『マドリードの町の寓話』

フランシスコ・デ・ゴヤ

(1809年)

 

 

 

***2020年1月17日の日記***

 

 

「次のコンサートの時には、

〇〇ちゃん(風の彼女)も

出演させてあげようかと

思ってるのよ」

 

・・・と、メアリー先生が

そう言ったあとのでした。

 

 

いきなり火の彼女が、

 

風の彼女のことを、

激しく非難しはじめました。

 

 

*******

 

 

あるレッスン中、

 

いつものように輪になって、

メアリー先生の話を聞いていた時、

 

風の彼女が自分の思いを

語った時がありました。

 

その時彼女は、

 

少しだけ、

微妙なことを話したのです。

 

 

その細かいことは

忘れてしまいましたが。

 

たしか。

 

それでも、

バレエはやっぱり、

素晴らしい。

 

・・・というような内容の

話だったと思います。

 

 

イサドラ・ダンカンはバレエを、

 

「不自然な踊り」

 

・・・だと言っていました。

 

 

なんとなく。

 

バレエを毛嫌いしている

ようにさえも見えました。

 

 

けれどもダンカンは、

 

アンナ・パブロワという、

有名なバレエ・ダンサーに

出会った時は彼女と意気投合して。

 

パブロワは

バレエ・ダンサーではあるけれども、

 

彼女だけは

素晴らしいダンサーだと

認めていたりもしました。

 

 

ダンカンの自伝を読んだとき、

正直に言えば私は。

 

ダンカンは、バレエに対して何か、

コンプレックスを持っているように

感じたりもしたのでした。

 

 

踊ることが、心底好きでも。

バレエに憧れたとしても。

 

幼い頃は家が貧しかったため、

バレエを習う余裕などはなかった彼女。

 

けれども、

バレエは。

 

ダンサーとして成功するためには、

子供の頃からレッスンを

始めていなければ、

 

もう、遅いのです。

 

なのでダンカンは、

その時点でもう。

 

夢が閉ざされていました。

 

 

これは私の想像ですが。

 

もしかするとダンカンは、

ある時「絶望」を感じたり

したのではないのかな。

 

・・・なんて思ったりしました。

 

 

けれども、

そういう経験を経たからこそ。

 

彼女はそれをバネにして、

ああいった彼女の独自のダンスの世界を

生み出すことにもなったのだと

思うと。

 

 

これもまた、

完璧なストーリーではあったの

でしょうけれどもおやすみ

 

 

実際に

ダンカン・ダンスを踊ってみると、

 

なんだかんだ言っても。

 

ダンカンがどこかで

バレエを意識していたのが、

 

すごくよく解りました。

 

ひとつひとつの動きの中に、

バレエの動きが見て取れたからです。

 

 

ダンカンが

いくらそこを意図的に崩そうとしても。

 

彼女がバレエを意識していたことが、

なんとなく、透けて見えました。

 

 

それはもしかすると。

 

ダンカン自身でさえ、

無意識だったのかもしれませんが。

 

 

本当はバレエに憧れていた。

 

でも自分は、

その道に進むことは出来なかった。

 

 

そういう悲しみというか

悔しさのような感情を。

 

自分の弱さを。

 

 

「バレエを強く否定する」

 

・・・という姿勢で覆い隠して、

ダンカンは。

 

必死に認めないように

していたような。

 

そんな気がしました。

 

 

*******

 

 

風の彼女も、

バレエ経験者でしたから。

 

彼女もまた、

私と同じようなことを

感じたのだろうと思います。

 

 

イサドラ・ダンカンのダンスは、

それは本当にとても素敵ですし。

 

この世界はこの世界で、

バレエとはまた違った美しさが

あるということは。

 

私も。

 

そしておそらく、

風の彼女も。

 

重々解っていました。

 

 

けれども。

 

あまりにもバレエを否定されると。

 

バレエ好きな者としては、

少し、複雑な気持ちにも

なったりもします真顔

 

 

だから。

 

あの時あの輪の中で、

そういう本音がついポロッと出て。

 

風の彼女は。

 

バレエを擁護するような発言を

してしまったのだろうと思います。

 

 

火の彼女は、

あのパーティーの時。

 

風の彼女のあの態度に対して

怒っていたのです。

 

 

あの時の風の彼女の発言を。

 

強く否定していました。

 

 

火の彼女はどこかに。

 

人を巻き込む強さがあって。

 

周りにいた他の生徒たちもみんな、

火の彼女に同意するような

態度になっていました。

 

 

「ね?そうでしょ?先生!

ダンカンを否定するなんて、

一体、何様なんでしょう?」

 

・・・と怒り口調で

火の彼女に同意を求められた

メアリー先生でさえも。

 

立場上。

ものすごくやりづらそうでは

ありましたが。
 

「あぁ、、、そうだよね」

 

・・・と、その場に同調せざるをえない

雰囲気がそこにはあって。

 

 

さすがに私も、

そこに何か口を挟む勇気は

ありませんでした真顔

 

 

*******

 

 

社会の中で人が集まれば。

 

こういうことは、

よくあることです。

 

 

自然と、

人の輪の中心になる人がいて。

 

その人に同調しない人がいると、

全体から攻撃される。

 

最初はだいたい。

 

攻撃対象の人が

その場にいない時に。

 

みんなで、

その人の悪口大会が始まる。

 

・・・みたいな。

 

 

こういうことは。

 

 

学校や会社。

そしてPTA関連でも。

 

いろいろなところで

経験してきました真顔

 

 

そして、

私はズルいからにやり

 

いつも。

 

そういうのは適当に、上手に、

受け流してきていました。

 

 

そういう時はいつも、

どこかで罪悪感を感じながらも。

 

人間ってこういうもんだ。

 

これもまた、弱さゆえだ。と。

 

自分自身を納得させていました。

 

 

けれども。

 

これはのちのちに

気づいたことですが。

 

例えば、

スピリチュアルや哲学を

追及するような場では。

 

ダンカン・ダンスのように、

ある意味、理想や哲学を追求し、

それを表現するような場では。

 

私はそのあたり、

かなりストイックに

なるようでした。

 

 

そういった場は。

 

私にとってはある意味、

 

「理想を体現する場」

 

・・・であったので。

 

普段(現実の世界)は

適当に受け流せることが、

 

こういった場

(理想を追求し体現する世界)では、

受け流せなくなるのです。

 

 

なのであの時。

 

あの場で、

風の彼女に対する悪口大会が

始まったとき。

 

私の中には、

とんでもない拒絶感が起こって。

 

それで一気に、

すべてがイヤになってしまいました。

 

一瞬で、

すべてが冷めました。

 

 

今にして思えば。

 

あの頃の私はまだまだ、

エゴが強くて。

 

言葉を変えれば。

 

どこかでまだ、

理想を追い求めていて。

 

 

あの時。

 

その理想が崩れて。

 

がっかりしてしまったのだろうと

思います。

 

 

だから私は。

 

あれ以来、

ダンカン・ダンスに通うことを

すっぱりやめてしまったのでした。

 

 

つづく

 

 

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