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こんにちは。幸せを運ぶ語りびと 中村美幸です。
ご訪問下さり、ありがとうございます。
このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。
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渓太郎が亡くなる少し前、母は父にこんなお願いごとをしていたらしい。
「渓太郎が死んだら、しばらくは美幸のそばに居ようと思う。たぶん、うまく生きられなくなるだろうから・・・」
それには父も、「きっと、その方がいい」と賛成し、その時が来たら数か月間は一人暮らしをする覚悟だったらしい。
それから渓太郎は他界し、葬儀を終えると私はただ茫然とする時間が過ぎた。
これまでひとときも緊張を緩めることができなかった24時間付き添いからの解放は、なにもない空間に放り出されたような空虚感に包まれた。
探しても、探しても渓太郎はいなくて、抱きしめようとする両腕が何度も空振りを繰り返す。
そして、「どこにもいない」とハッとする一回、一回が、「渓太郎は、もう死んだんだ」と自分に言い聞かせるタイミングでもあった。
そんな中、母が私に「美幸、大丈夫?」と聞いてきた。
「大丈夫」。
私は条件反射のように応えた。
それは確かに中身のない条件反射で、渓太郎が死ぬよりずっと前から、誰かから「大丈夫?」と聞かれれば、なにも考えずに「大丈夫」と答えてきたのだから…。
それからしばらくすると母は、「そんなこと聞いたって、大丈夫なわけないよね・・・」と、無意味なことを聞いてしまった自分に呆れたようにつぶやいた。
・・・瞬間、私はつい声を荒げた。
「それなら聞かないで!!!」
無意味な母の質問に無意味に答えたその時の私は、現実から逃げようとする自分に「渓太郎は死んだんだ」と必死に言い聞かせ、ややもするとガラガラと崩れてしまうそうな心に向かって「大丈夫・・・。渓ちゃんのお母さんなんだから、私は大丈夫」と励まし、ギリギリのところで踏ん張っていたのだ。
だから、その時の私にとって無意味に聞かれる「大丈夫?」という言葉は足もとをサッとすくわれそうになる、いっけん優しい凶器のような言葉でもあったのだ。
私は母の口から「大丈夫」という言葉を封じるように言い放った。
「大丈夫じゃなくたって、大丈夫になるしかないじゃない!」
その言葉を聞いてから母は、もう「大丈夫?」と聞いてくることはなく、うちに泊まりに来ることもなかった。
その代わり、毎日電話をかけてきては、いつも同じことを私に言った。
「美幸は私が思っているより、ずっとしっかりしている。美幸は大丈夫だ」
その声を聞くたびに、必死に踏ん張るつま先に一層力が入り、ありがたくて涙がこぼれた。
そして、「大丈夫になるしかない」という気持ちが、「私はきっと、大丈夫」に入れ替わるのだ。
———「大丈夫じゃなくたって、大丈夫になるしかないじゃない!」
あの時私が発した、「大丈夫じゃない」と「大丈夫になる」が同居する複雑な言葉の中で、母は「大丈夫になる」を選択し、信じてくれたのだろう。
母は、私の中にわずかに残るチカラを見逃さなかった。
本当の優しさは「心配」や「弱さ」で作られているのではなく、いつでも「強さ」と「希望」が伴っている。
そんな母との思い出がよみがえったのは、つい最近。
何気ない、ふとしたことがきっかけだった。
たまたま庭で見つけた「青い蜂」のことをSNSに投稿したところ、しばらくして、さらちゃんから一通のメールが来た。
「電話できますか?」と。
すぐに私の方から電話をかけると、「青い蜂、すごいね!」「うれしいね~!」と、ワクワクが抑えられないというような声をあげてくれた。
こんな風に、私に嬉しいできごとがあると決まって連絡をしてくれる。
けれどよく考えてみれば、さらちゃんはカウンセラーなのだから、その人が負の状況にあるときにこそ、「大丈夫?」「つらくない?」「苦しいよね?」と訊きそうなものなのだけれど、本人がSOSでも出さない限り決してそれをしない。
その人が必死に困難からの脱出を試みている時には、陰ながらじっと見守り、信じて待つ。
そして、その人に喜びが生まれたときには、自ら動いてその光を何倍にも膨らませようとするのだ。
さらちゃんとのそんな何気ないやり取りをしていたら、ふと、当時の母の姿が蘇り、母にあの一連のやり取りのことを話してみた。
すると、母は嬉しそうな表情を浮かべて、「あの時はね。『自分の生んだ子が、こんなに強く、たくましくなったんだ』ってびっくりするほど、お前は本当に立派だったよ」と、笑ってくれた。
(それはね。私の脱出を見守り、「大丈夫」を信じてくれる人がいたからだよ、お母さん)
(母が渓太郎のファーストキスを奪った瞬間 産院にて)
私にできることは、あなたと語り合い、心を通わせ合って、『あなたが抱えている悲しみや葛藤の奥にある「愛」に気づいてもらうこと』
『見える「いのち」ではなく、「いのち」の本当の繋がりを感じてもらうこと』
『あなた自身でも気づいていない、大切な人への愛に光を当ててもらうこと』
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