北桑名神社から徒歩5分ウインク
近いのって…ホントいいね爆笑

海蔵寺   【かいぞうじ】
当山は天正2年(1574年)頃に創建され、山号は法性山、ご本尊は「十一面観世音菩薩」です。宗派は曹洞宗、本山は道元禅師が開創された永平寺(福井)と瑩山禅師が開創された總持寺(横浜)でございます。

津市の四天王寺十七世晫州有暾大和尚を請うて当山の開山となりました。


元禄年間に地蔵堂、十六世仏頂禅栄大和尚により弘化2年に観音堂・安政元年に釈迦堂が建立され、昭和3年には十八世法海竹船大和尚により薩摩義士を祀った忠魂堂も建立されましたプンプン


本堂
昭和20年7月の桑名空襲によって、お堂や庫裡は全焼ガーン

昭和32年に十九世大安正道大和尚によって本堂・庫裡が再建されたんやってプンプン


御本尊
十一面観世音菩薩

見えん…ガーン


薩摩義士総奉行の平田靭負の木像
平田靭負は薩摩国(現鹿児島県)で生まれ、家老となり、宝暦3年(1753)木曽川下流地域の堤防工事であるお手伝い普請(ぶしん)の江戸幕府の命令に対し、幕府と戦争しようという他の家臣をおさえ、「どうせ死ぬのなら、水難に苦しむ民百姓をすくうために命をかけようではないか。

それが、薩摩武士のほまれを末永く残すことができるのではないか。」などとうったえて、薩摩藩の意志を「宝暦のお手伝い普請」を受ける方向にもっていったそうなんよえー
そして、自ら総奉行となって美濃(岐阜県)の地におもむきましたプンプン


さざれ石
岐阜県旧春日村(限揖斐川町)産だとかえー
取るところに寄って…何か違うのかな?ニヤリ

国歌「君が代」に 「さざれ石の巌となりて」 と詠まれている石として、有名だよね爆笑

さざれ石(細石)は細かい石・小石のことで、それが巌(いわお)となった状態のものが”さざれ石”と呼ばれてますえー

学術的にはえー
さざれ石(細石、さざれいし)は、小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの
大きな石の塊に変化したもので 「石灰質角れき岩」 と呼ばれてます爆笑

石灰岩が雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝結して固まってできたものなんやってニヤリ


可愛い六地蔵爆笑
真ん中のお地蔵様…肩車してるんかな?びっくり


宝暦治水薩摩義士之碑
いざ…お参りにプンプン


宝暦治水と薩摩義士
江戸時代、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川下流域には周囲を輪のように堤防で囲った輪中が大小数十存在していましたプンプン

輪中とは、集落を水害から守るために堤防で周囲を囲んだ地域のことえー

しかし、ひとたび大雨が降ると川の水が溢れ毎年のように水害が発生し、木曽三川の下流域は洪水常襲地帯となったんですショボーン

宝暦3年(1753年)12月25日、江戸幕府は御手伝普請(費用と人夫は命ぜられた大名が負担)をとして木曽三川分流工事を薩摩藩に命じましたプンプン

翌年の宝暦4年(1754年)1月16日に薩摩藩主島津重年公は家老平田靭負を御手伝普請の総奉行、大目付伊集院十蔵を副奉行に命じ、1月29日鹿児島を出発し1200㎞離れた美濃を目指しましたプンプン

工事に携わった薩摩藩の人数は947名にも及んだとかびっくり

工事は2月27日より始まり、工事区域は木曽三川の河口より50~60㎞にもわたり、193ヵ村(現在の三重県桑名市、岐阜県海津市・羽島市・輪之内町・養老町・安八町、愛知県弥富市・愛西市の木曽三川流域地区)にも及び、工事箇所は二百数十カ所もありましたガーン

