『Midsummer』

アルバート・ムーア

(1887年)

 

 

 

***2020年1月10日の日記***

 

 

メアリー先生のレッスンでは、

 

イサドラ・ダンカンが遺した踊りを、

いくつか教えてもらいました。

 

 

一番最初に教えてもらった

ダンカン・ダンスの、

 

そのタイトルや音楽は

忘れてしまったのですが。

 

たしかあれは、

 

「ギリシャ彫刻の女神像」に

なりきる。

 

・・・という感じのダンス

だった気がします。

 

 

ダンカン・ダンスには基本、

西洋のクラシック音楽が

使われるので、

 

あの時の音楽が、

知っている曲だった。

 

・・・ということだけは

覚えているのですが。

 

何の曲だったのかは。

 

忘れてしまいましたにやり

 

 

メアリー先生のレッスンは、

そうやってただずっと

身体を動かして踊っている

だけではなく。

 

時折みんなで

輪になって座って。

 

ダンカンの生涯とか

哲学についてなどを、

 

メアリー先生が、

いろいろ語って聞かせてくれる

時間もあったりしました。

 

そしてその時は、

メアリーさんはただ語るだけでなく、

 

私達に色々なことを

問いかけてきたりもしました。

 

「あなたは、どう思う?」

 

・・・とおやすみ

 

 

そういうところが、

とても素敵。

 

・・・と。

 

そう感じたのを覚えていますにっこり

 

 

私は長い間、

ダンスのレッスンをしてきましたが。

 

日本人の先生で、

レッスン中にこういう時間を

設ける先生は、

 

ほとんどいませんでした。

 

 

このずっとあとになって

ベリーダンスを始めた時、

 

ミシャールという

アメリカ人ダンサーに

出会ったのですが。

 

ミシャールも。

メアリー先生と同じような時間を、

レッスン中に度々設けていました。

 

 

一方的に教えるだけでなく。

 

生徒に問いかけて、

一緒に考えたり、

 

一緒に感動したりするやり方。

 

 

なので。

 

こういうことに

限って言えば私は。

 

西洋的な在り方のほうが、

好きです。

 

 

*******

 

 

「ひとつのことを

ずっとずっと深めていくと、

いろんなことが解るのよ」

 

・・・と。

 

メアリー先生は、

そう言っていました。

 

 

これと同じようなことは、

カバラの松本先生も

言っていました。

 

 

同じ。と言っても。

実際の言葉は全然違います。

 

 

松本先生は、

こう言っていたのです。

 

 

「この世に『道』は

たくさんあるけれども、

 

でも、どれも目指すところ、

辿り着くところは、

 

みんな同じなのよ」

 

・・・とおやすみ

 

 

けれども私には。

 

メアリーさんの言ったことと、

松本先生が言ったことは、

 

同じ意味に聞こえました。

 

 

そしておふたりとも。

 

そういうことは、

ご自身の経験から思ったこと

なのだろうと。

 

そう感じましたおやすみ

 

 

*******

 

 

ある時、レッスンに。

 

禅寺の現役の尼さんが

来たことがありました。

 

その方はもう、

だいぶ年配の人でした。

 

 

その日も例によって、

 

みんなで輪になって、

いろいろ話す時間が

あったのですが。

 

その時、

その尼さんの方が。

 

ひとりでずっと

語っていたのを。

 

今でも覚えています。

 

 

メアリー先生が、

完全に聞く側にまわっていたほどに。

 

 

禅の修行をする彼女は、

 

ダンカン・ダンスの中に

何かを感じたので。

 

それでレッスンに来てみた。と。

 

たしか、

そう言っていた気がします。

 

そしてそんな話から、

いつの間にか禅の世界の

話になりにやり

 

彼女はずっと。

 

禅のことについて、

語り続けていました。

 

 

最初のうちは良かったのですが。

 

私はだんだんと、

彼女の話にダレてきて真顔

 

しまいにはなんとなく、

それを不快に感じていたのを

覚えています。

 

 

メアリー先生という

ダンカン・ダンスの師匠が

目の前にいる、

 

そういう貴重な時間なのに。

 

そういう場でなぜ、

 

「ダンカンの世界を聞く」

ではなくて、

 

「自分の世界を語る」

なのだろう。と。

 

そう思っていました真顔

 

 

私は禅の話が聞きたくて

ここに来たのではないのに。

 

・・・みたいににやり

 

