家族で泣く 本当のはじまり←これ

深夜2時前に起き 色々と考えていた
家族の事が大半だが  病気の事も思い出す

ブログを読み返して無いから
日付などは曖昧 記憶にある事だけだが

2013年11月末
風邪をひいてしまいクリニックに行く
薬を1週間分処方してもらった

同年12月
夜になると39度台の高熱が出る
しかし朝になると熱は下がってる
クリニックに行き 薬を処方してもらう

同年12月末
咳が酷くなる
クリニックは休みに入る
市販の咳止めを飲む
嫁と子供だけを大阪に帰郷させる

2014年1月初旬
務めていた自動車学校は繁忙期に入る
クリニックに事情を話し 薬を大量にもらう

同年2月
咳止めが効かなくなり
熱も下がらなくなる
両足 両手首が痛くなる
歩けなくなる同僚の肩を借りて移動
教習原簿の記入はミミズが這いつくばった
ような字になる

同年2月中旬
朝礼時 管理者から強制的に休みを取らされ
指名教習生に理由を話してくれ
クリニックに連れて行かれた
クリニックはレントゲンと採血をしてくれた
結果 精密検査が必要と言われる
紹介状を持ち 総合病院へ

同年2月中旬
総合病院でレントゲン CT MRI 採血25本
診察の結果 特発性間質性肺炎と診断された
翌日 K大学病院の膠原病内科の医師が
来るので受診して欲しいと言われ予約を入れた

同年2月中旬
再度総合病院を受診 追加採血15本
問診 診察 検査データーの結果
膠原病肺《間質性肺炎》と診断
会社に報告 仕事の整理 引継ぎ
などをしに会社に行く

同年3月初旬
K大学病院に入院
その日に一気に検査に入る

採血 尿検査 便検査 痰検査
レントゲン CT MRI PET エコー
心電図 筋電図 
皮膚科受診
肺活量検査
この時点で皮膚筋炎 間質性肺炎と診断された
特定疾患手続きに入る

6分間歩行
生検
胃カメラ
大腸カメラ

家族を呼び
病名 現状 治療方針を説明され
僕だけ病室に戻り
治療開始

ステロイドパルス
プレドニン60mgから開始した

同年3月中旬
大量グロブリンを開始した
まるでシャンデリアのように
グロブリンが吊り下げられてた

同年3月下旬
エンドキサンを開始した
2週に1回のペースで行う
なかなか数値が下がらないと言ってた

同年4月上旬
更に細かい抗体を調べてくれる
EJ抗体と判明
治療方針の変更に入る

同年4月中旬
採血を見ながらプレドニンを減薬する
リハビリを開始する

定期的に
画像検査 採血 尿検査 痰検査を繰り返す

同年5月上旬
外泊許可がおりる
一泊二日 帰りは19時の予定でしたが
容態が悪化し早々に病院に戻る
左側麻痺がでた

血液をサラサラにする点滴を開始
画像検査 脳外科 循環器科などが
問診 診察に来る
薬で治療を行った

同年5月下旬
退院の目処がつく
プレドニン30mg
KL6 CK CRPの安定が必須

同年6月初旬
退院日を決めた
しかし サイトメガロウイルスが出てしまった
点滴開始
退院が伸びる

同年6中旬
治療も終え退院
条件は2週に1度外来に来る事
引継ぎエンドキサンを外来で行う事
風邪の症状でもK大学病院に来る事
細かい条件が付き退院

同年6月中旬 退院後直ぐ
横浜の兄の家で食後 痙攣を起こし
K大学病院へ
そのまま緊急入院になる
感染しました。
抗生剤の点滴を行いました

同年6月下旬
退院 大阪に私用があったので
大阪で治療が出来るよう紹介状をもらう

同年7月初旬
大阪医科大受診
検査結果を見て緊急強制入院

プレドニン17.5mg→ 40mgに上がる
免疫抑制剤 プログラフ3mg服用開始

同年7月から12月まで副作用が次々と現れた
両大腿骨骨頭壊死
眼底出血
白内障
緑内障
起立性低血圧
ミオパチー
ステロイド糖尿病
低酸素症
HOT導入
身体障害者手帳呼吸器機能障害3級取得


