2013年12月27日の想い出(娘の誕生日) | 大塚みずえのイエス・アンド生活

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2013年12月27日。

この日は、娘の6回目の誕生日だった。 

旦那も私も仕事じゃなかったので、
「二人の初デートの思い出の地、箱根に行こう!」
と車を借りて日帰り旅行計画。 

思えば、娘の誕生日にどこかへ遊びに行こうと計画すると、ことごとく邪魔が入った。 

2歳の誕生日は「ネズミーランドにいこう!」と計画を立てていたら突然当日の朝、旦那が激しい嘔吐下痢。・・・・・・ノロだった。 
わたしと娘は近所の神社でちょっとさみしいけどささやかな誕生日を送った。
(娘は神社でも結構楽しそうだった) 

5歳の誕生日。つまり去年は、「上野動物園にいこう!」と計画を立てていたら、当日の朝娘が「頭が痛い」と。微熱があったが、娘自身がかなり楽しみにしていて「絶対に動物園行きたい」というので強行したところ、夕方くらいにダウン。 

帰ってきたら熱は9度越えで
・・・・・・・インフルエンザだった。 

このインフルエンザは2日後だんなに移り、
旦那は年末年始かなり苦しむことになる。
(リレンザというインフルエンザの薬が合わず薬疹が出て死にそうになってた) 

順番的にはわたしかっ!?なんて言いながらも、特に病気は発症せず、8時半に車にのり箱根に向かう。 
朝の用意がいつもだらだらの娘も6歳の誕生日は嬉しいのか、ウキウキしながらさっさと用意して、かなり早く準備でき、 
「もう6歳だもーん」
なんて嬉しそう。 

車もすいていて順調でまずは私の行きたかった「甘酒茶屋」へ。 
ここの甘酒は絶品でおもちもおいしい。
私は古いものが大好きで江戸時代の甘酒茶屋がそのまま残っている感じのこの店が大好き。

ただ、湯本からもちょっと離れていて車じゃないとなかなか行けないので、ここ何年かは行けてなかった。 
何年かぶりにきた甘酒茶屋は古いものは残しつつもリニューアルしていてきれい。
娘は「囲炉裏」やら「かご」やら「わらじ」やらを初めて見る。 
昔話の絵本に出てくる光景がそのままでしかも根雪も残っており、大興奮。 
私は(13年前の自分にデート相手とこのあと子連れでここに来ることになるんだよ、と教えてあげたらどう思うだろう~)なんて、心をタイムスリップさせたりしていた。 
何もかも順調だった。
・・・・・・ここまでは。 



この後の予定としては大涌谷でちょっとトレッキングしながら運が良ければ富士山を眺め、ユネッサンに行こうということになっていた。 

大涌谷に着くと、一面真っ白。 
どうやら雲のなかに入ってしまったらしい。富士山どころか10メートル先も見えない。 
そういえば今日は雨が降ったりやんだりの天気だった。 

「雲のなかにいるんだね~」  

なんて能天気に言いながら、富士山はまた別の機会にみよう~とすぐさまユネッサンへ。 
予定より早くユネッサンに着くと旦那が
「あ!かばんがない!!!」
と。 
貴重品が入っているかばんをどうやら甘酒茶屋に忘れてきたらしい。 
電話するとかばんはあるらしいのであわてて取りに戻る。 
「まあこれくらいの厄落としですんでよかったよ」 
なんて言いながらドライブ気分で甘酒茶屋に行きかばんを取りユネッサンに戻ってきた。 

初めてきたユネッサンはかなりの大きな観光地。 
私は温泉大好きなので基本的にはユネッサンみたいな娯楽施設ではなく天山みたいなのんびり温泉に入るところが好きだった。 
今回は娘の誕生日だし遊べるところがいいよねということでこちらに。 
ユネッサンは子連れで遊ぶつもりでくるにはそれはそれは楽しいところだった。 
ただ、
12月末ということもあり、さすがに露天風呂は風呂と風呂の間が寒い。スライダーもかなり寒い。 
スライダーも楽しかったが2~3回で「もう寒すぎる~」と室内に。 

室内のお風呂はもう温水プールみたいだった。塩素の香りもするし浮き輪でみんな流されている。 
そっかそっか。やっぱり温泉ではなく温水プールか。 
娘はプール大好きなのでそれでもかなり楽しそうだった。 

遅い昼食はバイキングに。 
たらふく食べて「ちょっと休憩~」と大広間でのんびりしていたら雪が降り出してきた。道路は車が通ってるから積っていないけど少しずつ屋根などに積ってきた。 
「わ~。ホワイトバースデーだ~。」なんてまだまだ呑気だった。 

