渓太郎の闘病生活が2か月も過ぎるころには、母子二人で過ごす個室は私にとって、日々の生活を送る「居間」のような場所だった。
とは言え、その「居間」は医療設備が完備されているうえに、私が頭を悩ませて料理をしなくても、栄養バランスばっちりな離乳食はば運ばれてくるし、ホテル並みのベッドメーキングだって定期的に行われる。
掃除だってしなくていい。
モップやぞうきん、バケツなどさまざまな掃除道具が積まれたカートを押して、お掃除のおばちゃんが毎日やってきた。
そして部屋の外には一流の医師たちが揃っていたことを考えると、高級ホテルだって敵わない環境のなかで私たち母子は信じられないほど多くの方たちに助けられていたのだ・・・。
そんなことに今さら気が付いてしまって、なんだか涙がこぼれてくる。
当時の私は、医師や看護師は医療に関する仕事関だけをしているのだと思い込んでいたのだけれど、いま振り返ってみると、ベッドメーキングをしてくれていたのは看護師さんだった。
小学生の子どもたちの身体をシャワーで体を洗ってあげていたのも看護師さんだった。
私のとんでもない相談や悲しみを聴いてくれたのは医師だったし、渓太郎の遊び相手にもなってくれることもあった。
「医師や看護師は医療に関することだけが仕事」だなんてとんでもない思い込みなのだけれど、思い込みとは怖いもの。
医師や看護師の姿を毎日見ていたはずなのに、医療関係以外の仕事をしている姿をすべて見逃していた。
申し訳ないやら、
後悔やら、
恥ずかしいやら・・・で、赤面もするのだけれど、思い込みの恐ろしさに鳥肌が立つ。
そんなことを考えていたら自己防衛本能が働いたのか、自分を慰めるような言葉が心の中を通り過ぎた。
「『私は全然見えていない』ことが『見えた』ね。
どうせこれからもそうなのだから()、それがわかっただけでもよかったね。】
痛すぎる自分からのエール。
(渓太郎の短い人生に寄り添い、たくさんの幸せを与えてくださった先生。お顔の上でペンを動かすのさえ心が痛んだ、私人生最大の恩人)
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私にできることは、あなたと語り合い、心を通わせ合って、『あなたが抱えている悲しみや葛藤の奥にある「愛」に気づいてもらうこと』
『見える「いのち」ではなく、「いのち」の本当の繋がりを感じてもらうこと』
『あなた自身でも気づいていない、大切な人への愛に光を当ててもらうこと』
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