現代人は、技術によって、一時的にクーリングし、今地球規模で起きている、我々の罪の結果としての酷暑から逃げている。酷暑を人間に対する切実な天罰として捉え、身に感じて反省し、所業を見直すことが大事と考える。
今年はそういったことから、行為実践として、クーラーなし、扇風機なしで生活している。生産性はかなり落ちる。新聞を全然読めてないことでも明らかだ。しかし、一方で、強制的に朝、暑さで起きることから、また昼間に寝ることが致死的であることから、夜にしっかり寝ておこうと、早寝が自動的に習慣化する。これはいいことだ。水風呂、シャワー回数が多くなり、その結果として、その間の遊休時間を、お風呂場で運動をして過ごすことができる。それにより、健康にとって非常に恵みが多い。おまけに、ヒートショックリスクが軽減できる。すなわち、室内と外との温度差によるショックに関しては少なくとも受けにくくなる。また、1度、1度に敏感になり、体内時計ならぬ体内温度計のようなものも、非常に敏感になり、磨かれる。そして、最高気温39度台という地獄を経験し乗り越えた経験により、その酷暑3日間の後の、気温が2度、またはそれ以上下がりだしてきてからの、この7月終わり頃は、むしろ快適に感じる。つまり一度、もっともひどい経験をしたがゆえに、今は下り坂を進むように、楽に過ごせる。
この記事はなお、私自身の体験を書いているのであり、推奨するものでは全くない。ゆで卵は二度と生卵に戻らない的比喩で猛暑時は、クーラーを使いましょうと後遺症が残る可能性も示唆する話も最近はネットで話題になった。健康リスクがある以上、たしかに人には勧めることは難しい。あくまで自主的考えに基づくものである。
クーラーに頼らないといけないような、地球環境はよくない。窓ガラスが割れたり、レールがゆがんだり、山火事が増えたり延焼しやすかったり、海洋生物、家畜、農作物に影響を与えたり、生産性、やる気、食欲などが落ちたり、様々な影響がある。要は、自分だけ涼しく安全で暮らせれば、それでいいやという態度はよくない。たとえクーラーを使っていても、そういったことに目を背けてはいけない。ひとりひとりが地球を守り、次世代のことを想う必要がある。


