『La maison aux roses, Versailles 』

アンリ・ル・シダネル

(1931–36)

 

 

 

***2019年11月10日の日記***

 

 

「信じる人」の強みは、

 

「信じられること」

 

・・・だと書きましたが。

 

 

その底には、

「純粋さ」がある。

 

・・・と。

 

私はいつも、

感じていました。

 

 

けれども自分には、

「懐疑的」なところがあり。

 

母からは、

 

「あんたは我が強い」

 

・・・と言われ続け。

 

 

なので。

 

OSHOの瞑想センターに

通っていた頃はまだ、

 

私は自分のそういうところを、

 

「ダメなもの」

 

・・・だと、

思い込んでいたのだろうと

思います。

 

 

そういう「思い込み」が

罪悪感を生み。

 

自分の中にある

その「罪悪感」が、

 

OSHOの彼の言葉を

聞いているうちに、

 

「混乱」を生み出すことに

なっていたんだな。

 

・・・と。

 

今は思います。

 

 

結果を先に

言うとしたら。

 

このあと次々と

出会っていくことになる、

 

カバラの世界や、

ブッダの言葉や、

 

ダライ・ラマの言葉や、

あるチベット僧の言葉や。

 

あとは、

キプロスの賢者、ダスカロスが

伝えていたイエスの教えとか。

 

そして、最後の締めは、

ウイングメーカーの

ジェームズの、ある言葉とか。

 

 

そういう世界に

触れていくことによって、

 

私はこの罪悪感から

解放されていくことに

なるのです。

 

 

そして。

 

これらと

出会っていく旅は、

 

より魂的な視点で

眺めてみれば。

 

それは、

 

「過去生を辿りなおす旅」

 

・・・でもあったと。

 

そんな風に感じますおやすみ

 

 

その旅の始まりがきっと。

 

OSHOとの出会い。

 

・・・だったのだろうと。

 

 

*******

 

 

これも、

もっとあとになってから

思ったことでしたが。

 

 

占星学を真面目に

学ぶようになって。

 

なんとなく、

感じたことがあり。

 

 

それは。

 

人はみんな。

 

人生のあるところまでは、

 

過去生での体験を、

なぞっていたりするのでは

ないのだろうか。

 

・・・ということでした。

 

 

今回の人生の前半で一度、

 

昔の癖や習慣や考え方。

 

そして、

過去にできた傷までもを

活性化させて、

 

それを一度、

しっかりと自覚させたうえで、

 

次はそれを超えて。

 

今回の目的を

目指していく。

 

 

・・・というような形に

なっているような気が

してきたのです。

 

 

そのために私たちは。

 

自分の「過去生」を活性化させて

くれるような親を選んで、

 

生まれてくるのではないのか。

 

・・・と。

 

そんな風に思ったりしました。

 

 

自分の親達や、

今回の人生でこれまで

辿ってきた道のりや。

 

そして。

 

それまでに出会ってきた人たちに、

ポツポツ言われてきたことや、

ホロスコープとか。

 

 

そういうものをひっくるめて、

総合的に考えてみた時。

 

やっぱり、

どう見ても自分は、

 

これまでの過去生の中で。

 

「宗教」

 

・・・というものにとらわれて

生きていたことが

多かったのではないのか?

 

・・・と。

 

そんな風に思えて

仕方ありませんでした。

 

 

そんな中にはおそらく。

 

俗世から離れたところで、

黙々と修行を続けていた。

 

・・・なんて人生も、

あったのだろうな。と。

 

 

そういった過去生の

集大成なのかどうかは、

 

それはハッキリとは

断言できませんが。

 

その「結果」として。

 

19歳の時の、

ああいう神秘体験が

起こったのかもしれない。

 

・・・と。

 

そんな気が

してきたのです。

 

 

もしかしたら、

過去生の中で既に

悟り体験はしていて。

 

今回の人生の最初の頃に、

もう一度。

 

それと同じことを

経験させて。

 

そこに意識を

持っていかせた。とか。

 

 

つまり私は。

 

長い過去生の中で。

 

ひたすら「信じる人」を

やってきていたのかも

しれなくて。

 

 

けれどもきっと。

 

今回の人生では、

そこを超えるために。

 

そこではない、

違うことをすることを

目的に。

 

今、ここにいるのでは

ないのかと。

 

 

そんな風に、

思ったのです。

 

 

*******

 

 

OSHOのコミュニティに

行った時に、

 

あんなに居心地が

よかったのは。

 

そういう場が

私にとってはきっと、

 