資材集めにも苦労し、石材は木曽川上流の美濃太田、長良川上流の郡上あたりから船で運ばなければならなかったえー

もちろん人夫や運送料などはすべて薩摩藩の負担となっていたガーン

薩摩藩の最初の犠牲者は永吉惣兵衛でしたえーん
工事開始よりわずか一月半後の4月14日のことえー
この海蔵寺には永吉惣兵衛【戒名:實傳要眞居士】のお墓と弔い証文(埋葬証文)がのこっており、弔い証文に死因は「腰の物(刀のこと)にて怪我」とかかれていますショボーンまた、国元である薩摩に遺言書がとどけられており、この証文は自害であるという貴重な資料でありますショボーン

自害の理由は定かではないが、幕府への反抗心ではないかといわれているみたいえー
その為、弔い証文の死因には自害ではなく「腰の物にて怪我」と書かれているキョロキョロ

費用40万両(約320億円)という前代未聞の大治水工事も1754年(宝暦5)年5月に完成プンプン
工事自体は完成まで僅か1年程という短期間となりましたが、その代償は非常に大きく、幕府抗議のための自害や病死などで84名もの人々が命を落としましたショボーン

当時の総奉行である平田靭負は1754年(宝暦5年)5月25日、「住みなれし 里も今更 名残にて 立ちぞわずろう 美濃の大牧」という辞世の句を残し、自害したといわれておりますショボーン

遺体は、京都伏見にある大黒寺へ向かわれる途中、部下の眠る海蔵寺に立ち寄り、海蔵寺十二世雲峰珍龍大和尚は「遺骸のまま京へお送りするのはしのびない。
拙僧が読経回向し旅立っていただきたい」と申し丁寧に弔い、京へ旅立ちましたプンプン

海蔵寺には平田靭負【戒名:髙元院殿節岑了操大居士】の供養塔、薩摩義士23名のお墓があり、また木像としては唯一の平田靭負像がありますプンプン

平田靭負翁のご命日であります5月25日には、宝暦治水薩摩義士追悼供養大法要を毎年厳修してるんやってプンプン


治水観音
観音さまは三十三の姿に変身して一切の衆生 をお導き、お救い下さると、古来から伝えられていますプンプン

宝暦の頃、薩摩義士が治水の大事業を完遂して 岐阜、愛知、三重の三県下にわたる三大河川沿岸も 百万以上の人々の生活を護って下さった行為は全く 観音さまの権化と信じてるんやってえー

昭和三十四年の伊勢湾台風では有史以来の五千人 余の犠牲者がでましたえーん

この度、治水観音と御名を稱えあげ、ここに 安置いたしまして亡き人の冥福と国土の繁栄を お祈りをしてますニヤリ


この木は宝暦治水工事(1754~55年)の際に薩摩藩士が植えたとされる千本松原(岐阜県海津市)に生えていた松とかえー

松くい虫の被害などにより枯れたため、平成18年10月に伐採され、国土交通省木曽川下流河川事務所のご厚意により寄贈されたものなんやってニヤリ

この松の木は現存する中で最も幹が太いものであり、千本松原を守る活動を続けてきた人々の間で「守り松」と呼ばれていたものえー

生きていた時の大きさは、幹廻り約3.52m樹高約29mだったそうですびっくり


四天王と永代供養塔
四天王とは、帝釈天の臣下で、須弥山しゅみせん の四方にいる4人の神のことを言いますプンプン

その名も多聞天(毘沙門天)、持国天、増長天、広目天えー

芸能グルメ四天王やお笑い四天王じゃないよてへぺろ

四天王は、「4人の大天王」という意味えー
他にも、4人合わせて、四大天王、四王、護世四王、護世王とも呼ばれますニヤリ

その4人とは、それぞれこのようなメンバーですニコニコ
(括弧内はサンスクリット語の音訳表記)

持国天じこくてん(提頭頼吒だいずらたの訳)
増長天ぞうじょうてん(毘楼勒叉びるろしゃの訳)
広目天こうもくてん(毘楼博叉びるばくしゃの訳)
多聞天たもんてん(毘沙門びしゃもんの訳)
これら四天王は、帝釈天に仕えて仏法者を守護しますプンプン

