先月、内視鏡手術をした母が私に向かって、「お前は3回もお腹を開いたんだから、ホントすごいよねぇ」とつぶやいた。

 

母の言う「お腹を開いた」というのは、3回行った帝王切開手術のこと。

確かに、お腹に1,5センチほどの穴を4か所開けた程度の母に比べたら、切った長さは比較にならない。

 

とは言え・・・

 

私が母に「手術と言っても、出産でしょ」と言って笑うと、「それにしても、よくだわぁ」と母。

 

 

「出産の痛みは忘れる」とはよく言ったもので、私の場合に限っては、帝王切開だったとしてもその痛みは、傷の治癒と共に消え去った。

 

思い出したくても思い出せない、身体のキズだ。

 

 

 

しかしこれが心のキズとなれば、まるで逆。

 

 

 

渓太郎の体が味わった手術や抗がん剤による副作用の痛みは、それを傍らで見ている私の心の痛みとなった。

 

 

「できることなら、代わってあげたい」

 

「がんになるのが、私だったら良かったのに・・・」と思ったのは、「渓太郎をラクにしてあげたい」と言う気持ちからだったのは嘘ではないけれど、心のキズの痛みが激しかったあまりに、「こんな思いをするなら、私の身体を切り刻んでくれ」と思ったのが正直な気持ち。

 

 

 

こんなことを書いていると、幼い頃に心に深いキズを負ったかけがえのない友のことが頭に浮かんだ。

 

私などとは比べものにならないほど深いキズを、まだ幼くやわらかな心に刻まれたのだ。

 

そんな彼女は最近、幼い頃に受けた壮絶な経験をひとつ、ひとつブログに綴りだされた。

 

私の目に映るその姿は、心のキズに掛けられていたガーゼを丁寧にはがしていって、生キズを空気に触れさせているかのように見える。

 

 

「どこからか、ほこりが落ちてくるかもしれない」「ガーゼをはがし過ぎるかもしれない」という恐怖だってあるだろう・・・。

 

 

けれど、このキズを見た誰かの生きる勇気になるのなら・・・という思いがそれを上回ったのだと思う。

 

 

自分と同じキズを負った方(それがたとえ見ず知らずの人でも)の心が少しでもラクになったらという思いでブログを書かれている彼女を見ながら、私は、空気に触れた彼女のキズが、ゆっくりと乾いてカサブタになってくれたらいいな・・・と、自分勝手な願いを抱く。

 

そしていつか、彼女の心のキズと私の心のキズを見せ合って、語り合って、「私たちが生きてきた勲章だね!」と握手がしたい。

 

 

それは、何年も先に置いてある自分勝手な私の夢。

 

 

 

本物のカウンセラーである私の心友がいつも、彼女を優しく温かい目で見守り続けています)

 

 

 

 

 

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