先生が生徒に言ってたんだ。
習慣を手放すことについて。
「その時に、やってきてくれて、ありがとう。
でももう、いいんだよー。さようなら。ってお別れしていいんですよー」
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なんて健気なんだろう。
その時の様子を思い出した。
それがやってきてくれたことは、とてもとても大切なことだった。
どうしてもどうしても必要があったんだ。
私を守るため。
必死で。
私は何にも考えていないよ。
なのに、私より誰よりも先に、一番に出てきてやってくれてたんだ。
・・正義の味方みたい。
そして自分を苦しめてでもやってくれてたんだ。
私は全身でそれをやることになった。
1人でやって1人で苦しんでる。
たくさんの人からおかしく思われた。
・・ばかだ。
しかももう、何年もたっていて、それでも頑張ってやろうとしてくれる。
いつだって、一緒にいてくれる。
・・ほんとにばかだ。
私は、その、見た目の悪い優しさに気づけなくて、
面倒なおかしな症状だと思って、
すぐにでも消えてほしいと願った。
でもようやく、わかった。
誤解だったんだってわかったよ。
今日まではとってもとってもとっても、
苦しかった。
こんなに理解に苦しむ奴(やつ)。
「不必要」という言葉だけではすまされないんだ。
人間にそうやって備わってくれているものが、
自分にもあったのなら、
それはなんてすごいことなんだろう。
私は、最も人間らしかったんじゃないか。
今はお別れが怖い。
「ありがとう」以上のお礼を言いたい。
でも、なんていう言葉が見つかるんだろう。
あの時のこと。
隙間からちょっとのぞいて、すぐやめた。
それを繰り返していた。
あれは、あれは、何だったんだろう・・・。
あの時、脳が破壊された。
あれは、・・私はちっとも悪くないよ。
今はお別れのちょっと前。
お別れの言葉をちゃんと探したいんだ。
自分の言葉で言いたいんだ。
そして「ごめんね、すごく遅くなっちゃったけど、理解できてきたんだよ!!」って伝えよう。
守ってもらえて嬉しく思えたことも、
苦しかったことも、
とことん迷惑に思ってきたことも、
すべてすべて、1つ1つかみしめて伝えられたなら・・・。
✴✴
恐怖反射
怖いと思った瞬間(そう思っているつもりはないけれど、そう自動的に感知して)、激しい息切れがおこったり、意識を失って倒れたりということがおこるようになりました。
止めようにも止められません。
最初は、学校の授業中に、先生が生徒を怒鳴る時におこって、
そのうち、いろいろな場面で頻繁におこるようになりました。
体も日常的にぐったりしてしまいました。
長い年月、このことを一緒に考えてくれる場所を探しまわりました。
医療機関を渡り歩きました。
でも原因はわからないどころか、「何でもない」と言われ続け、あきらめました。
私も、一番の生きていく悩みでありながらも、大げさだったんだと思うようにして、やりすごしました。
そうして、この症状はいったんは、休止したかに思えたのですが、またある時、復活しエスカレートしてきました。
その矢先、教室で、その全容をいやがおうでも、見ていくことになったのです。
ことの発端は家でした。
この症状について、明らかにしていくことは、
少し怖くて、またあぜんとするところもあり、受け入れるのに時間がかかりました。
しかし、この教室で聞くことは、何もかもが、うなづけることで、
うやむやにしていたことがどんどん明確になってくるのです。
・・わかってきて、よかった。
自分の症状を理解できるのかも、と知った時には、
「生きててよかった。間に合ったんだ!!」って心から思えました。