娘のたっての希望でもう一度温水プールに入り、最後にゆっくり温まりたいから、と森の湯(水着で入るところではなく、普通の温泉)に入り18時になった。 
さあ、そろそろ帰ろう。雪がひどくなるといけないしね。 
なんて外に出たら・・・・・・雪が積もっていた。 

旦那がぼそりと「車大丈夫かな・・・・」と言ったが私は何とかなると思い込んでいた。 

娘は「わーい、雪合戦しながら駐車場まで行こう~」なんで雪玉作って投げたりしていたが駐車場に着くと車にも3センチくらい雪が積もっていた。 

やばいよやばいよ、と車に乗り込もうとすると駐車場の係の人がやってきて、低くて早口で真剣な口調でこう言った。

「車でお帰り予定ですか?」 
「はい」 
「スパイクタイヤかトレッキングタイヤですか?」 
「いえ、普通のタイヤです」 
「じゃあ、もうここから出ることはお勧めしません。仮にこの駐車場出られたとしても出たすぐ先のところで事故が起こっている状態です」 

・・・・・・・・。 

私ははじめてここで事の重大さを知った。 

「車を何日置いていただいても大丈夫です。おかねはかからないようにしておきますのでご無事のためにも車は置いて公共機関でおかえりください。いまならまだもう少し先の小涌園からのバス停にバスが来ます。もう少しすると公共機関でも帰れなくなりますよ」 

悩んでいる暇はなかった。 
すぐに判断しなければいけない。 
旦那は次の日に仕事があり、その準備のためにどうしても本日中に家に帰らなければならなかった。 

「よし!バスと電車で帰ろう!借りた車は延長できるかもしれない!」 

30秒で決断して行動した。 
バス停まで行こうとすると救急車がピーポピーポと通って行った。 
「事故だ・・・・」旦那と顔を見合わせて「とにかく無事に帰れればいいよ!!」と山で遭難しかけた家族のような気持ちになりながらあるいて5分くらいのバス停に向かう。 

途中の坂道を先に行く旦那と娘に「気をつけて!」なんて言いながら歩いていると、私がつるっと滑ってお尻をしこたま打った。 
かなり痛かったが 
「大丈夫!先に進んでっ!」
まるで気分は八甲田山だった。

私は、すっくと立って歩き出した。お尻は痛かったし濡れてしまったがそんこと言ってる場合じゃなかった。 

娘も靴がぬれていた。昔だったら「濡れるのやだ」とか「歩きたくない」とか言っていただろうに、落ち込むでもなく文句言うでもなくむしろ元気にバス停まで歩いてくれた。 


少し待つとバスが来た。 
「これでとにかく家までは帰れる・・・・」
とホッとしながらバスに乗り込んだ。 
バスも途中で違うバスに乗り換えてくださいと言われたりバス会社のほうでも混乱している感じだったが、とにかく乗れた。 

箱根湯本までつくと、おにぎりやお弁当は売り切れていた。私たちは一食くらい抜いてもいいがさすがににこはおなかがすくだろうとせんべいを買った。
本日の夕飯はせんべい・・・・。 
戦時中のモノがない時代は、こんな感じだったのだろうか。配給の頃はきっとこんな感じだったに違いない。と、切羽詰まった気持ちになった。 

ただ、夕飯がせんべいになり、
娘はむしろ大喜びだった。 

箱根湯本に着くともう雪なんて積っていなくて、雨だった。
箱根は山なんだなあ、と実感した。
そして自然の怖さを目の当たりにした。 
自然の前では文明は圧倒的に非力だ。 

そんなこんなで帰りついたのは9時半。 
世田谷は雨すら降っていないくらい道路は乾いていた。
 なんだか拍子抜けした。

でもとにかく無事に帰りつけてよかった。 
命の大事さを実感できた。ありがたい。 
もしあの時に駐車場の人の助言がなくて車を出していたら・・・とおもうと背筋が凍る。 

そして娘はどんなときでも文句ひとつ言わず、ついてきてくれた。 
お姉さんになったなあと実感した。 
忘れられない6歳の誕生日になった。 

私はというと、今もまだちょっと尻もち付いたお尻が痛い。 
やっぱり順番が回ってきたのか。 

雪が溶けたら車を取りにまた箱根に行かねばならない。 
「その時は富士山リベンジだ。もう一度箱根旅行できるなんてラッキーだね」ということで旦那は寝た。 

あと3日で雪が解けますように・・・・・・。





追記。この後、次の日は晴天。あっという間に雪はとけ、数日後に車を取りに行くと、あの日のことが嘘みたいなドライブ気分で帰ることができました。
山の天気は恐ろしい。自然をなめてはいけない。