『花と女性』 

オディロン・ルドン

(1890-95年頃)

 

 

 

***2019年10月24日の日記***

 

 

そのリンポチェのお話会は。

 

私にとっては、

人生初の。

 

「スピリチュアル的な場に

自発的に参加する」

 

・・・という

経験でした。

 

 

当時の私は、

 

スピリチュアル的な

ワークショップとか集い。

 

・・・のようなものには、

まったく興味がなく。

 

それどころか。

 

そういうことで

人が集まることに対して。

 

なぜか。

 

かすかな嫌悪感さえ

もったりしていました。

 

 

それは。

 

高校時代の教会での

経験なども。

 

どこかで影響していたの

かもしれませんが。

 

 

そして。

 

そういう

ワークショップは。

 

高額なものが多かったので、

 

そこまでして行きたい。

 

・・・とは

思わなかったのです。

 

 

例えば。

 

海外のバレエ団の

日本公演のチケットが

いくら高額でも。

 

それに対しては

すんなり受け入れられるのに。

 

 

スピリチュアル的な

ワークショップが

高額であることには。

 

違和感を

感じたりしていましたにやり

 

 

*******

 

 

そういう価値観を

持っていた私でしたので。

 

本来だったら、

 

ああいった場に足を運ぶ。

 

・・・なんてことは、

ないはずなのですが。

 

 

流れ。

 

・・・というものは、

本当に面白いものでおやすみ

 

 

もしあの時OSHOの彼が、

 

「チベット」という言葉を

口にしなかったら。

 

もしあの時

あのタイミングで、

 

主婦の彼女が、

突然あんなことを

言い出さなければ。

 

そして、ここは割と

重要なのですが。

 

あのお話会の料金が、

とても良心的でなければ。

 

 

私は多分。

 

動かなかったと思います。

 

 

思い返してみれば、

私の人生。

 

こうやって新たな一歩を

踏み出すときというのは。

 

いつもこんな感じでした。

 

 

なので私には、

 

自分の意思で動いている。

 

・・・という感覚は、

なんだか薄くて。

 

 

エゴはただ。

流れを読んでいるだけ。

 

・・・みたいな。

 

そんな感覚でいることが

多かったです。

 

 

自分にとって、

本当に必要なことは。

 

いつも。

 

向こうから勝手に

やってくる。

 

・・・と。

 

そう感じていました。

 

 

そして。

 

後ろから何かに押されて、

前に飛び出してしまった時は。

 

とりあえず、

行ってみるか(やってみるか)

 

・・・みたいな感じで、

物事が動いていきました。

 

 

すべての出来事は、

繋がっていて。

 

必然で。

 

 

あの時、

リンポチェのお話会への参加

というあのドラマが

発生したことも。

 

そこに至るまでの

一連の流れも。

 

 

それは。

 

自分の魂が起こして

いることで。

 

 

そこで起こる

「衝動」も。

 

自分の魂が。

 

エゴの背中を

押しているときに

生まれるものなのだろう。

 

・・・と。

 

いつも。

 

そんな風に

感じていましたおやすみ

 

 

********

 

 

のちの流れの中で。

 

このリンポチェ以外にも、

チベットのラマ僧たちには、

 

たくさん出会うことに

なっていくのですが。

 

 

彼らのことを

知れば知るほど。

 

ラマ僧の人達のことが、

とても好きになって

いきました。

 

 

彼らは、

仏教のお坊さんなので。

 

みんな物静かで、

とても真面目な感じでは

あるのですけれども。

 

ガチガチに

堅いわけでもなく。

 

なぜだかみんな、

どことなく。

 

お茶目ニコニコ

 

・・・な感じがしました。

 

 

あれから何年も

後のことでしたが。

 

ある時。

 

ラマ僧たちとたくさんの

交流を持った経験のある人に、

 

こんな話を聞きました。

 

 

チベットのお坊さんたちは

みんな。

 

普段は、

「ただのおじさん」にしか

見えなくて。

 

いろいろ聞いても、

 

あまりあれこれ

話してはくれないの

だけれども。

 

 

彼らに一度、

認めてもらえると。

 

今までとは打って変わって、

いきなりとんでもなく

深いことを語り始める。

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

このお話会の時に会った

リンポチェさんも、

 

すごく穏やかで、

静かな方でしたが。

 

同時にどこか、

ユーモラスで。

 

やっぱり少し、

シニカルでおやすみ

 

 

リンポチェは。

 

 

「仏教のある一派では、

女性は悟れないと

言われているんです。

 

でも、大丈夫。

 

大乗仏教では

そんなこと言ってませんから、

安心してください」

 

 

・・・と言っていて。

 

 

私は。

 

会場に来ていたすべての

女性達に対する、

 

リンポチェの

「思いやりの心」を。

 

そこに感じていましたおやすみ

 

 

そして。

 

「あなた方が今生、

こんなに良い国に

生まれてこられたのは。

 

前世で善い行いを

したからなのですよ」

 

・・・とも言っていました。

 

 

これは。

 

仏教のお坊さんらしい

言葉だな。と。

 

そんな風に思いましたおやすみ

 

 

今の私の記憶の中に。

 

意外にも、

かなり鮮明に残っていたのは。

 

彼のこんな言葉です。

 

 

その時リンポチェは。

 

少しいたずらっ子の

目をして。

 

こんな風に言っていました。

 

 

「(中国の侵攻後)多くの仲間が

アメリカに亡命したけれども、

 

その人たちは、みんな。

豚になってしまいました」

 

・・・と。

 

 

これは多分。

 

彼らはアメリカで。

 

たくさん食べて

太ってしまったよ。

 

・・・という意味だけで

言っているのでは

ないのだろうな。

 

・・・なんて

思って聞いていました。

 

 

こういう皮肉も。

 

それが、

「批判」や「蔑み」ではなくて。

 

本当の「憐み」の心から出た

言葉だったりすると。

 

聞いていてもなぜか。

 

気分が悪くなることは

ないんだなぁ。

 

・・・なんて思いながら。

 

 

私にああいった

反応が起こったのもおそらく。

 

ひとえに。

 

あのリンポチェの、

 

人となり。

 

・・・なのでしょうねおやすみ

 

 

********

 

 

リンポチェのお話会が

終わったあと。

 

私達三人は駅前で、

長々と立ち話をしていました。

 

もう、

夜も遅い時間でしたが。

 

なんとなく。

 

そのまま別れてしまうのが、

惜しかったからです。

 

 

私達はそこで。

 

相当長い間、

話し込んでいましたが。

 

もしあのまま、

すぐに帰っていたら。

 

ドラマはまた、

違う展開になっていた

ことでしょう。

 

 

あの時。

 

私達がそこで話していると、

 

ひとりの見覚えのある女性が、

 

こちらに向かって、

歩いてくるのが見えました。

 

 

つづく

 

 

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