ゲキパ(ゲキパHPのスケジュール情報で確認)


東京都豊島区南池袋1-25-12 プライムスクエア南池袋B1

 

池袋駅地下通路40番出口より徒歩およそ1分
池袋駅東口より徒歩およそ5分

ビッグエコーさんの地下です。

ビッグエコーさんの入り口を入って、すぐ左のエレベーターで地下1階までおいでください。

 ※池袋西口にGEKIBA(ゲキバ)という場所がございますがそこではありませんのでご注意下さい。
ゲキハ゛ではなく、ゲキハ゜、点々ではなく丸、濁音ではなく半濁音です。

 

☆入場料☆

未定ですが、昨年のクリスマスイベントは2,500円プラスワンドリンクでした。

 

☆出演☆

こちらの写真が所属者が所属者より公開されているので、ここに写っている人と、あと、『平和通りの真里愛様』の主役は、確定として言ってもいいと判断しました。

 

防犯ワンポイントショート演劇『平和通りの真里愛様』の出演者は、五十音順に、

晶SUN

宇崎真里愛

城田一葉

酉あえす

藤崎絢

他。

 

『平和通りの真里愛様』のショート演劇以外何があるのかや、その出演者は、私も分かりません。

 

☆ご予約方法☆

詳細決定後、事務所のサイトで予約フォームが用意されると思います。

私が申し込みを預かることも可能ですが、さすがに開演時間や入場料が確定しないままで予約開始はできませんので、いましばらくお待ち願います。

 

☆お楽しみに☆

少しでも早くお知らせしたくて、フライイング気味ですが、このイベントにつきましては、今後も敏感に、少しでも踏み込んで情報を発信していきたいと思います。

12月17日の昼、空けておいていただければ幸いです。

私の履歴書的なものをアップします。

履歴書には書かないようなこともたくさん入っていますが。

今回書くのは、学歴、職歴、転居歴、ライフイベントなどで、芸歴や出演歴は書きません。

また、具体的な学校名や会社名は伏せさせていただきます。

 

1977年(昭和52年)10月(0歳):東京都杉並区に生まれる。父の勤務先の社宅でした。

 

1981年(昭和56年)4月(3歳):父の転勤に伴い大阪府箕面市に転居。

 

1982年(昭和57年)4月(4歳):大阪府箕面市の私立の幼稚園に入園。

 

1984年(昭和59年)3月(6歳):同幼稚園卒業。

 

1984年(昭和59年)3月(6歳):空手を習い始める。あと、いつからだったかはっきりしないが、おそらくこの少し前から英会話教室に通い始める。

 

1984年(昭和59年)4月(6歳):大阪府箕面市の公立小学校に入学。小学校での部活は、4年生時陸上部、5年生6年生時手話部でした。

 

1990年(平成2年)3月(12歳):同小学校卒業。

 

1990年(平成2年)4月(12歳):大阪府箕面市の公立中学校に入学。部活は英語部。

 

1991年(平成3年)3月(13歳):東京都三鷹市の祖母の家にお世話になる。次の春に父が東京に転勤となる見込みだが、その時期の転校では受験に不利になる可能性があるからと、父のみが1年大阪に残った。この転居時に、英会話と空手の習い事は辞めた。

 

1991年(平成3年)4月(13歳):東京都三鷹市の公立中学校に転校。部活は演劇部。

 

1991年(平成3年)5月と思う(13歳):進学塾Rに通い始める。

 

1992年(平成4年)2月(14歳):実用英語技能検定(英検)4級合格。

 

1992年(平成4年)4月(14歳):父の転勤で私以外の家族は東京都杉並区へ転居。私は1年間祖母とのふたり暮らし。

 

1993年(平成5年)2月(15歳):進学塾R卒業。

 

1993年(平成5年)3月(15歳):東京都三鷹市の公立中学校卒業。卒業と同時に東京都杉並区に転居。

 

1993年(平成5年)4月(15歳):東京都板橋区にある、私立の工業大学付属高校に入学。得意科目の配点比率が高かったため滑り込めたものと思います(英語国語100点満点に対して数学は150点満点)。クラブには入らず、3年間マイコン同好会に所属。

 

1993年(平成5年)12月(16歳):実用英語技能検定(英検)3級合格。

 

1994年(平成6年)4月(16歳):親が埼玉県にマイホームを購入したことにより、親の社宅より転居。

 

1996年(平成8年)2月(18歳):埼玉県上尾市のガソリンスタンドでアルバイトに就く。高校はバイト禁止でしたが、卒業見込みで進路決定後はアルバイトOKとなるルールでした。

