『Evening』

ガブリエル・フェリエール

(1911年)

 

 

 

***2019年11月9日の日記***

 

 

OSHOの瞑想センターに

初めて行った時は、

 

私とOSHOの彼を含め、

参加者はたったの

4人しかいませんでした。

 

 

「え?これだけ?」

 

 

・・・と思いました。

 

 

OSHOの彼の話を

聞いていた時は、

 

もっとたくさんの人が

いるものだとばかり

思っていたので。

 

想像していたよりも

人が少なかったことに、

 

少し驚きました。

 

 

その頃は私も、

 

毎日のように家で瞑想を

したりしていたので、

 

もう瞑想自体に対しては、

特に抵抗はありませんでした。

 

 

そして瞑想は、

 

正しい方法もそうですが、

瞑想慣れした人と一緒に行うと、

引っ張られて入りやすい。

 

・・・とも聞いていたので、

少し、期待してもいました。

 

 

もしかしたら。

 

普段とは違う体験が

出来るのかもしれない。

 

・・・と。

 

 

けれども実際は。

 

普段とほとんど

変わらなかった。

 

・・・というよりも。

 

家でひとりで

瞑想している時のほうが。

 

逆に入りやすくない?えー?

 

・・・と。

 

そういう印象を

受けたりもしました。

 

 

*******

 

 

その後、

OSHOの彼から連絡があり。

 

近々、新しく弟子になる人を祝う、

セレブレーションがあるから、

 

参加して

みてはどうですか?

 

・・・という、

お誘いがありました。

 

 

OSHOの彼は、

その内容についてとか。

 

そういうことを、

事細かに詳しく語るような

人ではなかったし。

 

私も、

いちいち聞く人でも

なかったので。

 

それが一体何なのかは、

全然わかりませんでしたが。

 

 

「滅多にない、

とても貴重な機会だから」

 

 

・・・という彼の言葉に。

 

私の「好奇心」は逆らえずにやり

 

 

*******

 

 

その日は。

 

以前の瞑想の時とは違って、

たくさんの人が集まって

いました。

 

そこにいるほぼ全員が、

 

私にとっては

知らない人だったのですが。

 

でもなぜか。

 

私は最初から、

やけにくつろいでいて。

 

あっという間に。

 

そこに溶け込んでいました。

 

 

「なんだろう?この感じ。

やたら、居やすいのだけど??」

 

・・・と。

 

それこそ。

 

昔なじみの親戚の集まりにでも

参加しているかのような。

 

そんな感じがしていました。

 

 

そこにいる人達と、

しばらく歓談していると。

 

「さあ、そろそろ」

 

・・・と、リーダー?の人が

立ち上がりました。

 

そして。

 

その人について、

みんなでゾロゾロと

大きな部屋へと移動して。

 

そして。

 

イニシエーションの儀式。

 

・・・というものが

始まりました。

 

 

その内容のほとんどを。

 

私はさっぱり、

覚えていないのですがニコニコ

 

 

たしか。

 

みんなで、

踊りまくっていた気がします。

 

 

けれども。

 

「踊ること」

 

・・・というのは、

私にとっては、

 

「十八番」

 

みたいなものでしたし。

 

 

子供の頃から、

ずっと踊ってきていた私には。

 

そこでの踊りは少し、

物足りなかったのを

覚えています真顔

 

 

バブル時代のディスコでは。

 

この儀式の時より、

ずっとはじけてたよな。

 

・・・なんて

思ったりもしてニコニコ

 

 

おそらく私にとっては。

 

瞑想状態に入ったりとか、

歌や踊りなどで自分を解放する。

 

・・・ということは。

 

そこまで難しいことでは

ないのでしょう。

 

 

それは。

 

もともとの気質も

あるのでしょうけれども。

 

「慣れ」

 

・・・もあったのだろうと

思います。

 

 

OSHOの彼は。

 

「それはもう、

とんでもなく素晴らしい

解放の体験だよ」

 

・・・みたいに、

大袈裟に言っていましたがにやり

 

 

バレエを通しても

そうでしたが。

 

たとえば学生時代に

ハマったコンサート通いとか、

 

バンドをやっていた頃の

ライヴの経験とか。

 

あとはそれこそ、

バブル時代のディスコとかニコニコ

 

