私の履歴書的なものをアップします。
履歴書には書かないようなこともたくさん入っていますが。
今回書くのは、学歴、職歴、転居歴、ライフイベントなどで、芸歴や出演歴は書きません。
また、具体的な学校名や会社名は伏せさせていただきます。
1977年(昭和52年)10月(0歳):東京都杉並区に生まれる。父の勤務先の社宅でした。
1981年(昭和56年)4月(3歳):父の転勤に伴い大阪府箕面市に転居。
1982年(昭和57年)4月(4歳):大阪府箕面市の私立の幼稚園に入園。
1984年(昭和59年)3月(6歳):同幼稚園卒業。
1984年(昭和59年)3月(6歳):空手を習い始める。あと、いつからだったかはっきりしないが、おそらくこの少し前から英会話教室に通い始める。
1984年(昭和59年)4月(6歳):大阪府箕面市の公立小学校に入学。小学校での部活は、4年生時陸上部、5年生6年生時手話部でした。
1990年(平成2年)3月(12歳):同小学校卒業。
1990年(平成2年)4月(12歳):大阪府箕面市の公立中学校に入学。部活は英語部。
1991年(平成3年)3月(13歳):東京都三鷹市の祖母の家にお世話になる。次の春に父が東京に転勤となる見込みだが、その時期の転校では受験に不利になる可能性があるからと、父のみが1年大阪に残った。この転居時に、英会話と空手の習い事は辞めた。
1991年(平成3年)4月(13歳):東京都三鷹市の公立中学校に転校。部活は演劇部。
1991年(平成3年)5月と思う(13歳):進学塾Rに通い始める。
1992年(平成4年)2月(14歳):実用英語技能検定(英検)4級合格。
1992年(平成4年)4月(14歳):父の転勤で私以外の家族は東京都杉並区へ転居。私は1年間祖母とのふたり暮らし。
1993年(平成5年)2月(15歳):進学塾R卒業。
1993年(平成5年)3月(15歳):東京都三鷹市の公立中学校卒業。卒業と同時に東京都杉並区に転居。
1993年(平成5年)4月(15歳):東京都板橋区にある、私立の工業大学付属高校に入学。得意科目の配点比率が高かったため滑り込めたものと思います(英語国語100点満点に対して数学は150点満点)。クラブには入らず、3年間マイコン同好会に所属。
1993年(平成5年)12月(16歳):実用英語技能検定(英検)3級合格。
1994年(平成6年)4月(16歳):親が埼玉県にマイホームを購入したことにより、親の社宅より転居。
1996年(平成8年)2月(18歳):埼玉県上尾市のガソリンスタンドでアルバイトに就く。高校はバイト禁止でしたが、卒業見込みで進路決定後はアルバイトOKとなるルールでした。
1996年(平成8年)3月(18歳):高校卒業。
1996年(平成8年)4月(18歳):私立の工業大学の工学部工業経営学科に入学。クラブや同好会には所属しなかった。
1997年(平成9年)11月(20歳):ガソリンスタンドのアルバイトを辞める。
1997年(平成9年)12月(20歳):埼玉県桶川市のうどん屋でアルバイトに就く。
2000年(平成12年)2月(22歳):うどん屋のアルバイトを辞める。
2000年(平成12年)3月(22歳):私立の工業大学卒業。
2000年(平成12年)4月(22歳):N株式会社に正社員として入社。プラスチック成型化工の会社、大学卒業後に、新聞の折り込み広告から応募しました。製造部に所属。
2000年(平成12年)6月(22歳):中学校教諭1種免許(数学)、高等学校教諭1種免許(数学・工業)授与される。通常は卒業と同時に授与されるように、大学に申請するのですが、卒業見込みがほぼないと判断して、申請しませんでした。なので、後で個人で申請した形です。卒業できたのは、教授の温情です。
2001年(平成13年)3月(23歳):製造部から総務部に異動。
2001年(平成13年)10月(24歳):一身上の都合により、N株式会社退社。事実上のクビでした。
2001年(平成13年)12月(24歳):個人のホームページでアフィリエイト広告掲載開始、副収入を狙う。ホームページは平成11年頃に一応作り上げていましたが、副収入を狙うのは初めてのことでした。このホームページは現在ありません。
2001年(平成13年)12月(24歳):ハローワークの求人から応募し、株式会社Bに契約社員として入社。自動車部品製造工場に派遣される。
2002年(平成14年)8月(24歳):個人のホームページで、ウェブ投げ銭の受付を始める。