 

1996年(平成8年)3月(18歳):高校卒業。

 

1996年(平成8年)4月(18歳):私立の工業大学の工学部工業経営学科に入学。クラブや同好会には所属しなかった。

 

1997年(平成9年)11月(20歳):ガソリンスタンドのアルバイトを辞める。

 

1997年(平成9年)12月(20歳):埼玉県桶川市のうどん屋でアルバイトに就く。

 

2000年(平成12年)2月(22歳):うどん屋のアルバイトを辞める。

 

2000年(平成12年)3月(22歳):私立の工業大学卒業。

 

2000年(平成12年)4月(22歳):N株式会社に正社員として入社。プラスチック成型化工の会社、大学卒業後に、新聞の折り込み広告から応募しました。製造部に所属。

 

2000年(平成12年)6月(22歳):中学校教諭1種免許(数学)、高等学校教諭1種免許(数学・工業)授与される。通常は卒業と同時に授与されるように、大学に申請するのですが、卒業見込みがほぼないと判断して、申請しませんでした。なので、後で個人で申請した形です。卒業できたのは、教授の温情です。

 

2001年(平成13年)3月(23歳):製造部から総務部に異動。

 

2001年(平成13年)10月(24歳):一身上の都合により、N株式会社退社。事実上のクビでした。

 

2001年(平成13年)12月(24歳):個人のホームページでアフィリエイト広告掲載開始、副収入を狙う。ホームページは平成11年頃に一応作り上げていましたが、副収入を狙うのは初めてのことでした。このホームページは現在ありません。

 

2001年(平成13年)12月(24歳):ハローワークの求人から応募し、株式会社Bに契約社員として入社。自動車部品製造工場に派遣される。

 

2002年(平成14年)8月(24歳):個人のホームページで、ウェブ投げ銭の受付を始める。

 

2004年(平成16年)10~11月(27歳):会社都合で、株式会社Bから株式会社Oへ会社都合で転籍。勤務場所と勤務内容は同一。

 

2008年(平成20年)4月(30歳):株式会社Oの契約社員から正社員となる。

 

2009年(平成21年)5~6月(31歳):会社都合で、株式会社Oから株式会社Bへ会社都合で転籍。勤務場所と勤務内容は同一。

 

2009年(平成21年)11月(32歳):株式会社Bの契約社員から正社員となる。

 

2010年(平成22年)6月(32歳):日本商工会議所簿記検定3級合、秘書技能検定試験3級、秘書技能検定試験2級合格。

 

2010年(平成22年)11月(33歳):喉仏を目立たなくする美容整形手術(甲状軟骨削り)を受ける。

 

2012年(平成24年)3月(34歳):このブログ(当時の名前水鏡煌螺)でアフィリエイト広告掲載開始。

 

2012年(平成24年)11月(35歳):株式会社Bの正社員から契約社員となる。繰り返し退社希望を出していて、望んでの降格。

 

2012年(平成24年)11月(35歳):株式会社B退社。退社願いに対して説得し続けてくれて、生産減で人員整理やむなしの局面で会社都合としてくれたところ、経営陣は私のことを大切に思ってくれていたんだなと思います。終盤は病んでろくに仕事できなかったが、所属会社は変われど同じ上司の下で10年勤務したことで、情をかけていただいた形。

 

2013年(平成25年)3月(35歳):ハローワークの求人から応募し、株式会社F入社。

 

2013年(平成25年)3月(35歳):中学校教諭1種免許と高等学校教諭1種免許の更新講習修了確認期限。更新講習を受けるには、現役教員でなければならず、私は対象外でした。教員に就くことになれば直ちに更新講習を受けられるという形。更新講習を受けていないだけで、教員免許失効ではないため、履歴書には「更新講習未受講」と書き加えれば書けます。

 

2013年(平成25年)4月(35歳):株式会社Fより、試用期間後雇用を続けられる見込みがないことを告げられ、就職活動の開始を勧められる。

 

2013年(平成25年)4月(35歳):Y放送局に、タレントとして所属。

 

2013年(平成25年)5月(35歳):株式会社F試用期間満了を持って退社。

 

2013年(平成25年)7月(35歳):土木業がメインのスポットワーク開始

 

2013年(平成25年)10月(36歳):Y放送局の所属から外れる。

 

2013年(平成25年)11月(36歳):S株式会社入社。

 

2014年(平成26年)2月(36歳):S株式会社退社。給料3か月近く未払いで社長に逃げられた。

 

2014年(平成26年)3月(36歳):本籍地を実家からアパートの所在地に移す。

 

