治療が無効になってから⑤究極の選択 | がん治療の虚実

治療が無効になってから⑤究極の選択

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stage IVがん患者さんで望ましくない以下のケース

①標準治療が尽きてから慌てはじめる人。
②わらをもすがるようになんでも手当たり次第探す人
③ひたすら延命、治癒しか目にはいらない人」
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今回は③について。
人間の本能としてなんとしても生き延びたいという気持ちは当然で、何の解説もいらない。

土壇場になっても生き延びさせてほしいと言う患者さんは大勢見てきた。それこそどんなに費用がかかってもかまわないという人もいれば、色々な民間療法を可能な限り併用する人もいる。

ここでは抗がん剤などの治療から緩和療法だけの治療に切り替えるかどうか,瀬戸際の患者さんを対象に話をしてみる。

どんな犠牲を払ってでも、だめでもかまわないから積極的治療を継続したいと言う人がいる。

治療する側はまた別の視点で思考する。
ある意味冷静に考えることができるため、長い目で見た本人家族の被る損得勘定を計算しつつ,治療選択の提案をする。
決して希望を失わせないことが肝要であるが、困るのは「現在」の気持ちだけで選択肢を決定しようとする患者さんの場合だ。

これは無理もないことだが、かといって悲惨な結末に至るとわかっていて放置はできない。

つまり無理筋の治療選択がかえって本人家族を不幸にする可能性については、患者さん自身が思いつかない事が多いとわかっているからだ。

ある時期には絶対に死ぬとわかっていたら、その直前ぐらいは安寧の時間を求めても良いと思うのだろうが、もしやという気持ちが最期まで諦めきれない原因となる。

生き延びることが全てと思っていると、それと引き替えに(といってもそれも現実には無理なことが多いが)多大な苦痛と不幸を呼び寄せるケースが少なくないことを多くの医療関係者は知っている。(抗がん剤治療は苦痛だが初回治療ではその苦痛以上に症状緩和と延命の可能性が高いとわかっているので一般的に勧められる)

これは患者さん本人が悟るべき事であるが、時間が必要となる。
できれば、早い段階から多少は考えておいてほしいものだ。

究極の選択としては

「苦しみ抜いても生きる希望を最期まで捨てたくないのか」

「終末期を受け入れ、楽に過ごす折り合いを付けるのか」

のどちらを是とするかだろう。

どんなときも希望は必要だが、最初に最悪の事態を覚悟して生き方を決めるとその後の選択肢は増え、展開が楽になる。
この辺は近いうちに有用図書の紹介で解説しよう。

「死ぬときに後悔すること25」著者の大津秀一先生はアメブロで以下のような記事を書いている。

命に無上の価値をおいているうちは苦しみから逃れられない
http://ameblo.jp/setakan/entry-11014771715.html
ーーーーー引用ーーーー
命はとても大切です。
命があるから私たちは様々なことを為すことができます。

しかし命が最も重要なものだとしたら、
人は最期に必ずそれを失わなければならないのです。
一番重要なものを、必ず最期に失ってしまう人生、
それは苦しみ以外のなにものでもないのではないでしょうか。
~中略~
天寿を迎えて死ぬことはけして不幸ではないと
思います。いつまでもいつまでも失うことが
怖ければ、命に無上の価値がいつまでも燦然と
輝いて失うことが怖ければ、安住の場はないの
かも知れません。
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