情報って「からだ」にとってどんな体験なんだろう?…「からだ」考2ー⑤

~「情報って「からだ」にとってどんな体験なんだろう?…「からだ」考2-④」の続き~

情報という体験を「からだ」に即して考えてみる

読んでももう一つピンとこない

ある文章を読んでみたけれどもサッパリわからない。でも、その内容をわかりたくて、さらに解説文を読んでみたが、やっぱりもう一つピンとこない。こういうことは、イメージや感触に繋がっていかなければ、なかなかわかったとはならない―ということを指し示しているのではないでしようか。

 

辞書は言い換えの連続

 例えば、辞書等で“フルーツ”という単語を調べてみたとする。すると“果実”のこと…という風に一語で言い換えただけ終わることは多い。

 

これは別の単語が言い換えただけで「わかった!」となることが多いということです。 けれども、この時、言い換えされた単語から生々しい「からだ」感覚が呼び覚まされなかったとしたら、やっぱり「わかった!」とはなりません。

 

“果実”をさらに辞書で調べてみると別の単語が書いてあった。これも同じことの繰り返しです。やっぱり、どこかで生々しい「からだ」感覚へと接続されなけらば「わかった!」とならないのです。 

 

生々しい「からだ」感覚を引き出して展開して組み直してみせる能力

 

こういったことから、先の“「からだ」は文字を解読する能力を持つ”を、もっと「からだ」の方へ引き寄せて言い直してみると、

 

 【「からだ」は、文字情報から生々しい「からだ」感覚を引き出して展開して組み直してみせる能力を持つ

 

 という風に言えるのではないかと思います。

 

現代物理学や宇宙論はどうもピンとこない

 

ちょっと脇道にそれますが、現代物理学や宇宙論を「わかんないや~」と思ってしまうのもこの辺にあるのではないでしょうか?

 

相対性理論を下敷きにして、「空間や時間が伸び縮みする」とよく言われます。それについて詳しく説明をきいてもなかなかピンと来ない。そういうことが私達一般人には多いのではないでしょうか?


これは私達一般人が目の前の空や海に感じる広がりが伸び縮みしているという具体的な体験イメージをうまく描けないからではないでしょうか?


二人どちらも約束した正しい時刻に電話してるのに、ずれてうまく繋がらない―という体験がうまく思い描けないからではないでしょうか?

反対に言えば、専門家たちは日常の体験や感触から“抽象的な空間や時間”を非常にうまく抽出して立ち上げ、見事に自分のものにしていると言えるのかもしれません。(うがった見方をすると、“抽象的な空間や時間”に思念的に付き合いすぎていて、生々しい「からだ」の広がりや季節の移りゆきと言った体験から切り離されていると言えるのかもしれませんが…)

 

~「情報って「からだ」にとってどんな体験なんだろう?…「からだ」考2ー⑥」へ続く~

 

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