ここ近年、「食育」という言葉をよく耳にするようになりましたね。
テレビなどでも地域の食材や農林水産業の様子を取り上げたり、各地域などでも農業体験をやっているところも多くなりました。
しかし、その番組を見たときや農業体験をした直後は「あんなに苦労してるんだから残さず食べよう」と思った気持ちも、時が経つにつれて忘れてしまってはいないでしょうか?
「食育」を伝えるためには、「苦労」を知ってもらう前に「感謝」を教えなければいけないと思うんです。
皆さんは、朝昼晩とご飯を食べるときに「いただきます」「ごちそうさま」を言っていますか?
ご飯を食べるとき、食べ終わったときの習慣のように思えますが、この意味を知ることこそが「食育」の第一歩だと私は思います。
では、なぜ「感謝」を教えることが「食育」に繋がると思っているのかというと、「いただきます」「ごちそうさま」には三つの事柄に対しての感謝が含まれているからです。
一つ目は「食材」
本来、作物や魚介類、畜産の多くは私たちに食べられるために生を受けたわけではありません。
種を残し、繁栄する為に生まれてきた命を私たちが戴いているのですから、食材に感謝するのは間違ってはいません。
二つ目は「関係者」
この中には生産者、流通、販売に関わる人が含まれます。
生産者は言わばスタートライン。
野菜や果物、海産物が収穫されなければ流通にも乗らず、食卓に届くこと事態が出来ません。
流通は市場や仲卸、運送業の人たちが居ることで生産者から販売業者へ橋渡しをしてくれています。
販売はコンビニやスーパーなど、皆さんの手元に届くためのアンカーと言った所でしょうか。
最後の三つ目は「調理をしてくれる人」
意外と忘れられがちなのがこれなんです。
料理を作ってくれる人たちは皆、食べてくれる人のことを考えて料理をしています。
それは飲食店の人もそうです。
私の友人で飲食店をしているその人は「美味しかったって言ってもらえると頑張って作った甲斐がある!」と言っていました。
苦手な食べ物があったり、食べきれないこともあるかもしれませんが、出来るだけ残してあげないことをお願いしたいと思います。
長くなってしまいましたが、私が思う「食育」はまずここからだと思います。
これを読んで、少しでも興味を持っていただければ幸いです(^_-)
テレビなどでも地域の食材や農林水産業の様子を取り上げたり、各地域などでも農業体験をやっているところも多くなりました。
しかし、その番組を見たときや農業体験をした直後は「あんなに苦労してるんだから残さず食べよう」と思った気持ちも、時が経つにつれて忘れてしまってはいないでしょうか?
「食育」を伝えるためには、「苦労」を知ってもらう前に「感謝」を教えなければいけないと思うんです。
皆さんは、朝昼晩とご飯を食べるときに「いただきます」「ごちそうさま」を言っていますか?
ご飯を食べるとき、食べ終わったときの習慣のように思えますが、この意味を知ることこそが「食育」の第一歩だと私は思います。
では、なぜ「感謝」を教えることが「食育」に繋がると思っているのかというと、「いただきます」「ごちそうさま」には三つの事柄に対しての感謝が含まれているからです。
一つ目は「食材」
本来、作物や魚介類、畜産の多くは私たちに食べられるために生を受けたわけではありません。
種を残し、繁栄する為に生まれてきた命を私たちが戴いているのですから、食材に感謝するのは間違ってはいません。
二つ目は「関係者」
この中には生産者、流通、販売に関わる人が含まれます。
生産者は言わばスタートライン。
野菜や果物、海産物が収穫されなければ流通にも乗らず、食卓に届くこと事態が出来ません。
流通は市場や仲卸、運送業の人たちが居ることで生産者から販売業者へ橋渡しをしてくれています。
販売はコンビニやスーパーなど、皆さんの手元に届くためのアンカーと言った所でしょうか。
最後の三つ目は「調理をしてくれる人」
意外と忘れられがちなのがこれなんです。
料理を作ってくれる人たちは皆、食べてくれる人のことを考えて料理をしています。
それは飲食店の人もそうです。
私の友人で飲食店をしているその人は「美味しかったって言ってもらえると頑張って作った甲斐がある!」と言っていました。
苦手な食べ物があったり、食べきれないこともあるかもしれませんが、出来るだけ残してあげないことをお願いしたいと思います。
長くなってしまいましたが、私が思う「食育」はまずここからだと思います。
これを読んで、少しでも興味を持っていただければ幸いです(^_-)