2014年(平成26年)6月(36歳):区役所に願い出て、名前の読み方を変更。

 

2015年(平成27年)3月(37歳):家庭裁判所に名前の漢字表記の変更を申し立てるが、見込みがないとして取り下げを迫られた。書記官が言うには、却下の判決が出ると、今後再び申し立てた時に改名許可が出にくくなるから、今は取り下げて使用実績を積み上げる時とのこと。

 

2015年(平成27年)5月(37歳):解体業メインで働き始める。交通費や工具代を経費にできるよう、個人事業という形をとっていた。

 

2015年(平成27年)12月(38歳):転落事故で入院する。

 

2016年(平成28年)5月(38歳):ポスティングの仕事をする。合わずに1か月未満で離れる。

 

2016年(平成28年)6月(38歳):工場や倉庫などメインの日雇いで働き始める。

 

2016年(平成28年)6月(38歳):サパーB入店。

 

2016年(平成28年)8月(38歳):借金の法的処理に向けて、法テラスを通じて相談を始める。

 

2017年(平成29年)6月(39歳):サパーB退店。以後は、ほぼ工場や倉庫などでの日雇いのみで生活。

 

2017年(平成29年)11月(40歳):裁判所に代理人(弁護士)が私の自己破産を申し立て。相談開始から時間がかかったのは、破産管財人に支払う費用を貯める必要があったため。

 

2018年(平成30年)2月(40歳):破産が認められ、同時に免責許可がおりる。

 

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現在2023年9月。5年半、生活面で変化らしい変化はないです。振り返ってみて、まとめてみて驚きました。

YoutubeやX収益化とかなれば、履歴に加えられるのでしょうけれど。

頑張ります。

活動歴については、また今度書いてみたいと思います。

アメーバブログを始めて、11年半、環境も変わりましたし、活動名も何度も変わりました。

名前をコロコロ変えるというのは、いい印象を持たれないことは承知していますが、最近は活動のチャンスを広げるための改善を目的にしたものが多いです。

 

まずは、簡単に現在の活動名「酉あえす」を含む7つの名前を、使用期間とひとこと変更理由を添えて列挙いたします。

2012年1月~「水鏡煌螺」/2013年4月、芸能事務所所属により改名。

2013年4月~「ぱじゃま☆きらら」/2013年10月、芸能事務所退所により使用を控える。

2013年11月~「とりあえずね、煌螺。」/2015年12月、煌螺を本名にしたいと考えだし、芸名に含めるのが不安になり改名。

2015年12月~「とりあえずね、帰蕾。」/2016年9月、ブログ上で句読点と名前の文字が見分けづらいため改変。

2016年10月~「とりあえずね丶帰蕾〇」/2019年9月、奇抜な芸名がクレジット使用に難色を示される場合があるため改名。

2019年7月~「酉饗綺羅々」/2021年5月、イベント関係者などに、名前入力時の単漢字変換で負荷をかけているために改名。

2021年5月~「酉あえす」

 

では、それぞれ、改名時の心境とか、状況について話していきたいと思います。

水鏡煌螺、これはブログスタートの名前です。

2009年、私は当時会社勤めでしたが、職場でも家庭でもうまくいっていなくて、当時すでに酒におぼれていました。

当時行きつけのスナックで隣に座った方から名前を聞かれました。

大浦ですと言いましたけれど、下の名前を聞かれました。嘘でもいいからと言われ、咄嗟に、大浦の浦をとって、うららと呼んでくださいと言いました。嘘でもいいからとは、女装者で男性名は言いたくないだろうと気を使ってくれたのだと思います。

それからおよそ3か月後、その店では、なぜかうららがきららに変わっていました。覚え間違いだと思います。隣の店では、なぜかうらこに変わっていました。

一番よく行く店できららになっていたこと、そして私自身、うらら、きらら、うらこの中で一番気に入ったのがきららであったことから、その後源氏名のような感覚で酒処ではきららを名乗るようになっていました。

ブログを始めたきっかけは、その、一時うらこになっていた隣の店の夜のママ(昼は別のママがやっていた)のアメーバブログを2011年秋に見てからです。性別欄に、「女性に近い」とあったのです。こういう柔軟な表記ができるブログがあったのか、ならブログ始めてみようかと。

ちなみに、そこのママさんは、疑いようもなく女性です。魔女設定のため、人間の女性とはちょっと違うという意味合いを込めてのこの表現だと思います。で、私もアメーバブログを始めまして、性別は、オンナのつもりとしました。

