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こんにちは。 中村美幸です。
ご訪問下さり、ありがとうございます。
このブログでは主に、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。
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【ご飯を食べることよりも、外にお散歩に行くことよりも・・・大切な人にそばにいてい欲しい。
・・・誰もその人の代わりになることなどできない。
人は、ただ存在するだけでいい。
それだけで、どれだけ多くの幸せを与えているのだろう・・・。】
4年前の4月に書いた記事。
娘が大学進学により家を離れたときの愛犬キラのようすだ。
―――あれから4年がたち、大学を卒業した娘は、地元長野の動物病院での勤務が始まった。
4月1日、意気揚々と初出勤したのだけれど・・・
その翌日2日。
娘の帰りを待っていたかのように、我が家の末っ子キラが緊急入院をすることになった。
いきなり新人スタッフとその飼い犬がお世話になることになったのだけれど、動物病院の皆さんが温かく迎え入れてくれたため、キラもなんだか居心地がよさそう。
それからしばらくは入退院を繰り返したのだけれど、間もなく15歳を迎えるおばあちゃん。
少しずつ身体が弱っていくようすに、5月に入ってからは日中だけ病院で点滴を打ってもらい、夜は家で過ごすことに家族一同が賛成した。
誰もはっきりは言わないけれど、(夜、家族がいない間に息を引き取ってしまうことがないように・・・)という想いを秘めての決断だった。
その日の夜からは、キラと添い寝するのが私の日課となった。
深く眠ってしまわないようコーヒーを飲んでから布団に入り、呼吸確認のためキラのお腹に右手を当てた状態で横になる私を見て娘が、「お兄ちゃんのとき以来、24年ぶりの添い寝看護だね」と。
「うん。めっちゃ慣れてるよ。横になりながら、心電図レベルで生存確認できるよ」と笑って答えた。
キラの寝息が聞こえている時は意識がないほど眠っていても、キラの寝息が静かになるとハッと目が覚める。
「キラちゃん?」
慌てて顔を近づけると、キラの鼻先から聞こえてくる小さな寝息。
キラのお腹に当てている私の手の甲が、小さな呼吸に合わせて上がったり下がったりを繰り返す。
「よかった、生きてる」
「キラちゃん、かわいいねー」
それが嬉しくて、頭をなでたり背中を撫でたりすると、最後は小さな頭の上に鼻をくっつけてキラの匂いを吸い込む。
「キラちゃんは匂いもかわいい!」
キラだけが与えてくれる、喜びの五感覚。
幸せな時間。
生きている実感。
そんなことが続いたある日、娘が静かに私に問いかけた。
「ねえ、お母さん。キラが苦しかったり、痛かったりしたとしても、生きてほしいと思う?」
「麻酔によって死んでしまう可能性があったとしても、わずかな可能性にかけて手術をする?」
それは、「キラのおねえちゃん」という立場だけで聞いているのではなく、動物医療に携わる立場での飼い主の意思確認が含まれている気がした。
けれど、私は答えることができなかった。
だって私の選択したい答えは、どこにもないのだから・・・。
「キラが苦しむことなく、生き続ける」は、どこにもない。
そして最も避けたいのは「死ぬこと」だと正直に答えた結果、「細く長く生きられるよう、手術はせずに対処療法を続ける」ということになった。
とはいえ、自然の摂理を受け入れているキラ自身は死を恐れたりはしていないだろう。
キラだったら、その時が来れば抗うことなく旅立つのだろう。
―――だとすれば、「一秒でも長く・・・」「細く長く生きてほしい」というのは私のエゴだ。
そうわかっていても、エゴを押し付けずにいられない・・・。
自分勝手だな・・・と思いながら、私は自分を許すための言い訳を見つけた。
「キラの最大の喜びは私たち飼い主を喜ばせることなのだから、キラだってきっと、『お母さんが望むなら・・・』って思ってくれるはずだ・・・」
それにより私の幸せな夜は続くことになった。
動きにくい体を引きずってトイレの躾を守ろうとするキラをゲージまで抱きかかえながら、「キラちゃん、お布団の上でおしっこして大丈夫だよ。トイレシート敷いてあるよ」と声をかけると、キラはぽかんとした顔で私を眺めた。
・・・そりゃそうだ。
これまで「トイレはゲージの中でね!」と散々しつけられてきたのだから・・・。
副腎の肥大によりポコッと膨れ上がったキラのお腹に手を当てていると、キラの呼吸に合わせてそのお腹がさらに膨らんだりへこんだりする。
その一回一回がただただ愛おしい。
ゴロンと横になりながら顔を見合わせて「キラちゃん」と呼ぶと、キラが私の目をじーっと見つめる。
これまでだったら言葉など使わなくても、キラがなにを言いたいのかは全部わかった。
けれど、その時は「キラちゃん、なにが言いたいの?」と、わからないふりを続けてしまった・・・。
心の奥で「おかあさん、ありがとうね」と言っているのをキャッチしていたから・・・
「ありがとう」が別れの言葉に聴こえてしまうそうで、怖くて、怖くて・・・。
そして、6月4日。
その日もキラは私の目をじっと見つめた。
私が「キラちゃん、なにが言いたいの?」とごまかそうとしても、その日はそれを許すことなく、細くなった目をなんとか開いて私の目をじっと見つめ続けた。
なのに・・・
「おかあさん、いままでありがとうね」と、お別れの合図をしていることがわかっているのに受け入れられない。
「キラちゃん、ありがとうね」と喉元まで出かかっているのに、どうしても言いたくない。
いつまでもだっこしていたくて・・・
そばにいてほしくて・・・
一緒に生きてほしくて・・・
キラが死ぬことを受け入れられない私は、結局最後までキラが伝えたかった「おかあさん、ありがとう」を受け入れることができなかった。
看護をさせてもらった、わずか2か月。
「キラは、これ以上迷惑を掛けたくなかったのかな・・・」という、自分口からこぼれたつぶやきを聞いて、ふと、子どもたちがまだ幼かった頃のことが蘇った。
―――「あのさ。親って、なんのためにいるんだと思う?」と尋ねた私に、子どもたちは興味津々な顔で聞き返した。
「え?なんのためにいるの?」
「それはね。子どもに迷惑をかけてもらうためにいるんだよ」
大切な存在に掛けてもらう「迷惑」は、「喜び」に変わる。
口元まで運ぶ食事の世話も
シリンジで水を飲ませることも
毎日通う病院も
トイレや嘔吐の片付けも
眠らずに続ける生存確認も・・・
末っ子キラのためだけに生きられる時間は、すべてが喜びと幸せの連続だった。
だからきっと・・・
私のエゴで対処療法を繰り返し、キラに押し付けた迷惑も、キラはきっと「喜んで!」と受け入れてくれていたに違いない。 (・・・と自分を慰める)
大切な存在のために生きられること以上に大きな喜びはないのだから・・・。
「きらちゃ~ん!」と呼ぶと、今でも瞬く間に私の心に駆け寄って来てくれます。
☆今回はコメント欄を閉じさせていただきました。もうしばらく心静かにキラとの時間を過ごします。
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