『瞑想』

ウジェーヌ・グラッセ

(1897年)

 

 

 

***2019年10月31日の日記***

 

 

自分の直感で、

ピンと来たものに関しては。

 

私は割と、

迷いなくすぐに進んで

いくほうなので。

 

そういう時は、

行動が早いです。

 

 

けれども。

 

「あなたはこうしたほうがいい」とか。

「あなたにはこれが向いている」とか。

 

 

自分以外の誰かに、

私の進むところを定義された

時というのは。

 

かなり、

腰が重くなり。

 

動きが鈍くなりますにやり

 

 

・・・というのも。

 

そういう時は。

 

自分は本当は、

それにはなんの興味も

ないのに。

 

その相手との、

 

「お付き合い」

 

・・・を重視して

迷い始めてしまうからです。

 

 

言ってくれた相手の

気持ちを考えて、

 

言われたことを

実践するか。

 

それとも、

自分の気持ちを重視して、

 

言われたことは、

完全にスルーしてしまうか。

 

・・・という、

その二択で迷いはじめ。

 

結論がなかなか

出なくなります真顔

 

 

「OSHOが呼んでいる」

 

・・・と言われて。

 

自分では呼ばれている

気はまったくしなくても。

 

それでも、

「行ってみたほうがいい?」と、

そんな風に思ったのは。

 

多分あれも、

OSHOの彼との

「人間関係」を。

 

私は、

重視したからなのだろうと

思います。

 

 

OSHOはともかく。

 

OSHOの彼には、

私自身が確実に。

 

ご縁。を

感じていましたから。

 

 

けれどもあの時。

 

OSHOの彼は。

 

こんな風にも

言っていました。

 

 

「僕が月を指すとき。

 

僕の指ではなく、

指の先にある月を見てください」

 

・・・とにやり

 

 

これも結局はおそらく。

 

実際はOSHOの言葉の

受け売りなのでしょうが。

 

ここでこういうことを

言い出すOSHOの彼を

見ながら。

 

あの時も私は。

 

なんだか、

苦笑いしていました。

 

 

彼はきっと。

 

自分ではなく、

OSHOを見て。

 

・・・と

言いたかったのでしょう。

 

そして

こういうのもきっと。

 

男女の違いなんだな。

 

・・・と。

 

今は思いますにやり

 

 

男の子の赤ちゃんは、

おもちゃの車を見ている

時間が長くて。

 

女の子の赤ちゃんは、

人の顔を見ている時間が長い。

 

・・・と。

 

そんな話を

聞いたことがあります。

 

 

男性性が、

 

今、ここにないものを

追い求める。

 

・・・のに対して、

 

女性性は、

 

今、ここにあるものとの

繋がりを重視する。

 

 

男性性は天を目指し、

女性性は地に降りる。

 

 

OSHOの彼は、

 

「出会った人はみんな、

質の高い人たちだったけど。

 

でも、解っていたけど。

 

やっぱり、

 

人はそう簡単に、

自分の生活様式を

変えられないことを痛感した。

 

人生は短く、

時間は有限です。

 

だから、

 

僕はもっと先に

進もうと思う」

 

・・・と言っていました。

 

 

一見。

 

誰かほかの人達に対する

見解を述べたようなこの言葉も。

 

実は私に向けて

言っているのだろうなぁ。

 

・・・と。

 

なんとなく、

そう感じました。

 

 

いつまでも、

動かない私に対してにやり

 

 

だから、

言ったのです。

 

「あなたの言葉を聞いていると、

焦りを感じる。

 

自然の流れに任せて、

ゆっくり進むのでは

ダメなの?」

 

・・・と。

 

 

この言葉。

 

「額面通り」に

受け止めれば。

 

私が焦っている。

 

・・・と見えるでしょうが。

 

 

私はあの時。

 

焦ってはいませんでした。

 

 

「すべては、

成るように成る」

 

・・・というのが、

私の信念だったからです。

 

 

逆に。

 

彼の中のほうにこそ。

 

焦りがあるように

見えていました。

 

 

私のあの言葉を。

 

彼がどう受け取ったのかは

解りませんが。

 

彼からは。

 

こういう返事が

返ってきました。

 

 

「流れにまかせて来れる人と、

来れない人がいる。

 

それは本当に、

あなたのハートから

来ていますか?

 

エゴの言い訳では

ないですか?」

 

・・・とにやり

 

 

こうやって。

 

私達はいつも真逆で。

 

 

これは自分のハートからの

気持ちである。と、

 

私自身が心から

そう感じていることが。

 

OSHOの彼には、

 

「エゴの言い訳」

 

・・・に映り。

 

 

彼の本心、

そのハートからの言葉が。

 

私には、

彼のエゴに映ったのです。

 

 

こういう、

ギクシャクした関係性は。

 

エゴには本当に、

疲労をもたらすのですが。

 

 

多分。

 

魂は喜んでいたのだろうな。

 

・・・と。

 

今は思いますおやすみ

 

 

*******

 

 

「待っていてはいけないよ」

 

・・・という彼のほうが。

 

実は、

 

待っている人である。

 

・・・ということに、

 

おそらく。

 

彼自身も気づいては

いなかっただろうと思います。

 

 

情報を小出しにして。

 

いわゆる、

 

「匂わせ」

 

・・・だけして、

肝心なことは隠してくる

OSHOの彼に対して。

 

 

暦の会の彼は。

 

もっと簡単に。

 

OSHOのことを、

あれこれ教えてくれました。

 

 

インドのプーナでは。

 

書類にサインするだけで

簡単にOSHOの弟子に

なることができるのだそうです。

 

暦の会の彼は

悩みに悩んだ末、

 

結局、

弟子にはならなかった。と。

 

そう言っていました。

 

 

「なぜ、弟子にならなかったの?」

 

・・・と、私は訊いたような

気がするのですが。

 

あの時彼が、

なんて答えたのかは。

 

覚えていません。

 

 

ただあの時。

 

書類にサイン。って。

 

弟子って、

そんな簡単になれるものなの?えー?

 

OSHOはもう、

亡くなってるのに???アセアセ

 

・・・と、

ものすごく違和感を感じたのは

覚えています。

 

 

そして、

暦の会の彼が。

 

日本にも、

OSHOの瞑想をできるところが

いくつかあるけど、

 

ここがお薦めだよ。

 

・・・と教えてくれたところは。

 

OSHOの彼のいる

コミュニティとはまた別の、

コミュニティでした。

 

 

「もうひとつのコミュニティは、

ダメなの?」

 

・・・と訊くと、

彼はこう答えました。

 

 

「うーん・・・

 

そこは、ちょっと。

 

カルトっぽいっていう噂が

あるんだよね」

 

 

・・・と。

 

 

あ。なるほど。

 

・・・と。

 

 

その時私は、

思っていました。

 

 

つづく

 

 

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