肺癌小児科医の「思い出」 梅澤充医師の素敵な記事 (ブログより)19 | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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梅澤先生より:(8月末)
    私の記事はどう扱っていただいても
    構いませんが、
    事実をお書きになって下さい。
    私はブログ上で『事実』しか
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   梅澤先生の『事実』の文章を
   そのまま転載いたします。
   文字の大きさだけ、私の意図で一部
   変更しました。

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2017年12月26日

今年も残り僅かになりました。
今年も、
多くの患者さんとの別れがありました。

誰もが忘れ得ぬ患者さんですが、
今年は、現役臨床医という同業者との別れが
幾つもありました。

同業者は、はじめてお会いするとき、
すでに治らない末期ガンであることは、
ご本人も十分に理解されていますが、
多くの場合、
はじめの質問は、
「先生だったら、先ず何をしますか?」
です。

今年逝かれた医療者も、
はじめは、そう訊かれてきました。
いずれも、
「怠け者の私ならば、先ず、仕事を辞めて、
遊んで、気楽に生活することを考えます。」

と答えると、
全員、
「仕事は今のまま続けたい」
と答えられます。

私よりも少し年長の先輩小児科医は、
緊急入院しなければならない
状態に至る二日前まで、
ご自身の診療所で、
普通に仕事をこなしていた
そうです。

手術後間も無く再発を観て、
イレッサを使い一時期軽快するも、
当然の再度の悪化をみて、
××センターから標準治療を勧められていました。

「標準をやられたら、すぐ死んじゃうし、
それよりも、仕事ができなくなる。
手が痺れたら、赤ん坊の注射もできなくなる。
何もしない手もあるかも
知れないけど、
何もしていないと、
うちの奥さんの気が済まない
ようだから、
何かしてくださいよ」
とのことでした。
それが平成25年の秋でした。

副作用をまったく感じないというイレッサは、
そのまま継続して、
ハイパーサーミア(電磁波温熱療法)も
併用して、
副作用の出ない範囲の抗癌剤
を上乗せしていきました。

肺ガンの獰猛さを知っている彼は、
2年間を過ぎたころ、
「1年程度かと思っていたけど、
イイ感じでおとなしくなって
なかなか死なない
ものですね。」

などと呑気なことを言っていました。

「肺がんだって、
抗癌剤で身体を苛めなければ、
なかなか死なせてはくれませんよ。」

などと冗談を言いながらの治療が続きました。

3年を過ぎたころ、
「本当に無理なことをしなければ、
殺されないですね。
これは、他の患者さんも知っていたほうが
イイですね。」
「他の患者さんも同じように治療してますよ。」
などと、平穏な時間が過ぎていきました。

毎日のお酒も、
ご家族との時折の旅行も楽しまれていたようです。

しかし、少しずつ病態は悪化してきて、
放射線のチカラを借りたり、
新しい分子標的薬も使ったり、
身体を苛めないように、
精一杯の治療を続けましたが、
初診から4年間で旅立たれました。
彼の後輩が院長を務める、
東京北部病院での最期でした。
はじめの手術からは5年間以上の時間が
経過しています。

「1日100人以上の患児を診る。」
と言われていましたから、
イレッサが効かなくなってからの
4年間だけでも、
救われた子供もたくさんいることと思います。

イレッサが無効になった状態の肺ガンで、
4年間の時間稼ぎは、
けっして短くはありません。

患児を通じて人間の生と死を十分に知っている小児科医と、
4年間お付き合いをして、
彼は、死は自然の当たり前の
存在と認識されていましたが
「いのち」に対する執着は、
他の患者さん以上に
大きかったように感じます。

死は、誰にでも訪れる
自然現象。
無理はしないで、
その現実は受け入れる。
しかし、
「いのち」は大切に守る。

長く末期ガンと付き合う、
いのちを楽しむ、
コツ
のように感じます。


ご冥福をお祈りいたします。
合掌


以上 文責 梅澤 充
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