歴史の中の世襲批判 | 宮沢たかひと Powered by Ameba

昨今、世襲批判が再燃しています。私はもともと世襲が組織に及ぼす悪影響を憂いていましたが、改めて歴史を勉強してみると、2000年以上前古代中国の易姓革命において世襲批判で政権転覆が起こり、18世紀アメリカ独立に際してはトマス・ペインが「世襲制という愚劣な習俗」とまで言いきり、アメリカ独立を支持しました。自民党は「カネ」と「世襲」と「派閥」から脱却しない限り、国民の支持は得られないでしょうし、日本を蔽う閉塞感は深まる一方でしょう。前記3つを克服して党ガバナンスを刷新すれば、岸田首相は国民から絶大な支持を得られるはずです。

 

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■易姓革命 (古代中国)

 秦末の陳勝は「王侯将相寧んぞ種あらんや」(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや: 乱世では王侯・将相といえども,家系によるのでなく,器量しだい,運しだいでなれるという意。 実力主義の風潮をあらわした言葉)の名言で易姓革命を肯定し、史上初の農民反乱である陳勝呉広の乱を起こした。 この乱は、後に楚漢戦争を経て漢王朝が興るきっかけとなった。農民出身の陳勝と呉広が起こした中国史上初の農民反乱は失敗に終わったとはいえ、反乱の先駆けとなった陳勝と呉広の功績は大きく、後世物事の先駆けを表す言葉として陳勝呉広と言われるようになった。また、陳勝は「燕雀いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや」(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや:つばめやすずめのような小さな鳥には、オオトリやこうのとりのような大きな鳥の志はわからない、転じて 小人物は大人物の大志をさとることができないということのたとえ)ということわざも残っている。

 前漢(紀元前206年-8年)の初代皇帝となった劉邦は農民出身で、これは前代未聞だった。劉邦のブレーンたちは、儒教的な易姓革命の思想を漢王朝の正当化に活用した。前王朝である秦の始皇帝は暴君、二世皇帝は暗君とされた。以後も易姓革命は、歴代の権力者の政権奪取の口実として利用された。安定的な新王朝の確立に成功した元・反乱者は、易姓革命を口実とした。農民出身の劉邦、異民族出身の君主、例えば五胡十六国時代や南北朝時代の非漢族系皇帝や、 遼・金・元・清など征服王朝の非漢族系皇帝が漢民族に君臨できた一因も、 易姓革命の思想の活用にあった。(参考:https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/20220204.html 中国の易姓革命 加藤徹のホームページ)

 

■トマス=ペイン(1737-1809)

 ペインは、アメリカ独立戦争の開始された翌年の1776年1月に『コモン・センス』を発表、アメリカがイギリスから分離・独立することが正当であることを簡潔に、力強く訴えた。ペインは、アメリカがイギリスのジョージ3世の臣民であろうとする限り自由は勝ち取れない、専制者ジョージ3世の奴隷となるか独立するか、いずれかしかなく、独立によってのみ自由になれるのは「常識」Common Sense である、と主張した。また、独立してイギリスをはじめとする諸外国と対等な貿易を行うことが、アメリカの利益になる(そしてイギリスにとっても利益になる)ことなのだ、と説いた。… ペインは、イギリスの立憲君主政を「古代における二つの暴政の汚い遺物と新しい共和政的要素とが混合している」代物だとこき下ろす。二つの暴政の汚い遺物とは、「国王という君主専制政治の遺物」と「上院という貴族専制政治の遺物」である。それに対する下院が新しい共和政治の要素であり、その性能いかんにイギリスの自由がかかっているが、下院は二つの遺物を制御できないしくみになっており、国王が下院を支配している。二つの遺物は、ともに世襲制という「愚劣な習俗」が続いているに過ぎない。世襲制は人間の平等という神が人間に等しく与えた権利にそむくことである。イギリスの国王も、元をただせばノルマン征服でイギリスを奪ったウィリアムという盗賊の子孫に過ぎない。

(参考:https://www.y-history.net/appendix/wh1102-022.html トマス・ペイン 世界史の窓)