海蔵寺から約1キロ
桑名宗社へ向かいます
桑名宗社 【くわなそうしゃ】
桑名神社と中臣神社の両社を合わせて桑名宗社といい、地域からは「春日さん」と呼ばれ親しまれています。
古くから桑名の総鎮守として崇敬され、8月にはユネスコ無形文化遺産に指定される「石取祭」が行われます。
このお祭りは「日本一やかましい祭」とされ、約30万人が訪れます。
伊勢国最初の神社とされ、伊勢神宮との関わり深い神社とされています。
また社宝として「村正」の太刀や徳川家康坐像、松尾芭蕉の短冊などを有しています。
伊勢国一の鳥居(七里の渡し場跡)
伊勢国東の玄関口に建ち、伊勢神宮の鎮座する伊勢国に最初の鳥居「伊勢国一の鳥居」といわれます
天明年間に伊勢神宮より御用材を譲り受けてより20年に1度、式年遷宮毎に建て替えられます
鳥居の御用材は外宮正殿の棟持柱、宇治橋外側に建つ鳥居として其々使用され、伊勢神宮と関係深い当神社が、遷宮毎に譲り受けることが習わしとされてるんやって
この鳥居をくぐることが、お伊勢参りの公式な順路とされています
青銅大鳥居
春日神社の銅鳥居、三重県指定文化財
この鳥居は、寛文7年(1688)に七代桑名藩主松平定重により建てられました
鳥居の前には、初代本多忠勝が慶長7年(1602)に寄進した木造鳥居がありましたが、承応2年(1653)に強風で倒壊
しるべいし
迷い児石とも言われ、人の集まる場所に立てられました
自分の子供が迷子になると、左側面の「たづぬるかた」に子供の特徴や服装などを書いた紙を貼り、心当たりのある者が右側面の「おしゅるかた」に、子供がいた場所などの情報を紙に記載し、貼っていました
楼門
天保4年(1833)に松平定永によって寄進された入母屋造りの重厚な趣の門
左右の間に像が安置されているようですが上り藤に大三の紋が入れられた紋幕で良く見通せないよね
門は昭和20年(1945)に戦災で焼失、現在の姿は平成7年(1995)に再建されたものと云う
楼門に掲げられている額には「桑名宗社」とあります
桑名宗社は、創建当時は桑名地方豪族の祖神を祀った桑名神社一社のみでしたが、後に中臣神社が境内に遷座し、桑名の総鎮守として総称として「桑名宗社」と呼ばれるように
中臣神社が桑名神境内に遷されたのは正応2年(1289)の事で、その後永仁4年(1296)に奈良の春日大社から春日四柱神を勧請合祀されたようで、地元では桑名神社や春日神社、或いは春日さん、春日大明神とも呼ばれ親しまれていますが、正式には桑名神社・中臣神社だそうです
楼門の間に安置されている左大臣・右大臣像の胸には、鳥居と同じ上り藤に「三」と「大」の文字が見えます
上り藤に「三」が桑名神社、「大」が中臣神社の神紋を表します
平成7年(1995)に楼門が再建されているのでその際に安置されたものでしょうね
手水舎
大きい鉢
お正月など人がいっぱい来るんでしょうね
拝殿
桑名宗社の拝殿は、大きな向拝を持ち、左右に唐破風向拝が付いています
現在の拝殿は昭和29年(1954)、昭和59年(1984)に本殿、幣殿の再建が行われたもの
紋幕には、左に上り藤に大、右に上り藤に三という二つの神紋が描かれています
楼門の像に描かれていた紋から、左が中臣神社、右が桑名神社の拝殿であることがわかります
御祭神
天津彦根命、天照大神の第三皇子桑名の産土神で海上安全と家運繁栄の霊験あります
御祭神
天久々斯比乃命、天津彦根命の御子です
中臣神社(旧春日大明神)
御祭神 天日別命、伊勢国造の遠祖で神武天皇の功臣
桑名神社の創建は定かではありませんが、平安時代中頃(927~943)に編纂された延喜式神名帳にも記された古社で天照大御神の第三子天津彦根命と、その子天久々斯比乃神の二柱をお祀りしてます
祭神の天津彦根命は、国史にも記載された様に、御子孫にとって特に繁栄になった神様で、天久々斯比乃命は神徳があり、桑名の豪族である桑名首の祖神であるため、桑名の開祖として繁栄の神として崇敬されています
以後、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、本多忠勝・松平定綱など歴代桑名城主から篤く崇敬されてきた神社なんやって
御神徳
子孫繁栄
子宝に恵まれ、子供の健やかな
成長を守り、家族円満にする御利益
事業繁栄
会社などの商売繁盛や目的達成による
繁栄と末永く在り続ける御利益
厄除開運
悪い事を引き起こす「穢れ」を祓い、
開運招福を呼び込む御利益
狛犬
妙に黒ずんでいる狛犬
天保3年(1832年)の銘が入ったもので、青銅鳥居でも記載したように、神社は空襲により被災しています
狛犬の黒ずみは、それを物語っているかもしれませんね
母山神社
御祭神
波母山神(なみもやまのかみ)
大己貴神(おおなむじのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
日本武命(やまとたけるのみこと)
宮簣媛命(みやずひめのみこと)
御神徳
