『メランコリア』

アルブレヒト・デューラー

 

 

 

***2019年10月26日の日記***

 

 

梅野さんに誘っていただいた

『月の庭』のイベントで

展開されるような場。

 

・・・というものは、

 

私にとっては、

 

「非日常」

 

・・・の空間でした。

 

 

そういった

非日常空間の中では、

 

自分の意識が

普段とは変わって。

 

陶酔感。

 

・・・が味わえます。

 

 

そして、

そういうことは。

 

昔から知っていました。

 

 

若い頃。

 

あんなにライヴ通いに

熱中していたのも。

 

その心地よさを求めて

だったからです。

 

 

そうやって若い頃は、

ロックのコンサート。

 

・・・のような形の刺激が

フィットしていましたが。

 

大人になると、

 

その「形」もまた、

変化しました。

 

 

きっとその頃には、

 

若い頃とはまた

違った形での「刺激」が。

 

必要になったのだろうと

思います。

 

 

ずっと同じ

「形」のままだと、

 

飽きが来る。

 

・・・というか、

 

感覚がマヒして、

刺激が刺激ではなくなる。

 

 

そうすると、

 

「非日常」だったものも、

「日常」になってしまいます。

 

 

だから。

 

 

「非日常」の陶酔感を

得るために、

 

未知の刺激を求め始める。

 

 

それが私の場合、

 

その時の自分に

フィットした「刺激」が。

 

「スピリチュアル的なイベント」

 

・・・だったのだろうと

思います。

 

 

あの頃はまだまだ。

 

そういう「刺激」を

求めていました。

 

 

********

 

 

そんな「非日常」とは

裏腹に。

 

「日常」ではまた、

問題が起こり始めていました。

 

 

あのイベントに行ったのは、

2006年の11月の

満月の夜だったのですが。

 

そこから遡ること、

約2ヶ月。

 

 

あれは。

 

忘れもしない、

2006年9月の満月の夜。

 

私は家で、

大爆発を起こしていました。

 

 

それは、

 

実家で私の親と

同居するようになり、

 

半年くらい過ぎた

あたりのことでした。

 

 

まったく予想もしていなかった

娘夫婦との同居生活は。

 

案の定、私の両親たちに、

ストレスを与えていたようでした。

 

 

ただ。

 

さすがに両親も、

私のことは哀れに

見えていたのかぐすん

 

私に対して、

何か文句を言ってくることは

ありませんでした。

 

 

親たちが。

 

夫に対していろいろ思うことが

ありそうだったのは、

見ていて分かりましたが。

 

彼らはそれを、

直接夫にぶつけることは

ありませんでした。

 

 

そんな親たちの、

そのストレスのはけ口に

なってしまったのが。

 

子供たちでした。

 

・・・というか、

息子。でした。

 

 

娘はあまり

自己主張しないというか、

 

大人の言うことを素直に

聞くタイプだったのですが。

 

息子は、

わりと自分。というものを

持っている子でしたので。

 

 

彼が両親の

ターゲットになりましたぼけー

 

 

おそらく、

 

父も母も、

完全に無意識だった

でしょうし、

 

悪気もなかったのだと

思います。

 

 

けれども

そういう無意識的な、

 

「悪意なき悪意」

 

・・・というものは、

ちょっとやっかいでしたぼけー

 

 

なぜなら、

 

親達にはその

「自覚」がないからです。

 

 

そんなところに、

私が下手に何かを言ったら。

 

よけいに、

めんどくさいことに

なりそうで真顔

 

 

あの時。

 

両親のああいう姿を

観察しながら。

 

 

人って。

 

無意識でいるとこうやって。

 

どうしても、

「弱い者」に対して、

 

その攻撃性を向けてしまう

ものなのだな。と。

 

悲しい気持ちになりました。

 

 

*******

 

 

夫と結婚して、

彼の実家で同居していた頃も。

 

やはり、

ちょうど半年を過ぎた頃から、

 

いろいろなことが

起こり始めました。

 

 

その時に。

 

夫がチラッとこぼした言葉を、

今でも覚えています。

 

 

「うちの親が

こんな風になるなんて、

思ってもいなかった」

 

・・・・と。

 

 

あの時。

 

なんだか夫は、

自分の親のそういう姿に。

 

ショックを受けていた

ようでした。

 

 

結婚して、

子供を生んで。

 

そうやって自立したあとに、

また改めて自分の親と一緒に

暮らしてみると。

 

今までとは違う

親の一面が。

 

いろいろと

見えてきました。

 

 