その際、名前にも苗字っぽいものをつけたいなと感じて、ドラゴンクエストの水鏡の盾より取りました。攻撃を受け止めるのではなく受け流すという発想にはまっていて、しかもそれが、尋常でない守備力を誇っている。職場や家庭でのダメージを受け止めきれずに、酒処に溺れる自分が欲しがっているものと重ねていたのだろうと思います。

かくして、水鏡煌螺でブログはスタートしました。

 

やがて耐え切れなくなり、2012年年末を持って務めていた会社を辞めました。就活は難航し、やっと決まった会社からも試用期間で解雇する旨を伝えられました。ひと月以上前に予告してくださり、就活始めるよう勧められました。その時期です。芸能事務所の代表から、うちでタレントやらないかと声を掛けていただいたのは。この時期に全く未知の世界から声がかかるのも何かの縁。やってみることにしました。

で、活動名を考えることになったのですが、検索したら他に有力候補が引っ掛からない名前を勧められました。そこで、私が呑み歩く際に、パジャマで行くことが多かったことから、バジャマキララにとしました。

当時の事務所書類などでの正式名は「ぱじゃま☆きらら」でしたけれど、検索して頂く名前をお伝えする時は、全てカタカナで「パジャマキララ」と言っていました。

 

この事務所の所属からは、半年で抜けさせてもらうことになります。円満に離れましたし、おそらく事務所所属時代の名前を使用し続けていても、咎められることはなかっただろうなとは思っています。しかしそこは慎重に、あるいは混乱を避けるためにも、この名前は変えるべきだとは思いました。

水鏡煌螺に戻すという手もあったのですが、より呑み歩きキャラを出したいと、「とりあえずビール」のノリを入れることにしました。何かにつけて、一番先に思い出していただける存在を目指してという意味で、「とりあえず煌螺」。事務所所属時代はタレントでしたけれど、この後はアイドルをイメージしていました。ステージで歌ったりする予定はなかったですけれど、どのみち生活に余裕がなく、実際の活動などどの分野でもほとんどできないのだし、ブログアイドル、メルマガアイドル、みたいなのがあってもいいだろうと思い、よりかわいらしいイメージがあるアイドルということでいこうとしたところです。

さて、検索を試してしてみましたら、「とりあえず」ではどんなワードをつけても様々なヒット対象があるけれど、「とりあえずね」ならだいぶ違う様子。また、句読点を付けた方がアイドルの名前っぽくないかと思考暴走しました。

それで、事務所から離れた後は、「とりあえずね、煌螺。」を使いました。

 

2年ほどこの名前を使いました。

しかし、これまでは源氏名だったり芸名といった形の煌螺ですが、いずれ本名を改名して煌螺を本名にしたいと思うようになりました。であれば、最前線に本名を置くのには不安を感じました。煌螺は本名として大事に使うとして、芸名は別の名前にしたい。

それで思い付いたのが、帰蕾(きらい)でした。自分のことが好きになれないのならば、蕾に帰って自分が好きな色形に咲き直せばいい、そんな願いを込めていました。また、きららと音が似ているため、受け入れていただきやすいとも思いました。

 

「とりあえずね、帰蕾。」、この名前を使っていたのは10か月ほど。今更ながら、ブログで自分の名前を書くときに、名前の一部として使っている「、」と「。」、それと文章の中での句読点がややこしいと感じるようになり、文章も書きづらさを覚えることがたびたび出てきました。それで、ギャル文字の発想から句読点を大きくすることにしました。

「とりあえずね丶帰蕾〇」。「丶」は、環境によっては打てないこともあり、別の文字を使う事はありますが、選べるときは「ちゅう」と読む漢字を使っていました。「〇」は、記号だと環境によって大きさとかが大きく異なるので、漢数字を使っていたような気がします。

この名前を使い始めてから2年、「とりあえずね、帰蕾。」からは3年近く経った1018年10月、「きつぼみ」を公式愛称としました。さすがに、ライブの場などでコールしようとしたときに、嫌いと同じ音であるキライとは応援してくださっている皆様は言いにくいだろうと。

 

検索ワードは「とりあえずね」、愛称は「きつぼみ」。この「とりあえずね丶帰蕾〇」、大変気に入っていたのですが、とある作品にエキストラで出られるという話になった時に、この目立つ名前は使えないということになりました。エキストラとかいわゆるチョイ役で、名前で周りを食ってしまうようなものがよろしくないことは容易に想像できます。

アイドルには人名っぽくない名前の方も少なくないので、アイドルライブなどを主戦場とするならば、この名前でもよかったかもしれませんが、役者とか声優とかにも幅を広げていきたいなら、当たり障りのない活動名にした方がよさそうです。