 

そういう場でも、

 

一種のエクスタシーを伴った

「解放」は起こりました。

 

何も。

 

「宗教的な儀式」

 

・・・ではなくても。

 

「それ」は、

起こるものだ。と。

 

 

私は。

 

経験的に、

そう思うのです。

 

 

だからやっぱり。

 

そこだけが特別。

 

そこだけでしか、

起こらない。

 

 

・・・というのは。

 

違うよな。

 

・・・と。

 

あの時も。

 

思いました。

 

 

*******

 

 

その儀式のあと。

 

サニヤシンの人達に囲まれて、

食事会だったか、お茶だったか。

 

・・・をしながら、

また、みんなでいろいろと

おしゃべりをしていたのですが。

 

やはり、

そこにいた人達とは

やけに波長があって。

 

「ここは本当に。

妙に居心地がいいな」

 

・・・と、そう感じていました。

 

 

でも、その時。

 

私よりもおそらく年下であろう

初対面の若い女性が、

 

いきなり、普通に。

 

「もう、離婚したの?」

 

・・・と、笑顔で訊ねてきてポーン

 

 

私は、

顔には出しませんでしたが。

 

内心。

 

すごく、

びっくりしていました。

 

 

「はじめまして。

もう離婚した?」

 

・・・なんて。

 

そんな会話。

 

今までしたこと

ありませんでしたからキョロキョロ

 

 

「え???驚き

してないけど???アセアセ

 

・・・と、私が答えると。

 

「あ、まだなんだ~ほっこり

 

・・・と、彼女は言いました。

 

 

そして私は。

 

彼女のこの一言で。

 

なぜか、

ピンときたのでした。

 

 

*******

 

 

あの時、

直感的に解ったことは。

 

のちのち。

 

サニヤシンの人達と

いろいろ話すうちに。

 

確信に変わりましたが。

 

 

あの場は。

 

あそこに集う

人たちにとっては。

 

「我が家」

 

・・・のようなもので。

 

 

その「家」の中に、

自分にとっての「真の」

パートナーがいる。

 

・・・と。

 

そう信じているんだね。

 

・・・と。

 

あの時、

感じたのです。

 

 

だから。

 

OSHOに導かれて

その家に帰ってきた人に

とっては。

 

そこに戻る前の、

外の世界で出会った

今までパートナーは。

 

仮初。

 

・・・というか、

本物のパートナーでは

ないわけで。

 

なので。

 

自分の本当の居場所に

目覚めたからには。

 

もう、

その仮初は切って。

 

本来のパートナーと

一緒になることが

自然なことなのだ。

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

このコミュニティの中では。

 

世間一般の「常識」は。

 

きっと、

ほとんど意味のないもの

なのだろうな。と。

 

そう感じました。

 

 

でもたしかに。

 

「常識」というものは。

 

幻想ですから。

 

 

だから。

 

彼らの思うところも。

 

分からないわけでは

ありませんでした。

 

 

けれども。

 

人が集まるところには必ず、

そこに「常識」ができる。

 

・・・というのもまた。

 

本当のところで。

 

 

OSHOの弟子の人達は、

「世間一般の常識」からは

解き放たれようとして

いましたが。

 

結局。

 

その

 

「コミュニティ内の常識」

 

・・・というものには

やはり。

 

無意識に

囚われているように。

 

私には見えました。

 

 

そうやって。

 

 

人は信じる常識は

それぞれ違っても。

 

そこに囚われてしまう。

 

・・・という点では、

結局みんな同じであって。

 

 

なので要は。

 

自分は自分の人生に、

どんな常識を設定するのか。

 

・・・ということを、

「意識的に」選択して。

 

 

それを分かった上で、

自分の人生のドラマを生きれば。

 

それでいいのだと。

 

私は思っています。

 

 

*******

 

 

私も。

 

正直に言えば。

 

OSHOのコミュニティの中で、

やたらと居心地よく。

 

妙にそこに馴染んでいる

自分を感じ。

 

その「我が家」の感覚を、

感じていたのは確かでした。

 

 

けれども。

 

今の家族を手放すつもりは、

最初から毛頭ありませんでした。

 

そういう理由で

離婚なんてことは。

 

私にとっては、

言語道断でした真顔

 

 

