『Mother and Child in darkness』

Angel Sprits Calender 2016より

スラミス・ヴュルフィング

 

 

 

***2019年10月30日の日記***

 

 

暦の会の彼が

瞑想会でOSHOの瞑想を

教えてくれることになり。

 

「OSHOのどの瞑想を

やりたい?」

 

・・・と訊かれたので。

 

 

私は。

 

「ナーダ・ブラーマ瞑想」

 

・・・と、

即答しました。

 

 

例の。

 

ハミングを使った瞑想です。

 

 

それは。

 

もともとはチベットに

古くから伝わっていた

瞑想を。

 

OSHOが現代人のために

アレンジしたものだ。と。

 

以前、OSHOの彼から

聞いていました。

 

 

*******

 

 

始まりは。

 

レイオルトの、

 

「歌いながら瞑想しなさい」

 

という言葉でした。

 

 

あの言葉がキッカケで、

 

OSHOの彼との

その後の流れが

起こりましたが。

 

それ以外にも

あの言葉は。

 

私にある変化を

もたらしていて。

 

 

それによって私は。

 

「声の響き」

 

・・・というものに、

意識を向けるようにも

なっていきました。

 

 

そんな時に。

 

梅野さんに誘われて

参加したあのイベントの中。

 

「レムリアのマントラ」

 

・・・と称されたものを

聞きました。

 

 

その時、

私はなぜか。

 

 

「あぁ、違うよ。

 

これは本来は、

倍音を使うものだよ」

 

・・・と、

無意識に思っていて。

 

 

そのあと、

ハッと我に返り。

 

 

「あれ?

私なんで、そんなことを

思っていたのだろう?

 

ところで、

倍音って何?うーん

 

 

・・・と。

 

 

とても不思議な

気持ちになりました。

 

 

 

するとその直後に。

 

探してもいないのに、

「倍音のワーク」という

ワークショップに偶然出会い。

 

これはもう、

行くしかない。とニコニコ

 

 

そういう流れの中で、

チャクラ発声とか

ヴォイス・ヒーリングなどの。

 

「声」を使った

ワークを学んでいくうちに。

 

気づけばすっかり。

 

「声のパワー」

 

・・・というものに、

ハマっていったのです。

 

 

*******

 

 

暦の会の彼に

出会ったのは。

 

OSHOの彼から

ナーダ・ブラーマ瞑想に

ついて聞いた時からは、

 

もうだいぶ

経った頃でしたが。

 

やはり。

 

何かが繋がっているような。

 

そんな気持ちになりました。

 

 

なのであの時は。

 

私は迷いもせず、

その瞑想を選んだのですが。

 

暦の会の彼からは。

 

 

「なんか。

マニアックなところを

選ぶね」

 

 

・・・と言われましたにやり

 

 

 

OSHOの彼に、

 

「OSHOがあなたを呼んでいる」

 

・・・と言われて以来。

 

 

私も。

 

OSHOのことがまったく

気にならなかったわけでは

ありませんでした。

 

 

 

OSHOの彼が話していた、

日本にある

OSHOの瞑想センターとか、

 

定期的に行われている

瞑想キャンプとか。

 

そういうものに、

行ってみたほうが

いいのかな?

 

・・・と、思ったり。

 

 

でも。

 

なんだかどこかで、

ものすごく躊躇している

自分もいて。

 

その自分を、

無視するわけにもいかず。

 

 

「行かないと

いけないのかしら?」

 

・・・という思いと、

 

「行くのは絶対にイヤだ」

 

・・・という思いが、

 

自分の中で、

交錯していました。

 

 

そして。

 

OSHOの彼にはきっと。

 

「まだ、時期じゃないんだね」

 

・・・とか

思われているんだろうなぁ。

 

・・・と思うと。

 

なぜだか、

悔しい気がしてきてにやり

 

 

私のエゴは。

 

OSHOの彼にあれこれ

説明したい気持ちで

いっぱいだったのですが。

 

 

そんな時に、

レイオルトと対話すると。

 

彼は、

こう言ってくるのです。

 

 

「落ち着きなさい」

 

・・・と。

 

繰り返し、繰り返し、

何度も。

 

 

なのであの時。

 

私は自分のエゴは

グッと抑え。

 

何も言いませんでした。

 

自分の本当のところは、

すべて黙っていました。

 

 

ナーダ・ブラーマ瞑想も。

 

その瞑想自体には

興味がありましたが。

 

瞑想センターに行くのは

気が引ける。

 

・・・と思っていたところに、

暦の会の彼と出会って。

 

 

あの時もやはり、

思ったのです。

 

 

「自分にとって、

本当に必要なものって。

 

やっぱり、

あっちから勝手に

やってくるよね」

 

 

・・・とおやすみ

 

 

こういう感じのことを

くり返すうちに。

 

これはいつしか。

 

私の「信念」と

なっていきましたが。

 

 

私がこういう信念を、

 

自分の人生に

「設定」してからは。

 

人生はますます、

そういう風になっていきました。

 

 

そうやって。

 

自分自身で創り上げる

「物語」に。

 

自分自身で。

 

こういう風に、

感動しているのです。

 

 

あぁ、やっぱり。

 

魂が起こすことは、

すべて、完璧だね。

 

・・・とおやすみ

 

 

*******

 

 

OSHOの彼は私に。

 

「待っていてはいけないよ」

 

・・・なんて言っていました。

 

 

彼の中には。

 

待っていても、

何も起こらない。

 

自分から行動しないと、

何も変わらない。

 

・・・という思いが

あったのでしょう。

 

 

それが彼の、

 

「信念」

 

・・・だったのでしょうねおやすみ

 

 

でも私の信念は。

 

「果報は寝て待て」

 

・・・なのです。

 

 

自ら進んでいって

勝ち取る。

 

・・・というのはおそらく。

 

男性の理論です。

 

男性。

 

・・・というか、

男性性。というか。

 

 

女性は多分。

 

信じて待っているほうが。

 

性にあってる。

 

・・・と、

私は思っていたりします。

 

 

そういうところもきっと。

 

男女は逆なのだ。とおやすみ

 

 

*******

 

 

13の月の暦。なんて。

 

OSHOとはまるで

無関係に見える場で

出会った人から。

 

「OSHO」という言葉を

聞くことになって。

 

 

さすがに私も。

 

 

「うーん。これは。

 

真面目に、

OSHOの本を読んでみる?」

 

 

・・・という気持ちになりました。

 

 

なのである日、

書店でOSHOの本を

手に取ったのですが。

 

その瞬間。

 

私の中で、

 

何かがチラッと

繋がった感覚がありました。

 

 

なぜなら。

 

そのOSHOの本の帯に、

ある、仏教学者による

本の推薦の言葉が

書かれていて。

 

その仏教学者というのが、

あの、紀野一義さん

だったからです。

 

 

それは。

 

母の大好きな、

あの先生です。

 

その人の名前が。

 

OSHOの本と共に、

そこにあったのです。

 

 

私はそれで。

 

なんとなく何かを察し。

 

OSHOの本はそのまま、

棚に戻しました。

 

 

結局私は未だに。

 

OSHOの本は、

一冊も読んだことはありません。

 

 

ネットのサイトなどで、

OSHOの言葉を読んだりすると。

 

とても心地よく。

 

その世界。というか。

OSHOの物の見方が。

 

私にはとても

フィットしているのが

よく解ります。

 

 

けれども。

 

今生で私が。

 

OSHOの世界に

足を踏み入れることは

きっとないでしょう。

 

 

その理由は。

 

さらにあとに起こる

流れの中で。

 

ハッキリしていくのですが。

 

 

つづく

 

 

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