「とりあえずね」、これは名前として奇抜です。で、漢和辞典を眺めていた時、「饗」が「あえす」と読むことに気付いて、これは使わない手はないと感じました。酒で盛り上がる祭りの意味がある「饗」、イメージにピッタリです。「とり」は、「鳥」や「鶏」よりも、めでたく華やかなイメージを受ける「酉」にしました。

 

酉饗は決まったとして、それに続く名前、そこには圧力がありました。

「きらら」を使うべきだ。テレビでもきららと紹介されて、みんなその名前で知っていて、その名前で検索をかけるのに、なぜ違う名前でやっているのかと。私のためを思って、良かれと思っての声であることは分かります。しかし私は、抗っていました。

きららは本名として大切にしたい名前。フジテレビのドキュメンタリー番組に出させていただいた時期は、活動名「とりあえずね、帰蕾。」でした。これは想像ですが、本名の読み方を「きらら」に変更したことにスポットをを当てて伝えるために、私のことは芸名ではなくきららで統一したのだと思います。これは自然なことだと思います。そこに不満不服は一切ありません。

それはそれとして、テレビで知られたからという理由で、これまでの姿勢を変えて活動名を決めることには疑問を感じていました。むしろ、今後の活動によって、活動名の方を知って頂けるようにすべきなのではと。

それに、「帰蕾」をとても気に入っていました。

しかし、あまりに「きらら」を名乗らないなんてという声が根強く、屈することになりました。どうしても本名としたい名前を使いたくないのであれば、漢字を変えたらという声に妥協しました。

その字を選ぶのも、ひと悶着あるのですが、今回はそれは省きます。

変えるときにスパっと切り替えずに、2か月ほどかけて緩やかにシフトさせているのも、「きらら」の音に対する抵抗と「帰蕾」への愛着が一因かもしれません。

 

「酉饗綺羅々」、しばらく使っていましたが、一文字一文字単漢字変換で、入力が大変と言われました。ツイッター(当時の名称)で告知する時とか、作品に名前を入れる時に面倒だと。

イベントに呼んでくださる、企画で使ってくださる方に、このような思いをさせるのは申し訳ない。告知に手数を取らせてしまう名前のせいで、活動の機会や宣伝して頂ける回数が減ってしまうこと、ないとは限らない。これは改善しなければと思いました。

使い続けても一向にしっくりこないきららの音、これは外そう。ちょうどひと文字ひと文字単漢字変換を強いる部分ですから。「饗」も変換が大変だから、ひらがなで。

「酉あえす」。4文字で長さ的にもちょうどいいし、入力も難しくないしと、これにしました。

当初は切れ目は考えてなかったですけれど、「酉 あえす」と、苗字と名前という感じで捉えてくれる方もいらっしゃいまして、「とりさん」、「あえすさん」と呼ばれることも次第に多くなってきました。公式見解は出していないですが、その方がいいかななんて思っているところです。

名前は「酉 あえす」、検索ワードは「とりあえずね」、これが現在です。

そういえば、公式愛称は「きつぼみ」と告知したままになっていますが、こう呼んでくれる方は現在いません。そろそろ、廃止告知した方がいいのか、あえてしなくてもいいのか。「きらら」と呼ばれることが多いので、事実上愛称は「きらら」ですね。

愛称のような位置付けなら、自分の中でもOKです。皆様には、呼びやすいように呼んでいただければと思います。

TBSより2017年の年末に放送された、『人生逆転バトルカイジ』

この中で、「平凡に生きられればそれでいいかな」と私は発言しています。

 

 

平凡に生きたいという人が、なぜ地下アイドル、人気商売をやっているのか釈然としないといった反応を当時見かけましたので、この言葉の気持ちについて、今回はお話ししたいと思います。

平凡に生きるというのは、そこまで裕福でなくても、衣食住にさほど困らない生活がしたいという意味合いが強いということが、まずあります。また、家庭を持ち一家を支えるのに十分と言える収入と現実的に目指せるところの中間点当たりの数字として、年収450万円ぐらいいきたいなと漠然とこの頃は思っていました。この数字ついて、今の私の考えは全然違いますけれど。

 

しかし、衣食住の元手となる、仕事に就くことがとても難しい。当時の私の感覚では、好きなことをしているという認識はなく、これしか選択肢がないから、適性がないのも痛々しいのも承知でしがみついている、というのが本音でした。