四天王は、天上界の中でも一番下の六欲天の第1天、四大王衆天に住んでいますえー
六欲天というのは、このような6つの世界ですニヤリ

六欲天
四大王衆天しだいおうしゅてん(四王天しおうてん、下天げてん)
三十三天さんじゅうさんてん(忉利天とうりてん)
夜摩天やまてん
覩史多天としたてん(兜率天とそつてん)
楽変化天らくへんげてん
他化自在天

この四大王衆天を四王天とか下天ともいいんだとかえー
そこに住む者の身長は半由旬(はんゆじゅん) で、衣は長さ一由旬、広さ半由旬、重さ二分プンプン

由旬は数キロから十数キロメートルですので、非常に背が高いですびっくり

重さの二分は今でいえば0.7グラムほどで、非常に軽いですキョロキョロ

寿命は、人間界の50年が四天王の一昼夜に相当し、その上で、500年びっくり

ですから500歳といっても、人間界の時間でいえばえー
50年×365日×500年で912万5000歳ですガーン

東方に、持国天プンプン
乾沓惒神(八部衆の一。帝釈天の雅楽を司る神の名)を眷属にし、南方に、増長天がいて諸の龍王を眷属とし、西方には広目天がいて、諸の 鳩槃茶(くばんだ)を眷属とし、北方には多聞天(毘沙門天)がいて、諸々の夜叉を眷属としていますニコニコ

4人とも大変威徳を備えており、それぞれ91子あり、みなインダラと呼ばれ、大きな力を持っていますプンプン

これら四天王は大変威徳があり、身体中から光明を放ちながら、釈翅捜国の迦維林での法話へ参詣しましたえー

お釈迦様が鉢を持って羅閲城(らえつじょう)で托鉢をされましたニヤリ
羅閲城というのは、マガダ国の首都の王舎城のことえー
その時、持国天が東から乾沓惒神などの従臣を引き連れてやって来て、お釈迦様に従いましたプンプン
また増長天が鳩槃茶くばんだ などを率いてお釈迦様へつき従い、広目天は西から龍王などの従臣を連れお釈迦様につ従い、北方の毘沙門天は羅刹などを率いてお釈迦様につき従いましたニヤリ

持国天
持国天は、東方天、持国天王、提頭頼吒天(だいずらたてん)とも言われますプンプン

提頭頼吒天(だいずらたてん)は、サンスクリット名のドゥリタラーシュトラ(Dhṛtarāṣṭra)の音訳で、意味は「国を支える者」なので持国天と漢訳されていますえー
四天王の1人であり、十二天の1人、十六善神の1人でもあります照れ
須弥山しゅみせんの東中腹に住し、東方の世界で仏法者を守護する神ニコニコ
従者として、乾闥婆や毘舎遮を従えていますえー

右手または左手に刀を持っている像として表現されることが多いんよびっくり

須弥山の東千由旬に、賢上と名付けられた持国天の城がありますえー

縦横に六千由旬の広さがあり、其の城七重にして、七重に張り巡らされた垣根、七重に張り巡らされた綱、七重に植えられた樹木があると言いますえー

増長天
増長天は、南方天、毘楼勒叉(びるろくしゃ)とも言われますプンプン
四天王の1人であり、十二天の1人、十六善神の1人えー
毘楼勒叉は、サンスクリット名のヴィルーダカ(Virūḍhaka)の音訳で、増大した者という意味なので、増長天と漢訳されていますニヤリ

増長天は、須弥山の南面半腹に住し、常に閻浮提(えんぶだい)(人間が住む場所)の人々を観察し、鳩槃茶(くばんだ)などの鬼を従えて、南方の世界で、仏法者を守っていますニコニコ

須弥山の南千由旬に、善見と名付けられた増長天の城がありますプンプン
縦横に六千由旬の広さがあり、其の城七重にして、七重に張り巡らされた垣根、七重に張り巡らされた綱、七重に植えられた樹木があると言いますえー

広目天
広目天は、西方天や毘楼博叉(びるばくしゃ)とも言われますプンプン
四天王の1人であると同時に、十二天の1人であり、十六善神の1人えー
毘楼博叉はサンスクリット名ヴィルーパークシャ(Virūpākṣa)の音訳で、「種々色の目」とか「醜目」という意味があるので広目天と漢訳されています照れ