「慣れ親しんだ場」

 

・・・だったからなのかも

しれません。

 

 

けれども。

 

同時に違和感を感じたのは。

 

「今回はそれじゃない」

 

・・・と。

 

頭ではないどこかで、

解っていたからなのかも

しれません。

 

 

魂は。

 

今回の目的を果たす意志を、

より強固にするために。

 

私のエゴを

試したのだと思います。

 

 

だからもし私があの時、

 

「あぁ、

ここが自分のホームだ」

 

・・・と、

そちらに進む選択を

したとしたら。

 

 

きっと今回の人生でもまた。

 

過去生の自分と同じように。

 

自分の意志を持たず。

 

ただただ「師」のあとに

ついて修行を積むという。

 

これまでと同じことを。

 

繰り返したのだろうと

思います。

 

 

私が高校生の時に、

母がああいった道を選び。

 

それによって私は傷つき、

悲しみ。

 

そのせいで。

 

「宗教」や「師匠と弟子」

というものに対して、

 

私がものすごい反発心を

持つことになったのも。

 

きっと。

 

そういうことだったのだと

思います。

 

 

OSHOの彼と出会い、

 

「瞑想センター」という名の、

「過去生と同じことをする場」に

足を運び。

 

そこで、

 

過去生の自分のような生き方を

している人達と出会い。

 

 

その心地よさに。

慣れ親しんだ感じに。

 

「エゴ(自我)」は

ぐらつきましたが。

 

 

でも。

 

私はそちらを、

選びませんでした。

 

 

選ばないことで。

 

魂からの試験に、

合格できたのだと、

 

今は思っています。

 

 

そして。

 

私の中に、

宗教的なことに対する

反発心を生み出すために。

 

多大な協力をして

くれていたのは。

 

母。

 

・・・でした。

 

 

母。というか、

 

「母の魂」

 

・・・です。

 

 

OSHOの彼もきっと。

 

そういう役で。

 

私のドラマに、

登場してくれたのでしょう。

 

 

ソウルメイト。

 

・・・というものはきっと。

 

こういうものなのだと

思いますおやすみ

 

 

そして私は。

 

精神的な教師や、

その弟子となる人と、

少しの間、直に関わることで。

 

母が辿った道の軌跡を、

そのまま歩いたような

気がしたりもしました。

 

 

その時にやっと。

 

母がどういう気持ちで、

紀野先生のもとに

通っていたのか。

 

・・・ということを。

 

その母の気持ちが、

「実感」として解ったような。

 

そんな気がしました。

 

 

でもそれはきっと。

 

ヴィジョンの中のOSHOの、

あの。

 

「一度そこに飛びこんでみなさい」

 

・・・という言葉がなければ。

 

実際に一度、

その場に入ってみなければ。

 

解らなかったことだろうと

思います。

 

 

そして。

 

そういうことに

気づき始めると。

 

だんだんと、

OSHOやOSHOの彼との

かかわりも。

 

薄くなっていきました。

 

 

気づけば。

 

そういう縁も、

自然と切れていきました。

 

 

*******

 

 

「OSHOの章」

 

・・・が終わるか終わらないか

くらいの時期に、

 

私の中心となってきたのが、

カバラの世界でした。

 

 

そしてその時期は、

同時に。

 

「歌」

 

・・・という流れも

来ていたのですが。

 

歌に関することは。

 

またあとで、

まとめて書こうかと思います。

 

 

その頃もまだ。

 

体調は相変わらず、

あまり良くありませんでした。

 

 

そんな時。

 

すごく、

 

「変な人」

 

・・・と出会いました。

 

 

変な人。

 

・・・なんて書くのは、

失礼極まりないな。とも

思うのですが。

 

 

でも私にとって

その人は。

 

良い人とか

悪い人とか。

 

そういうのではなくて、

もう。

 

とても、

変な人。

 

・・・だったのです。

 

 

私は、

ニューエイジ的な。

 

・・・というか。

 

宇宙人がどうとかいう、

そういうスピリチュアルは。

 

あまり好きではない。

 

・・・というか。

 

ハッキリ言って、嫌い!

 

・・・なのですがにやり

 

 

私がそういう、

「ニューエイジのスピ嫌い」

になった原因のひとつが。

 

おそらくこの。

 

変な人。

 

・・・にあるのだろうと

思いますニコニコ

 

 

なので、

ある意味では。

 

その人は。

 

私の記憶に残った、

重要な人。

 

・・・とも言えるのかも

しれませんにやり

 

 

つづく

 

 

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