フジテレビの『だから、アイドル。TOKYO 不思議の街の住人たち』で言っていたこととはイメージが違うと感じられたと思いますが、あの頃(2015年11月~2016年6月)とは感じ方が変わっているところもありますし、違う方向から見ての言葉であるところもあり、どちらも本心です。ここは後で書くことにして、いったん置いておきます。

 

2013年年明け、ハローワーク中心に就活するも全然決まらずに、途方に暮れていたところ、とある芸能事務所と出会いました。タレントとしての活動では、光を見ることはありませんでしたが、つまり全くお金になりませんでしたが、様々な方がいる場所で、土建業の仕事がある事務所につないでくれる方がいたり、2016年に職に困っていた時には、この事務所の役員からスポットワークについて教えてもらったりできました。

また、更にその後の話ですが、人気商売の場にいると、ネットワークビジネス、仮想通貨、クラウドファンディングといった先駆的な分野について見聞きする機会も増えています。

会社員として挫折して、こちらの道には絶望している私にとって、経験できなかった形態のものを多く見ることができて、これからも視界を広げていきたいと思っています。視界が広がれば、チャンスも広がる。そのためには、痛々しいと分かっていても、しがみつく。半分というか、大部分病んでいた当時の考えで、今は悲壮感ゼロですけれどもね。

だけど、会社員として出世を目指す以外の道を、偏見なく、リアリティーを持って見られる場所、その場所にしがみつくことが、平凡に生きる、すなわち衣食住に困窮しない生活を志すきっかけを得るための行動!。

これが、このタイトル『地下アイドルが「平凡に生きられればそれでいいかな」』に対する答えです。

 

さてと、今回のブログは、結論を出した時点で終われない。

「ここは後で書くことにして、いったん置いておきます。」と言った事柄がありますからね。

適性がない、痛々しいと思いながらも、平凡に生きるためのきっかけを求めて地下アイドルにしがみついていた当時。しかし、フジテレビの『だから、アイドル。TOKYO 不思議の街の住人たち』では、地下アイドルの土俵に上がれたこと、アイドル仲間として共演者から見て頂いたことに、満面の笑みで喜びを示していた。

この喜びは、女性アイドルとして接して頂いている点と、アイドルライブという未経験の場に立てた新鮮さ、そしてかつて、会社の宴会の余興で仮装して目立つことが快感だった記憶があります。会社の宴会で女装して、少しでも女性として扱って頂けたら嬉しかった。それが、会社内という枠を飛び出して、メンズアイドルではなく女性アイドルの土俵に立たせていただいている。共演者さんにも仲間と見て頂いている。感無量だったし幸せなひと時でした。

それと2015年当時、私はナンチャッテアイドルで、アイドル活動何もしていないのに、口だけでアイドル名乗っていました。それが、口先だけで全くステージ経験がない私に、出演を打診してきてくれて、暖かく迎えていただいた。女性として接して頂いているという要素を除いても、大変喜ばしいことです。更に、視界を広げたいという目指すところにも合致しています。それがあの、満面の笑みです。

 

だけれども、今まで会社の宴会の余興で歌っていた程度、創作力などは乏しいので、すぐにネタが尽きます。日々の生活も苦しかったし、明らかに向いていない土建業で身体はくたくたで、更に気持ち病み気味で、ネタ作りはままならない状態に。元々の経験値に低さもあり、苦しむことになります。明らかに私の姿勢が甘いとは思います。でも、ここで撤退してしまっては、出会いの機会、視界を広げる機会を失ってしまう。何としても、しがみつくしかない。この時期を乗り越えて出した答えは、痛々しさに全振りするというものでした。

「平凡に生きられればそれでいいかな」なんて言っていた頃、詩人アイドルネタ切れを受けて、痛々しさ全開で踏みとどまろうとしていたんです。

平凡な、すなわち衣食住困らない生活を求めて。

 

最後に、就活への挫折がある意味始まりでしたけれど、この挫折は無意味ではなかった。

その思いを叩きつけたのが、オリジナル曲の「でもしかアイドル」でした。

 

呆れますよね。

応援して頂いている皆様、ガッカリさせていたらごめんなさい。

 

「調子に乗っているからこそ、今しかないでしょ。挑戦的なことをするの。それで、落ちたら落ちたでしょうがない。けど、今の時期に調子に乗れなかった言い訳みたいなことをつくりたくない。」

これは、週刊女性プライムであげて頂いた記事( https://www.jprime.jp/articles/-/29274 )の書き出しでありますが、今回はこの発言を振り返りながら、真意を語らせていただきたいと思います。

 

