突然だけど思い出したので、書いています。
実はわたくし、他所のお宅の夫婦喧嘩の言い争いを聞いたことがあるんです。滅多に無い機会でしょ。
いつもなら、誰かが言い争いをしているのをもし聞いてしまったら、自分の方が具合いが悪くなるほどに心臓がバクバクして、怖くて動けなくなったりするんだけど…
その時に関しては、
え、旦那さんに言い返してもいいんだ…?
夫婦って、対等なのが普通…?
ということを、まだ言い争い真っ只中だったのに呑気に思ってました。
というのも…
わたし、結婚していた時期に「夫婦喧嘩」をしたことがないのです。勝手にキレられて怒られることは度々あったけど。
元夫がかなり年上だったということもあると思うけど、ちょっとでも引っかかることを言ったりすると、ウザイほどに屁理屈を並べたてて一方的に責められるし、わたしたち夫婦は全然「対等」ではなかったな、と。
わたしが「普通は…」と言えば「オマエの言う“普通”って、世間一般でいう“普通”か?オマエが勝手に思ってることと違うんか💢」とかはいつもの事。
あと、なんでか分からないけど「オマエが“常識”を語るな💢」って、ブチ切れられたこともあったな…
少しでも反論しようものなら、コテンパンに言いくるめられるのが分かってるから、そのうち「言い返す」ことを諦めてしまって、わたしは夫に本音をいつも伝えられていなかった。
いつの間にか、わたしの中で、夫は「怖い人」になってしまってた。
今になって思う、当時ちゃんと勇気を出して、夫に「わたしはこう思う・こう考えている」と伝えることができていたら、当時か現在かの“何か”が変わっていたのかもしれないなぁ、と。
「夫婦」って、元は他人同士なんだもんね。お互いの育ち方も育ってきた環境も全く違うのに、お互いの意見が合わないことだってあって当たり前なんだよね。
それをわたしは「怒られるのが怖いから」だとか「屁理屈で言いくるめられるのが嫌だ」とか思って、夫と正面から向き合うことを諦めてしまってたなぁ。
わたしは父親からのトラウマで、何度も夫に「大声で怒鳴ることだけはしないで欲しい」と常に言ってたのに、裏切られて何度も怒鳴られて、夫が父親と重なって見えたときから、夫に「恐怖心」を抱いてしまい、余計に本音が言えなくなって。「どうせまた“オマエがおかしい”とか言って怒られるんだろうな」と顔色を伺うようになっていって。
喧嘩するほど仲がいい、って本当なのかも。本音でぶつかり合えてる証拠だもんね。それを繰り返していくうちに「家族」になっていくのかな。羨ましい気もするけど、いま思っても遅すぎるんだよなぁ。
などということを思い出して考えてました。遅くにすみません💦
では、
おやすみなさい🐑💤