広目天は須弥山の西千由旬に城を持ち、周羅善見と名づけられていますえー
縦横の広さは六千由旬で、其の城七重にして、七重に張り巡らされた垣根、七重に張り巡らされた綱、七重に植えられた樹木があると言います照れ

多聞天(毘沙門天)
多聞天は、毘沙門天のことプンプン
また、北方天とか、鞞舎羅婆拏とも言われます照れ
四天王の1人であると同時に、十二天の1人であり、十六善神の1人えー
毘沙門天はサンスクリット名ヴァイシュラヴァナ(Vaiśravana)の音訳で、意味では「多聞」とか「種種聞」という意味があるので、多聞天と漢訳されていますえー
説法を良く聞いている神だからとかニヤリ

多聞天は、須弥山の北千由旬に3つの城を持ち、それぞれ、不畏、天敬、衆帰と名付けられ、各城は、相互に相通じていますえー

縦横の広さは六千由旬で、其の城七重にして、七重に張り巡らされた垣根、七重に張り巡らされた綱、七重に植えられた樹木があると言います照れ


庫裡の廊下…ピカピカで反射が凄い爆笑


桑名市寺町通り商店街にある溜まり場キョロキョロ
石段があり…
降りる事が出来るんですが…えー
何の為かね?キョロキョロ
洗濯するためとか?爆笑


三重県桑名市北寺町10


永餅屋老舗 本店照れ
三重県桑名市で、江戸時代から親しまれているという銘菓『安永餅(やすながもち)』プンプン
『安永餅』という名前は、町屋川(員弁川)を利用した水運の船着場だった「安永」の街道沿いの茶屋街で売られていたことが由来とかえー

桑名は昔、東海道五十三次示随一の宿場として栄えた城下町で、安永餅は桑名宿を往来する旅人などに人気を博し、茶店で食べられた他、土産物としても広く親しまれたとかニヤリ

ただ、史料等が残っていないため、発祥の歴史についてはよくわかっていないそうですショボーン

一説によると、桑名藩主松平定永の父松平定信が、非常時の食糧として焼餅作りを奨励したことが由来といわれていますえー

また、元は丸餅だったそうですが、旅人が懐に入れやすいようにや、餅屋が焼きやすいように細長い形になったなど、形状についても様々な説がありますびっくり

江戸時代の北勢地域は稲作が盛んで、桑名は米の集積地でもあったそうえー

古くから伊勢神宮への餅の奉納が行われていたこともあって、地域に餅を使った食文化が根付いており、餅街道の異名を持つほど、伊勢街道沿いには様々な名物餅がありますニヤリ

この安永餅と同様の細長い餅は、桑名市だけでなく四日市市(笹井屋のなが餅 金城軒の太白永餅 等)や鈴鹿市(あま新の立石餅 現在はもち久というお店が販売)にもありますプンプン

特に四日市の笹井屋は、天文19年(1550年)創業と戦国時代から歴史があるお店えー

細長い焼餅は一体どこから始まったのか、とても気になりますけど…キョロキョロ

現在桑名で安永餅を販売しているお店は、『永餅屋老舗』と『安永餅本舗 柏屋』 の2店のみだそうですショボーン

今回訪れた『永餅屋老舗』は、寛永11年(1634年)創業という江戸時代初期からの老舗です照れ


安永餅は1本から購入可能爆笑
安永餅...110円
食べ歩きにはもってこいですね照れ


つぶ餡を入れて細長くの伸ばした餅を焼き上げた三重県桑名市の代表菓プンプン

機械製造品ですが、人工着色料、添加物等不使用の無添加菓子なんやぁ爆笑
また、材料の餅米と小豆は全て国産を使用ニヤリ

むちっとしたほんのり香ばしさのある餅生地は焼いてあるためかややザラザラとした舌触りニヤリ

中の餡は甘さ控えめな小豆の粒あんで見た目より量がありますプンプン

スティック型で食べやすいのも良し!プンプン
無添加なのも嬉しい銘菓やね照れ

桑名駅から330m
三重県桑名市有楽町35