同年12月中旬
長期入院の為 不安はあったが退院した

同年12月中旬
退院後数日で胃近くに激痛が出る
大学病院受診
胆石《泥状》が見つかり
緊急入院 絶食
ステンドを入れ洗浄し
翌年1月に再入院を約束で12月下旬退院

2015年 1月初旬
大学病院に入院
胆石《泥状》の処理を行う
ステンドを取る
しかし胆管炎→膵炎を起こす

中心静脈カテーテルを入れ
栄養液 医療麻薬 などを入れ
痛みと栄養のコントロールをした。

同年2月中旬
胆嚢全摘手術の予定でしたが
消化器内科の判断でステロイドの量
呼吸の状態
血圧の状態
などトータルを見て
手術不可と診断を受ける

同年2月下旬
退院する

同年3月中旬
千葉の実家と兄の横浜のを行き来し
生活を送る
通院は新幹線で大阪医科大に通う

同年4月下旬
容態も安定してきたので
紹介状をもらい 横浜の受け入れ可能の
大学病院を探してもらう

同年5月中旬
現在の大学病院に転院する




ここまでを振り返る


教習中大型二輪車や四輪車を操るだけで
息切れと疲労感が強く出てた。

自宅 職場の階段の登り下りをしただけで
強い息切れを起こす

喋ったり 動いたりすると空咳が止まらない

地べたに座ると立ち上がれない

高い所の荷物など取る時力が入らない

風があたるだけで関節が痛む

力が入らなくなり箸など持てなくなる

歩けなくなる

立ってられなくなる


治療後 少し改善し杖を使い
歩行可能になる
長い時間 長距離は車椅子を使用

HOT導入で動き易くなった




同年6月 大学病院に入院
また一通りの検査を行う
K大学病院
大阪医科大で検査をしているので
慣れていた。

肺機能 筋力の低下が著しく目立った

杖で歩くのも困難になる
車椅子も自走困難になる
電動車椅子を作る
動作時の酸素使用量が最大7まで上がる



同年7月
中旬退院
同年8月からプレドニン減少する


2016年?月
咳が酷くなり入院
大量グロブリン
パルスを実施
約3か月入院したが原因わからず
咳止めを増やす


2017年?月
CK CRPが右肩上がりに上がる
緊急入院
プレドニン7mg→40mgに増量
パルスを実施


2018年?月
更にCK CRP KL6などが右肩上がりになる
緊急入院
プレドニンは30mg→40mgに増量
パルスを実施


2019年3回の入院
プレドニンは40mg維持
パルスを実施

採血は最悪の状態
筋力低下が著しくでる
嚥下障害がおきる
画像検査は悪化してる
完全に歩けなくなる
オール介護が必要になった
身体障害者手帳四肢機能1級追加申請をした

同年10月
主治医から予後を伝えられる
在宅医療開始


同年11月
身体障害者手帳四肢機能1級追加で交付された

容態悪化 訪看さんの判断で
大学病院受診 主治医から入院を勧められた
しかし断る

2020年2月7日
体の限界がくる 自ら入院希望を伝えた
胃瘻造設の為入院
2月10日無事造設終わる
医療チームなどで予後について話し合う
延命措置を希望と告げる


現在
痛みとの闘いはあるが
残りの人生を穏やかに過ごしている



まさかの展開ですね
6年前はこんな状態になるとは
思ってなかった

3大学病院の主治医が
口を揃えて言った言葉

《かなり悪い状態です!命に関わります》と

どうせ大袈裟に皆んなに言っていると
思ってた。

現実になってしまった


そんな事を深夜振り返ってたショボーン
あっという間に今を迎えたんだな!?って





難病は怖いね

何が起きても良いように 皆んなは
1日を大切に過ごして下さいね

まだまだやりたい事は沢山ありましたが
もうこうなったら我慢しかない

皆さんがこうならないよう

祈ってます