2004年(平成16年)10~11月(27歳):会社都合で、株式会社Bから株式会社Oへ会社都合で転籍。勤務場所と勤務内容は同一。
2008年(平成20年)4月(30歳):株式会社Oの契約社員から正社員となる。
2009年(平成21年)5~6月(31歳):会社都合で、株式会社Oから株式会社Bへ会社都合で転籍。勤務場所と勤務内容は同一。
2009年(平成21年)11月(32歳):株式会社Bの契約社員から正社員となる。
2010年(平成22年)6月(32歳):日本商工会議所簿記検定3級合、秘書技能検定試験3級、秘書技能検定試験2級合格。
2010年(平成22年)11月(33歳):喉仏を目立たなくする美容整形手術(甲状軟骨削り)を受ける。
2012年(平成24年)3月(34歳):このブログ(当時の名前水鏡煌螺)でアフィリエイト広告掲載開始。
2012年(平成24年)11月(35歳):株式会社Bの正社員から契約社員となる。繰り返し退社希望を出していて、望んでの降格。
2012年(平成24年)11月(35歳):株式会社B退社。退社願いに対して説得し続けてくれて、生産減で人員整理やむなしの局面で会社都合としてくれたところ、経営陣は私のことを大切に思ってくれていたんだなと思います。終盤は病んでろくに仕事できなかったが、所属会社は変われど同じ上司の下で10年勤務したことで、情をかけていただいた形。
2013年(平成25年)3月(35歳):ハローワークの求人から応募し、株式会社F入社。
2013年(平成25年)3月(35歳):中学校教諭1種免許と高等学校教諭1種免許の更新講習修了確認期限。更新講習を受けるには、現役教員でなければならず、私は対象外でした。教員に就くことになれば直ちに更新講習を受けられるという形。更新講習を受けていないだけで、教員免許失効ではないため、履歴書には「更新講習未受講」と書き加えれば書けます。
2013年(平成25年)4月(35歳):株式会社Fより、試用期間後雇用を続けられる見込みがないことを告げられ、就職活動の開始を勧められる。
2013年(平成25年)4月(35歳):Y放送局に、タレントとして所属。
2013年(平成25年)5月(35歳):株式会社F試用期間満了を持って退社。
2013年(平成25年)7月(35歳):土木業がメインのスポットワーク開始
2013年(平成25年)10月(36歳):Y放送局の所属から外れる。
2013年(平成25年)11月(36歳):S株式会社入社。
2014年(平成26年)2月(36歳):S株式会社退社。給料3か月近く未払いで社長に逃げられた。
2014年(平成26年)3月(36歳):本籍地を実家からアパートの所在地に移す。
2014年(平成26年)6月(36歳):区役所に願い出て、名前の読み方を変更。
2015年(平成27年)3月(37歳):家庭裁判所に名前の漢字表記の変更を申し立てるが、見込みがないとして取り下げを迫られた。書記官が言うには、却下の判決が出ると、今後再び申し立てた時に改名許可が出にくくなるから、今は取り下げて使用実績を積み上げる時とのこと。
2015年(平成27年)5月(37歳):解体業メインで働き始める。交通費や工具代を経費にできるよう、個人事業という形をとっていた。
2015年(平成27年)12月(38歳):転落事故で入院する。
2016年(平成28年)5月(38歳):ポスティングの仕事をする。合わずに1か月未満で離れる。
2016年(平成28年)6月(38歳):工場や倉庫などメインの日雇いで働き始める。
2016年(平成28年)6月(38歳):サパーB入店。
2016年(平成28年)8月(38歳):借金の法的処理に向けて、法テラスを通じて相談を始める。
2017年(平成29年)6月(39歳):サパーB退店。以後は、ほぼ工場や倉庫などでの日雇いのみで生活。
2017年(平成29年)11月(40歳):裁判所に代理人(弁護士)が私の自己破産を申し立て。相談開始から時間がかかったのは、破産管財人に支払う費用を貯める必要があったため。
2018年(平成30年)2月(40歳):破産が認められ、同時に免責許可がおりる。
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現在2023年9月。5年半、生活面で変化らしい変化はないです。振り返ってみて、まとめてみて驚きました。
YoutubeやX収益化とかなれば、履歴に加えられるのでしょうけれど。
頑張ります。
活動歴については、また今度書いてみたいと思います。