LGBDQ差別はあってはならない | 中村むねひら 「孤独社会」を超えて

中村むねひら 「孤独社会」を超えて

孤独な日々ですが、前を向いて生きていきたいと考えています。元東京ディズニーランドスーパーバイザーとして、元ホームレスとして、そして、精神障害1級(PTSD)、身体障害1級(四肢麻痺)の傷害者として、社会に貢献できる忌憚なき記事を残していきたいと思います。

本日のTwitter https://twitter.com/munehira333を紹介します。

 

#LGBDQ 差別はあってはならない。同じ人間であるのだから。

 

苦い思いをしたことが2度ある。気を許した中年男性から「病気なんです。助けてください」と迫られたことである。最初は善い人と思わせて、気を許すと「人が変わる」人もいた。

 

子どもの頃からの多様性とヒューマニズム教育が必要だ。

<終了>

 

言いたいこと — あらゆる差別はあってはならない

1,    差別とは

2,   ヒューマニズムについて

 

1.    差別とは

定義:①差をつけて取りあつかうこと。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。②区別すること。広辞苑

 

ひろゆき氏の発言に「それって、あなたの感情でしょ」がありますが、右脳で感情と判断しようが、左脳で理性的に感情と判断しようが、判断が「正当な理由」なく劣ったものとしたものであったり、「正当な理由なく」(他と)区別するものであったりすれば差別になると言えます。

 

つまり、あらゆる差別問題を「正当な理由なく」主観で捉えてはいけないということです。

 

3,   ヒューマニズムについて

日本大百科

「非常に広い範囲の思想傾向、精神態度、世界観をさしていうことばで、人間主義・人文主義・人本主義・人道主義などと訳される。これらに共通の意味はといえば、人間性の尊重、人間らしさの尊重ということしかないだろう。」

 

ヒューマニズムについては、個人の哲学や宗教観により解釈が異なると思われますが、筆者は上記ツイートに記した通り、「同じ人間」と捉えることが一番易しく理解できると考えます。具体的にはこういうことです。

 

戦前頃までの日本人は、黒人を見ると「ビックリ」したが、今の日本人は、電車の隣の席に黒人がいても何とも思わない。

 

それだけのことです。誤解を覚悟でいえば「当たり前のこと、見慣れたこと」にすることがヒューマニズムであり、それ以上でも、それ以下でもないと筆者は理解しているということです。

 

LGBDに限らず、差別とは自分と同じ価値観の人たちしか認めないという、極めて非人間的な思想から生み出される言行であり、ヒューマニズムと多様性を子供の教育段階から学ばせ、慣れさせることが差別をなくすためには重要であると考えます。