今月はブログの更新があまり出来てなかったですね。
先日の花束は、送って無事娘さんの手により、祭壇にお供えしてくださいました。
娘さんと少しメールでやり取りして、
娘さん《◯◯さんが、結びの人だったんですね?母が良く話してました。》
み《お母さんは、良く私の作品を見ては、褒めてくれました。嬉しかったです。》
娘さん《◯◯さんの作品を母はとっても好きでした。》
本人の話を聞けて嬉しかったです。
今月は近くの友人にも大変な事が起きていました。
昨年ご主人が60代で亡くなって子供がいないので、相続話がややこしい事になってます。
相続税がかかるだけの資産を形成していたので、その事についてご主人の兄弟からあれこれ言われてその対応で苦戦していて、自分の家庭で築いた資産なのに…と落ち込んでました。
私は自分の相続の話をしました。
10年も1人で母を見たのに、それは無いわ〜という兄サイドからの少ない金額の提示にも、文句を言わずに受け入れたのは、所詮話し合える関係では無い相手に、お金の事で苦言を呈してもこちらが嫌な思いをするだけなのはわかってるし、とにかく終わらせたかった気持ちが強かった。
お金が絡むと、良い事は無いのが普通だと思う。
友人の義姉弟さんたちは、少しでも多くもらえるものならばって気持ちで色々言ってきてるのだろうけど、分かり合えない相手に無理して向き合う事は無い、《今は主人の事で辛いのだから、決めた事に色々言われても困る、お察しください。》の言葉を言い続ければ良いだけの事よ。
友人は、この話をメールでやり取りしてたら、
《文章にすると色々見えて来て、落ち着いて来たよ。》って…
私がことある事にブログに書くと、頭の中が整理出来て良いと常々感じてる事、メールのやり取りでも出来るんだなとわかった出来事でした。
このやり取りの後ね、フラッシュバックのように、実家の暗い廊下、父の事、母の部屋などと記憶がどんどん出て来てね、久しぶりに泣いちゃったよ。
普段は過去の介護の日々を私の中では結構美化して残してあるけど、気持ちに蓋をして過ごした介護の長き日々は、決して綺麗な心では過ごせてなかった事を思い出しちゃった。
介護中にブログで書いた
《生きて行くのは楽しい事ではないんだ。》
という自分の言葉しっかり覚えてます。
そしてだからこそ、日々の小さな幸せに気付く気持ちが育ったんだよね。
そんな日々も、気持ちも、過ぎ去った過去だって事に…今は平和な日々にホッとしてる。