夫とは、

それまでに何度も一緒に、

 

「離婚の危機」

 

・・・を乗り越えてきました。

 

そうやって私たちは。

 

共に、

成長してきたのですから。

 

 

「恋愛」ではなく、

「結婚」となれば。

 

一緒に生活するようになり。

 

毎日、毎日、

顔をつきあわせて。

 

そうなれば、

どんな人が相手でも。

 

大なり小なりのトラブルは、

必ず起こります。

 

 

けれども。

 

お互いのエゴ同士が

衝突した時、

 

そこから逃げないで、

ちゃんと向き合えば。

 

お互い必ず、

成長できるものです。

 

 

だから。

 

そういうところから逃げて、

理想の新しいパートナーを

求めたところで。

 

自分の課題が

解決していない限りは、

 

結局、

同じことを繰り返すだけだ。

 

・・・と。

 

私はいつも。

 

そう思っていました。

 

 

もしもいつの日か。

 

自分の中にある課題を

お互いがすべてクリアした

あとは。

 

その先はどうなるのかは。

 

それは、

私にも解りませんが。

 

 

けれども。

 

OSHOの瞑想センターに

行ったあの頃は。

 

自分にそういう「時期」が

来ているとは、

 

到底、思えませんでした。

 

 

あまり深いことを

考えることなく。

 

ツインソウルと出会った。

 

真のパートナーと出会った。

 

・・・と。

 

その場のノリで、

安易に離婚を選ぶ人が。

 

スピリチュアルの世界には

たくさんいるように

見えましたが。

 

 

自分自身の課題が

解決していなければ、

 

たとえ、

 

「魂の伴侶」

 

・・・に出会ったとしても。

 

そこに「真の統合」は

起こらないだろうと。

 

私は思っています。

 

 

*******

 

 

後日、

OSHOの彼からメールが来て、

 

「シャクティパットについて、

どう思った?

 

多くの人が、

あれに興味を持つんだよね」

 

・・・と言ってきました。

 

 

シャクティパット?うーん

何?それ?にやり

 

・・・と思いながら。

 

あぁ、あれか。と。

 

儀式の中で行われていた、

妙なシーンを思い出しました。

 

 

OSHOの彼にそう言われて、

少し調べてみたら。

 

その意味は解りましたが。

 

 

でも。

 

そういうものは、

私にとってはすべてが。

 

「思い込みの世界」

 

・・・に見えて、

仕方ありませんでした真顔

 

 

OSHOの彼に

初めて会った時。

 

彼は、死んで生き返る

マスターの話を、

 

目を輝かせながら

話してくれましたが。

 

 

その彼はきっと。

 

「シャクティパット」

のことも。

 

心底信じているのだろうな。

 

・・・と。

 

そう思いました。

 

 

ある意味、

 

彼のその素直さや純粋さが、

羨ましくもありました。

 

 

でも。

 

私はもう。

 

そこにはいないのです。

 

 

「信じる人」の強みは。

 

「信じられること」だと

思いました。

 

 

なぜなら。

 

この世はすべて。

 

思い込みで

出来ているのですから。

 

 

自分がそう思えば。

 

世界は。

 

そういう形になるのです。

 

 

OSHOの彼の持つ

あの純粋さは。

 

母が持つものと同じだ。と。

 

あの時、

そう思いました。

 

 

そして。

 

以前書店で見た

OSHOの本の帯に、

 

母の先生の言葉が

書かれていたことは。

 

なんて解りやすい

メッセージだったのだろうと。

 

その時、

 

ハッキリと解りました。

 

 

母とOSHOの彼が。

 

私に対して、

まったく同じテーマを

持ってきていることに。

 

その時、

気づいたのです。

 

 

母やOSHOの彼が

私に思い出させるもの。

 

彼ら(の魂)が導こうとする

その先にあったものは、

 

それはおそらく、

「過去生の世界」です。

 

 

あの時に起こっていたことは、

 

OSHOからの誘いではなく。

 

「過去からの誘惑」

 

・・・だったのです。

 

 

それぞれの魂たちは。

 

私にとっての、

そういうドラマを。

 

創っていてくれたんだ。

 

・・・と。

 

 

私はその後。

 

どんどん、

気づいていくことに

なりました。

 

 

つづく

 

 

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