それまでは、

「親」以外の何者でも

なかった人が。

 

「ひとりの人間」に

見えてきたりして。

 

そうやって、

「ひとりの人間」として

親を見た時。

 

彼らの「弱さ」が

あれこれ見えてきて。

 

だから子供は、

 

ショックを受けるのかも

しれません。

 

 

子供にとって

親というものは。

 

絶対的な存在。

 

・・・で。

 

 

親は自分にとって。

 

「自分よりも優れた完璧な人」

 

・・・みたいな。

 

そんなイメージが、

潜在意識の中にあるのだと

思います。

 

 

それが崩れていくとき。

 

やっぱり、

ショックを受ける。

 

 

私も、そうでした。

 

 

*******

 

 

しばらくは

黙って様子を見ていました。

 

 

こうして

同居することになり、

 

両親に迷惑をかけることに

なったことに。

 

すごく、

罪悪感を感じていたので。

 

そういう両親に対して、

私は何も言えずにいました。

 

 

・・・と同時に。

 

子育てに対して私が重要だと

思うポイントと。

 

親達が重要だと思っている

ポイントがズレすぎていて。

 

日常の些細なことに、

 

多少、

ストレスを感じたりも

していました。

 

 

それでも。

 

どこかに遠慮の気持ちが

あって。

 

やはり、

何も言えませんでした。

 

 

相手は、

自分の親なのに。

 

同居する前は。

 

なんだかんだと、

 

普通の親子関係

だったはずなのに。

 

 

この同居に至った

経緯が経緯でしたので。

 

私はあの時。

 

本来なら、

夫が背負うべき荷物を。

 

一緒に背負って

いたのだろうと思います。

 

 

けれども。

 

親たちの態度が

エスカレートし。

 

息子が爆発した時。

 

私も、

腹をくくりました。

 

 

もし次に、

両親が何かやらかしたら。

 

 

その時は、

私が思いきり爆発しよう。

 

・・・と、ひそかに、

心に決めたのです。

 

 

私が思いきり、

「ダメな娘」を演じて。

 

両親がストレスを

ぶつける矛先を、

 

子供達ではなくて、

自分に向けよう。

 

・・・と。

 

そう思いました。

 

 

ずっとこのままだと。

 

息子の心に、

傷が残りかねない。

 

・・・と。

 

それが、

心配だったからです。

 

 

そして、

それが起こったのが。

 

2006年の9月の

満月の夜でした。

 

 

*******

 

 

あの時の爆発の影響は。

 

その後何年も、

尾を引くことになりました。

 

 

あの時、私のエゴは。

 

「息子のため」

 

・・・と

思っていましたが。

 

 

でもそれは本当は。

 

私自身を癒していく旅の

始まりでもありました。

 

 

そういうことに

気づいたのは。

 

ずっとあとに

なってからでしたが。

 

 

19歳で

あの体験をして以来。

 

いつもどこか楽観的でした。

 

 

なんでも成るように

成っている。

 

そして。

 

すべてが幻想なのだ。

 

・・・と。

 

そう思って

生きてきていました。

 

 

だから、

どんなに大変なことが

起こっても。

 

あまり深く思い悩むことも

ありませんでしたが。

 

あの日のあの爆発が

キッカケとなり、

 

それでもやっぱり、

「人間Lyrica」は。

 

傷つくこともあれば、

悲しむこともあったんだ。

 

・・・と。

 

やっと。

 

そういうところに、

気づき始めたのです。

 

 

今までずっと

無視し続けてきた、

 

自分の中の

「インナー・チャイルド」の。

 

その子の

泣き叫ぶ声に、

 

初めて意識を向けてあげる

キッカケとなったのが、

 

あの日のあの爆発。

 

・・・だったのだと

思います。

 

 

*******

 

 

「浄化・癒し」の旅は。

 

これまでとは違って、

あれこれ痛みも伴って。

 

今までみたいに

 

「すべて幻想」

 

・・・で片づけていれば、

 

人生もっと、

ラクだったんじゃないの?えー?

 

・・・と。

 

途中で何度も

思ったりしました。

 

 

けれどもこのドラマも

やはり必然で。

 

そこを通らなければ、

今の私の、

 

こういう心境には。

 

きっと。

 

辿り着けなかっただろうと

思います。

 

 

あの頃から私は、

風邪を引きやすくなり。

 

体調を崩すことが

多くなってきて。

 

仕事も一旦、

やめることになりました。

 

 

スピリチュアル的な場に、

あちこち出向くように

なったのも。

 

ちょうど、

その頃からです。

 

 

つづく

 

 

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