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この本は、
阪神・淡路大震災で自らも被災し、
避難所などでカウンセリングや診療活動を行った
精神科医 安克昌さんの被災地での記録を
まとめた本です。
今年、
臨床心理士の東畑開人さんの「心のケア入門」という
オンライン講座を受講してるんですけど、
そこで「ケアは日常にあるもの」という話がありました。
医者、看護師、介護士、カウンセラーなど
仕事としてケアをする人もいますが、
日常にもケアは存在する。
困っている人がいたら、
手伝ってあげる。
代わりにやってあげる。
話を聞いてあげる。
それらもケアであって、
私たちは、ケアし合って生きている。
この本を読んで、思いました。
震災は、すべての人にケアが必要な状態になる。
医者、看護師など普段ケアをしている人まで
被災し、傷つき、ケアが必要になる。
しかも多くの人たちに
とんでもなく大きなケアが必要になる。
『仮説住宅に入居できたとしても被災者たちの問題は終わらない。避難所全盛期には希望の的であった仮説住宅は、いざ住みはじめると苦痛以外のなにものでもなかった。彼らは震災で家とともに「自分」にまつわる多くのものを失った。住むところができて一応の安定を得て、本格的にそうしたものの「喪失」と向き合うことになったのである。』
ライフラインが回復しても、
住む場所が確保できても、
心は簡単には回復しない。
大切な人を失った悲しみ。
助けられなかった無力感。
生き残った罪悪感。
自然災害への恐怖。
今までの暮らしが何かもなくなった喪失感。
将来への不安。
本を読みながら、
私は、震災の苦しみを何もわかってなかったんだなと
思いました。
そして、本を読んだ今も
本当には理解できていない。
いつか起きる南海トラフ地震。
その時、
少しでも自分が周りをケアできる側にいたいと思うけど、
そういう考え自体がすでに甘いんだろうな。