 

*******

 

 

尼の彼女は長々と

自分の話をするだけすると、

 

用事があると言って、

レッスンの途中で

帰っていきました凝視

 

 

あの時彼女は。

 

禅の世界の、

修行の大変さ。

 

・・・のようなものを

熱く語っていましたが。

 

彼女が帰ったあと、

メアリー先生はボソッと。 

 

「一体、

それの何が楽しいのかしらね?」

 

・・・と言って、

苦笑いしていました。

 

 

それで私も思わず、

フッと笑ってしまいました。

 

なぜなら私も。

 

メアリー先生と

まるっきり同じことを、

思っていたからですにやり

 

 

*******

 

 

のちのち、

ベリーダンスのミシャールとの

関わりの中で、

 

いろいろ気づいていったことが

あるのですが。

 

そういったことを

意識するようになった

最初の始まりというのは

やっぱり。

 

ダンカン・ダンスの世界に

触れたこの頃だったな。と。

 

今、振り返ってみると、

そう感じます。

 

 

結局。

 

禅とかヨガとか、

ああいった世界の在り方は。

 

ハッキリ言ってしまえば、

「男性の在り方」であって。

 

私達女性にはまた、

違ったやり方があるのだろう。

 

・・・ということを、

薄々意識しはじめたのが、

 

おそらく、

あの頃でした。

 

 

*******

 

 

イサドラ・ダンカンの哲学で

私が一番共感していたのは、

 

こういう部分でした。

 

 

私はアパートで昼も夜も、

身体の動きによる魂の神聖なる

表現としての踊りを追及し続けた。   

 

何時間も手を太陽神経叢の上で組み、

じっと立っていることもあった。   

 

私は求め続け、

すべての動きが湧き出す泉、

 動力の中心、

あらゆる種類の動きが

生まれる統合体、

 

新たなダンスを映し出す鏡を

ついに発見した。   

 

そしてこの発見から

私の理論が生まれ、

 

それに基づいて、

私はのちに学校を設立したのだった。   

 

 

私は体の中にある経路に流れ込み、

体全体を光の波動で満たしていく

魂の表現の源を探し続けた。

 

つまり魂のヴィジョンや思いを映し出す   

遠心的な力を追い求めたのであった。   

 

 

何ヶ月もかかって、

この一つの中心に全ての力を

集中することを学んでからは、

 

音楽を聴くと、

音楽の光や波動が私のなかにある

この泉に流れ込むのがわかった。   

 

その光や波動は、

そこから頭脳ではなく

魂の霊的ヴィジョンのなかへと

映し出され、

 

このヴィジョンから

光や波動をダンスの中に

表現するのだった。

 

~イサドラ・ダンカンの自伝

『魂の燃ゆるままに』より~

 

 

・・・と、ダンカンは

小難しく語っていますが。

 

要は。

 

「芸術とは、

天から受け取ったものを

そのまま表現すること」

 

・・・と、

言っているのだと思いますおやすみ

 

 

「自分」がそれを

やっているのではなく。

 

「自分」は、

 

「そのエネルギー」を

「表現する」ための、

 

「ただの器」でしかない。

 

・・・という感覚になること。

 

 

そこまで「自我」を

消さなければ。

 

天から受け取ったものを

そのまま表現することは

出来ない。

 

・・・と。

 

 

私自身も。

 

芸術とはそういうものなのだと。

 

今も思っていますおやすみ

 

 

けれども。

 

実際の芸術の世界の現実は。

 

そういう「芸術家の魂」を

持った人ではなく、

 

「商人の魂」を持った人に

牛耳られている気がしています凝視

 

 

芸術だけでなく、

様々な分野に「商人」がいて。

 

いかに儲けるか。

いかに称賛を得るか。

 

つまり。

 

いかに人にうけるか。

 

・・・というところに、

 

意識的であれ、

無意識的であれ、

 

 重きを置いていて。

 

 

だから。

 

それを「職業」とした途端に、

そこには色々な

しがらみが発生して。

 

それに囚われて、

純粋な芸術表現が難しくなる。

 

・・・と。

 

そう感じていました。

 

 

*******

 

 

まぁ、

また話が少し逸れましたがにやり

 

 

ダンカン・ダンスのレッスンを

何度か重ねたある日。

 

私は、

「本物の芸術」を目の当たりにする

貴重な機会に恵まれたのです。

 

 

つづく

 

 

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