『扉を背にした

ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』

アメデオ・モディリアーニ

(1919年)

 

 

 

***2019年10月29日の日記***

 

 

リンポチェのお話会や、

月の庭のイベントに

一緒に出かけて以来。

 

ホピの彼女や

主婦の彼女とは、

 

以前よりも更に、

親しくなり。

 

 

ネット上だけの

お付き合いの頃には

まだわずかにあった、

 

緊張感というか。

遠慮というか。

 

そういうものも、

なくなっていき。

 

 

もうほとんど、

リアルのお友達。

 

・・・になっていました。

 

 

どんどん

仲良くなっていくこと。

 

 

それはとても

自然なことでしたが。

 

彼女たちと仲良く

なればなるほど。

 

なぜか私は。

 

そこに、

違和感を感じ始めました真顔

 

 

これは私の

勝手なエゴですが。

 

そうやって、

慣れあっていくことで。

 

それで満足して。

 

そういう場。

 

そういう心地よい場に

留まってしまうことが。

 

多分、

イヤだったのだろうと

思います。

 

 

もし彼女たちと最初から、

 

普通の遊び友達として

出会っていたとしたら。

 

 

私はきっと。

 

何もこだわらなかったと

思います。

 

 

でも。

 

せっかく、

精神世界を語り合える人達。

 

・・・という形で

出会った人たちだったから。

 

ただ普通に、

遊んでいるのではなく。

 

共に、精進しながら

目指したかったのだと

思います。

 

より、高みを。

 

 

私は。

 

子供時代はバレエの世界で

育ったこともあり。

 

ああいったストイックで

厳しい雰囲気の中で、

 

目指す。

 

・・・ということが、

 

結構好きだったり

するのですニコニコ

 

 

いつだったか。

 

OSHOの彼が、

こんなことを言いました。

 

 

「多くの人が、

山を登り始める前に。

 

その山の麓で

おしゃべりを始めてしまうね」

 

 

・・・と。

 

 

私は彼のその言葉を

聞いた時。


彼のこういう

ストイックなところに。

 

少し、

苦笑いしていました。

 

 

そして。

 

コメント欄で、

ホピの彼女や主婦の彼女たちと

楽しく語らう自分のことを。

 

否定されたような

気持ちにもなり。

 

 

なので私は、

ついつい。

 

 

「裾野でのおしゃべりも。

 

その人にとって必要なこと

であるのならば。

 

それはそれで、

いいと思うよ」

 

 

・・・と。

 

そんな風に

言い返してしまったりも

しましたが。

 

 

でも今となってみれば。

 

彼のああいった

ストイックさは。

 

彼の中だけに

あったものでもなく。

 

私自身の中にも

あったものなのだろうと

いうことが。

 

すごくよく

見えたりもします。

 

 

だからあの時。

 

同族嫌悪的な

気持ちが起こったの

でしょうし。

 

 

実際に彼女たちと会って。

 

だんだんと仲が親密に

なっていくにつれて。

 

OSHOの彼のあの言葉が。

 

自分の中で、

どんどん大きく響くように

なっていったのでしょう。

 

 

*******

 

 

ホピの彼女や

主婦の彼女は。

 

「目指す」

 

・・・ということよりも。

 

「癒し」

 

・・・を求めているように。

 

私には見えました。

 

 

あの頃私は。

 

OSHOの彼や、

占い師の彼や、

絵描きの彼。

 

・・・と、

深い話をたくさん

していましたが。

 

そういった「男性たち」と

話している時のほうが、

 

何かがスムーズに

流れる感じがして。

 

 

なのでますます。

 

「男とは?」「女とは?」

 

・・・みたいなことを、

よく考えるようになり。

 

そうしているうちに

いつしか。

 

自分の中にある、

 

「男性性」と「女性性」

 

・・・というものについて、

 

どんどん意識するように

なっていった気がします。

 

 

*******

 

 

スピリチュアル的な場に

出かけることへの関心は。

 

その頃はどんどん

強くなっていましたが。

 

 

今後は、

彼女達とは行動を別にし。

 

独りで動きたい。

 

・・・と。

 

そんな風に思い始め。

 

 

そんな時、

あるイベントの告知をみつけ。

 

早速、

申し込みをしました。

 

 

それは、

当時とても関心を持っていた

「13の月の暦」の勉強会で。

 

毎月開催されている

ものでした。

 

 

月ごとにテーマがあり。

 

私が初めて

参加した時のテーマは、

 

「ヨガ」でした。

 

 

暦の勉強会のあと、

軽くヨガと瞑想の実践があり。

 

私はその時初めて、

ヨガを体験しました。

 

 

その時に隣にいた女性と

話が弾み。

 

勉強会が終わったあとも。

 

私達がしばらくそこで

話し込んでいると、

 

反対側の隣にいた男性が、

話しかけてきました。

 

 

「瞑想に

興味あるんですか?」

 

・・・と。

 

 

その時彼女と私は。

 

瞑想のことを、

話し込んでいたのです。

 

 

*******

 

 

その男性は、

クラニオセイクラルという

ボディ・ワークをしていた

ヒーラーで。

 

しばらく話しているうちに、

 

その人が日頃から、

瞑想を実践している人だと

いうことが解ってきました。

 

 

いつものように、

ついノリでにやり

 

 

「わぁ~、

 

じゃあ、

瞑想教えてください!

 

ぜひぜひ、

瞑想会を開いて~キラキラ

 

・・・なんて。

 

軽く言ってしまったのですが。

 

 

瞑想を教えてもらいたい。

 

・・・というのは、

本心でした。

 

 

彼はその後。

 

本当に瞑想会を

開いてくれて。

 

 

そういうことがキッカケで、

 

その彼ともその後、

親しくなっていきました。

 

 

ただ。

 

彼からよくよく話を

聞いてみると。

 

彼はしばらくの間、

インドに行っていた

とのことで。

 

インドのプーナにある、

OSHOの瞑想センターに

しばらく滞在して。

 

そこで、

瞑想をしていた。

 

・・・と真顔

 

 

だから。

 

OSHOの瞑想を中心に

教えてあげるよ。

 

・・・と真顔

 

 

それを聞いた時は。

 

私は思わず、

苦笑いでした。

 

 

あぁ。また。

 

OSHOが出てきた真顔

 

 

・・・と。

 

心の中で、

 

そう呟いていました。

 

 

つづく

 

 

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