朝日新聞「論座」に掲載された論説の一部を引用させていただきます。
―コロナ前は戻るべき場所ではない。新たな社会を創るために - 奥田知志|論座アーカイブ (asahi.com)
あの日は戻りたい社会だったか
だが、私は「もう、あの日には戻れない」と思っている。それは新型コロナが終息しないということではない。
いずれコロナも、ワクチンや治療法が開発され、終息を迎えるだろう。「戻れない」と私が言うのは「戻る必要はない」ということだ。
新型コロナウイルスもいわば「自然災害」だ。「災害は等しくすべての人に及ぶ」と言われる。確かにウイルスは人を選ばない。金持ちも、有名人も、普通の人も、困窮者も分け隔てなく感染する。これは地震や台風と同じだ。
しかし、被害については、平等ではない。なぜなら災害というものは、元々社会に存在した矛盾や格差、差別、あるいは構造的脆弱性が拡張し露呈する事態だからだ。たとえ新型コロナウイルスの感染を免れたとしても、コロナの影響で亡くなる人は出る。今回の事態で、貧困や格差がさらに広がり、コロナ関連死が起こることを懸念する。
私は自問する。「あの日の社会は、本当に戻りたいような社会だったか」と。
現在の「困難」の原因が「元の社会」にあったなら、そこに戻ったところで意味はない。だったら、「もう戻らない」、「その先へ行く」と考えるべきではないか。
<引用終了>
どの様に思われましたか。
この論考は2020年7月9日に公開されたものです。東京オリンピック・パラリンピックが開催されるはずであった年の夏の日です。ディズニーランドも休園も6月30日まで続いていました。
この論説から3年の今日、新型コロナウイルスはオミクロンという株に代わり弱毒化しました。5類に変更され人々は。「ロス」した間に蓄積されたストレスを発散するかのように「大はしゃぎ」です。
もちろん、悪いと言っているのではありません。高齢者施設や病院での面会ができるようになったのは喜ばしいことですし、スポーツ観戦時の制限もほぼなくなり、思い切り楽しめるようになりました。
それでも私は問いたいのです。「コロナ前は本当に公平な社会だったのですか」と。