冒頭の発言をしたのは、フジテレビの『ザ・ノンフィクション~しっくりくる生き方~』の取材を受けていた時の発言です。2016年の年末でした。

当時働いていたショーパブ(店名は伏せさせていただきます)とは距離を置きたい、その理由として、ブログアクセスなどが伸びているので、ショーパブでの勤務は減らしてもっとブログに注力したいという話をしたところ、聞き手の方より、調子に乗ってないですかと問われました。それへの応答です。

 

まず、調子に乗ってるという声は、自然なものだと思います。ブログアクセスが伸びたのは、2016年に放送された、同じフジテレビの『だから、アイドル。TOKYO 不思議の街の住人たち』のおかげ。そして、働いているショーパブも、事故で働けなくなった後やっと見つけた職場、更に精神的におかしくなり無断欠勤もしてご迷惑をかけ、辞めようとしたにも関わらず、続けてほしいと言って頂いた店。

ちょっとテレビで追い風が吹いたからと言って、店と距離を置きたいなどというのは、天狗になっていると思われて当たり前だと思います。

ちなみに、店はサパーでしたけれど、ここでは視聴者さんのイメージにより合致する表現かなと私の独断でショーパブと書かせていただいています。

 

しかし、ここで申し上げた理由は、みっつあった理由の内のひとつでしかありませんでした。みっつの内、圧倒的に大きなウェイトを占めていたのは、仕事がきつい、合っていない、無理という気持ちでした。ザ・ノンフィクションの番組内では、胃に穴が開くような思いをしながらでもやるのが仕事と言っていましたが、それでも無理なものは無理でした。

では、取材に対して嘘をついたのか。話したことも理由のひとつではあったので、嘘をついたとまではいかないでしょうが、本心を隠した点は間違いありません。ただ、これは当時言うべきではなかったと思います。

 

店は、フジテレビの取材に快く協力してくれました。ところが、合わない、きついと言っているところが放送されたら、店のイメージを悪くしてしまうかもしれません。辞めたいと思う気持ちもありましたけれど、協力して頂いていて、放送時にはもう辞めていた、あるいは放送後すぐ、翌月あたりには辞めていたというわけにはいかないと思いました。

放送後しばらくは在籍する、それなのに、合わない、きついとテレビで発信する、それはあまりに仲間に対してひどい仕打ちですし、自分も居辛くなりますから。

 

具体的にどこがきつかったか。まずは、ダンスです。

私、リズム感が全くないことを痛感させられました。音に合わせて足を上げる動作ひとつとっても、ずれていると言われ続ける。

また、ダンスの動きを覚えるにしても、他の方はみんな踊っている方の映像を見てコピーしていました。私は、何十回見ても、スローで見ても、動きを取り込めませんでした。何とか少しでもと動きを文字でメモしたこともありましたが、逆に文字化しても仕方がない、見て覚えるんだと叱られ、絶望しました。

音に合わせて、動けば指導ができるけれど、動かなければ始まらないと言われても、本当にどこをどう動かしていいのか全然分からない状態。

店は悪くありません。私の姿勢とセンスの問題であることは明らかです。ダンス経験がない方でも、他の方は上達していっています。面接もあったし、1日ほぼ見学状態の体験入店も経ていますから、ダンスや芸の出来次第で、1本ウン万~十ウン万のシャンパンの注文が入るかどうかを分ける世界であることは知って入りました。

気合も根性も足りない、それはそのとおりですが、私は、ダンスに接することがとてつもない苦痛になっていました。

 

それと、お酒の影響も大きかったです。一晩中朝まで呑んで、次の日の出勤時まで酒が残っていることも珍しくありませんでした。私も、お酒は弱くはない、むしろ強いつもりでしたけれど、一般的な酒に強いというレベルと、歌舞伎町の住人の酒に強いというレベルは全く異なります。将棋でアマ4段とプロ4段が勝負にならない感覚でしょうか。

24時間酒が抜けない状態の中で、ダンスに取り組む、一発芸に取り組む、無理と思わざるを得ませんでした。

もちろん、酒をたくさん呑む職場ということは、面接や体験入店で分かっていましたし、強くないなりにかわす技量をつけられない、むしろ自ら酔いに行くような行動さえとってしまう私が悪いことですが、アルコールの虜の私にはちょっと無理かなと思いました。

 

では、なぜ入店したか。

転落事故で粉砕骨折してから仕事がなかった中、やっと就けたポスティングもまともな収益にならず、そんな中、採用通知出していただいたら、どこでもという気持ちでしたから。一週間後の食費もない状態で、選べる状況ではありませんでした。それに、今までだって、2013年就活に行き詰った時は、芸能事務所からの誘いを受けてここで頑張ろうと思ったり、土木建築解体といった明らかに適性がないし経験がない仕事でも食いつないできました。ショーパブでも、適性はなくても頑張れるかもしれない、そんな気持ちでした。