安産・子孫繁栄・家内安全
古くより職人町産土神として当社に鎮座し、御祭神 波母山神は一に女性器の神格化とも云われてます
神社名に「母」という文字が付くことから子宝を願う者、妊婦や子持ちの者の願いを成就するとされます
明治末期に内務省より神社合祀政策が行われ、桑名街区各地にあった多数の神社が合祀されました
以来、毎年五月に合祀社祭が斎行されています
皇大神宮御分霊社
御祭神
天照大御神
御神徳
国家安泰・衣食住 産業の繁栄
抑も当社は、明治の初年当地北魚町に融通会所という庶民の金融機関なんやって
その社員一同は神宮崇敬の念殊に篤く、相謀りて御供講と称うる奉祀の会を結成し、神宮司庁に願いでて、その頃例の尠きを特に許されて、天照大御神の御分霊を勧請し奉り、春日神社境内の吉方乾の角に浄域と卜し、荘厳なる新殿をしつらえ、明治9年(1876年)11月19日御鎮座の式を挙げたる社にして、皇大神宮御分霊社と号したんだとか
爾来、御供講の母体の融通会所は、桑名銀行と改められ、後又百五銀行桑名支店と遷り変りても、御供講創始者の子孫と共に、年々11月19日を例祭日としています
桑名東照宮
御祭神
徳川家康公
御神徳
勝負・美容・良縁成就
元和3年(1617年)に千姫により、東照宮を勧請し境内社として祀りました
その社は元禄14年2月に焼失し、以後明治初年までは神宮寺に祀られていたが、再び境内社として祀りました
桑名東照宮の逸話
千姫は徳川幕府第二代将軍秀忠の長女であり、世間を騒がせるほど美しかったとされてます
慶長20年(1615年)に大阪夏の陣により豊臣家より奪還され江戸に向かう途中、桑名城主・本多忠政の息子・忠刻が千姫一行をもてなし、七里の渡しの船渡しを請け負うこととなるが、忠刻もまた眉目秀麗で誰もが振り返る美男子であり、武術のも長けた青年であったとされ、千姫は忠刻に一目惚れをしたんだとか
千姫は江戸に着くと直ぐに祖父の家康の許しを貰い、翌年に忠刻と結婚
千姫の嫁入り直前に家康は帰幽するが、桑名の地で出会い、成就させた千姫は家康にまつわる神宝を神社へ奉納し、感謝の意を込めて東照宮を建立したんやって
千姫と忠刻が桑名で過ごすのは、姫路城へ移るまでのわずか一年ではあったが、ひと時の幸せな時間を過ごしたとされてます
春日稲荷神社
御祭神
倉稲魂命
御神徳
商売繁盛・五穀豊穣・家内安全
当社は文政8年(1825年)に山城国紀伊郡稲荷神社(現・伏見稲荷大社)より御分霊を勧請し、今日に至るまで桑名市民の篤き信仰を捧げてきた神社なんよ
明治の末より大正の初めにかけて市内各町々に旧来より御鎮座する稲荷神社を同じ社殿に合祀せられ、御神霊も多く信者も広く、あらゆる階級職業の人に崇敬される神社でもあるみたいです
眺憩楼~MURAMASA MNSEUM~
明治時代の料亭「船津屋」を移築した建物であり、明治天皇をはじめ皇族の方々が宿泊されたことから菊紋が使用されています
こちらは拝観出来ます!
どこでもそうですが…
普通なら…拝観料…ってあるんですが…
こちらは
社務所で受付したら…無料で拝観出来ます
部屋より見る揖斐川と多度山の景色は素晴らしく、明治21年に有栖川宮熾仁親王殿下がお越しの際に、ご賞賛あらせられ御筆を採られて「眺憩楼」の名を賜りました
春日神社の所蔵する太刀・村正は美術的、歴史的にも貴重な作品であり、村正の代表作とされてます
天文12年(1543年)に村正自身によって奉納された作品であり、その刀に刻まれた銘文は、現存する「村正」の刀剣の中で最長とされ、歴史的に極めて貴重とされてます
ハート形の可愛い絵馬
縁結び…めちゃ人気なんやね
THE KASUGA
桑名宗社(春日神社)の敷地内にあり
モダンでオシャレでラグジュアリーな店内
結婚式や食事が出来る所なんです
通常御朱印
力強い字体…
東照宮の見開きの御朱印です
直書きですよね
三重県桑名市本町46
桑名お土産シリーズpart1
その手はくわなのひとくち焼きはまぐり 432円
伊勢湾に面している桑名は、何よりもハマグリの産地として知られています
特に「焼き蛤」が有名なんよ
ただし近年は干潟の減少により、水揚げ量は激減しているらしい
桑名の焼き蛤がどれほど有名かというと、昔から「その手は桑名の焼き蛤」という語があるくらい
『日本国語大辞典』には、以下のような例が引用されているので、江戸時代から知られていたらしい
*洒落本・品川楊枝(しながわようじ)〔1799〕「又はづさうと思って、其手はくはなのやき蛤(ハマクリ)、四日市夜のつきゑゑだア」
「その手は桑名の焼き蛤」は、「食わない」の「くわな」と地名の「桑名」とを言いかけ、さらにそれを桑名名物「焼き蛤」とした語
その手にはのらないという意味のしゃれてるよね
ひとくちサイズの「焼きはまぐり」
食べやすい小粒のはまぐりのむき身に薄く味をつけ焼いた後で乾燥
手軽につまめるおつまみ風に仕上げていますので、お酒のおつまみやおやつなどにおすすめやね
噛みしめるほどにはまぐりの旨みが口の中に広がりました