ですが、土木建築解体は、ケガで不可能になるまで大丈夫でしたけれど、ショーパブは、無理でした。

ひとまず、週1~2回出勤にすれば、ダンスショーの時間のダンスメンバーにはなれないから、逃げる目的で出勤日数を減らす、それが距離を置くという言葉の本音でした。これは、2016年当時話せないこと。ダンス頑張っているメンバー、教えてくれていたメンバーと顔合わせるのが気まずくなりますから。

取材は尋問ではないのです。不利になることは言わなくていい。また、店批判と誤解されかねないことを言わないのは、当たり前の大人の対応だと今でも思っています。

では今なら言っていいのか。

6年半経ってますし、切り取りや編集なく私の言葉で書ける場所ですので店批判と取られることはないでしょうし、問題ないと思います。

 

その苦しい気持であった時、倉庫、製本、食品など複数の業種が年末に向けて繁忙期に入り、日雇いの深夜手当込みの時給が1,700円に達するところもありました。繁忙期が終わり、時給が下がったとしても、こちらの仕事の方が私には合っているし、一日中酒が残っている状態では取り組むのが難しいブログも書きやすくなる。

 

ショーパブと距離を置いた、つまり出勤日を週1にした理由は、ウエイトの大きい順に、以下のとおりです。

1、ダンスやお酒が合わなくて、ついていけなかった。

2、倉庫や工場での勤務の方が合っていた。

3、ブログに注力できる環境が欲しかった。

そもそも、ショーパブで続けていこうという気持ちだったなら、恩もあるし頑張ったはずです。次に、生活が苦しい中、収入のめどが立っていなければ、ショーパブと距離を置くという決断は難しかったと思います。このふたつの理由が前にあって、はじめてブログに力を注げる環境が考えられるのです。

 

店には、生活が苦しく、自分は客も呼べていない(歩合給がない)中で、倉庫の夜勤などの方が時給がよく、そちらを中心にやりたいという言い方をしました。レギュラーもいますが、本業が別にあり週1~週2で働くスタッフもいます。

店長は、より稼げるところがあるならそちらを中心に考えるのは自然なことと理解を示してくれました。

テレビの取材で、日雇い夜勤の話をしなかったのは、日雇い派遣の方がいいなんてそのショーパブはブラックなのかと誤解されかねない発言は避けた方がいいと判断したのと、より前向きな理屈を口にしたくなったから。

 

ですが、「調子に乗っているからこそ、今しかないでしょ。挑戦的なことをするの。それで、落ちたら落ちたでしょうがない。けど、今の時期に調子に乗れなかった言い訳みたいなことをつくりたくない。」。これはこれで本音でした。

2017年前半には、もちろん発言当時にはオンエア日は分からないけれど、日曜日のお昼の1時間番組にとりあげて頂ける。2016年7月にも1時間番組でとりあげて頂きましたけれど、他のアイドル(みるくぽっけ、ミルキームーン)と並列でしたし、平日深夜でした。日曜昼間に単独でとりあげて頂けるなら、反響は平日深夜の比ではないであろう。この時に、ブログに全力を注げない環境にしたくはないという気持ちはありました。

もちろん、私にも、それは一時の風だということは分かっていますし、その風に乗って長期的に成功できる可能性など限りなくゼロに近いことは分かっていました。その一時の風が吹き抜け切ったら、地下アイドルとか芸能の世界から離れることも考えていました。ただ、この一時の風が吹き抜けるまで、夢を見させて欲しい。後になって、酒が常に抜けない環境でなかったらなんて振り返りたくない。

実際は強烈な風を受けてから6年半経った今でも、芸能から離れようとは思っていないのですが、それについてはまたの機会に話させていただきます。

 

2017年2月12日、「ザ・ノンフィクション~しっくりくる生き方~」オンエア。それから3か月半後の6月29日が、ショーパブの最終出勤日となりました。オンエア後すぐに辞めていたということは番組的にも、店にとっても、私にとってもよくないと思いましたが、その期間として私が判断したのは3か月でした。

 

気合が足りない、根性やハングリー精神がない、正ににそのとおりです。

他の仕事が合わずに、このショーパブに来て、まっとうな仕事でないという偏見から親に妨害されながらも、そして厳しい指導に耐えながら、輝いている方も複数います。

私は続きませんでしたけれど、いい場所であったことは間違いありません。