承認欲求と言う悪魔に取り憑かれていませんか?
「他者のスコアを気にするより自分のスコアを気にした方がいい」
SNSでのいいね、シェアなど有名人や政治家などイメージで仕事してる人以外はさほど気にしなくてもいい。それは単なる噂ばなしでしかすぎない。
僕もSNS広告で面白い実験をした事があります。
まずYouTubeに動画を上げてみました。そこからInstagramとFacebookで広告を掲載。
リンク先はYouTubeの動画です。
InstagramやFacebookの広告を踏むとYouTubeの動画にリンクされるようになっています。
5日間の実験です。
YouTubeの動画の内容は自分の事業に関わる感動ストーリー
タグなし、その他のSNSへの自分でのシェアもなし。
登録者数もいないアカウントで広告のみでの実地
5日間でYouTubeの再生数は50回程度。
しかしInstagramやFacebookのいいねは15000
こんないい加減な数値はありえないのですが、自分の実験の結論は、
「人は中身を見ない」
他人が中身も見ていないのに評価を下す。
そして承認欲求の悪魔に取り憑かれている人はその評価に一喜一憂する。
インフルエンサーやユーチューバーのフォロワーはお金で買える時代。
インフルエンサーやユーチューバーとコラボも数回しましたが実績としての結果はほぼなし。
InstagramやYouTubeなどSNS系でインフルエンサー的な仕事をしている人たちは、お金でフォロワーを買っていたりスパム行為でいいねを買っている人が多すぎてどれが本物かわかなくなってきています。
承認欲求ほしさにイメージだけを他人に評価される事がバカバカしい事と気づいてない人が多いのです。
内なるスコアカードと外なるスコアカードの違い
他人から見て最高の彼女と思われるが自分にとっては最悪なパートナーと、他人から見て最悪の彼女と思われるが自分にとっては最高のパートナー
どちらがいいですか?
この質問が伝えたいのは、自分の中にある基準が大事か?それとも自分の中にある基準より他人の基準の方が大事なのか?と言う問いです
今から1万年前の人類は個人としての生きる術から共同で生活する術を学びました。
他人と共同することで芽生えた本能が他人の目を気にすることです。
しかしそれは生きていく上で必要でした。
自分が困った時に助けてくれる相手、相手が困ってる時に助けてあげる自分、何もかも分け与えないと誰がが死んでします可能性など、その共同体の中で出来上がったのが「噂話」
その噂ばなしが時代を超えて、人が接しなくてもできるようになっただけの事
もし機会があれば友人達との会食時に全ての人の会話に耳を傾けてみればいい。会話の90%は噂話である可能性が非常に高い。
自分たちが他人からどう思われているかの評価を気にするようになったのは1万年前からの進化の過程なのです。
では現代でもそれが必要なのか?
答えはNOです。
「他人からの評価など自分にとってはどうでもいい。」それはただの噂話レベルでしかないからなのです。
現代では自分の基準をしっかり持っている方がいい。
ジャーナリストのデイビット,ブルックスは
「SNSを使うと自分のイメージを演出するようなブランドマネージャーになってしまう。誰もがみんなSNSの中では楽しそうな外向きの自分を演出するのだ」と
そしてこうも書いてます
「気をつけないと私たちはいずれ、approval sinking machine になってしまう。
他者からの承認を求める機械になる」
いいねやフォロワー数など自分のスコアが数値化できるシステムが網の目のように出来上がっている。実際はどれも実体のないスコアだが
いったんこの網にかかってしまうと、自分の意思で自由に動いてよい人生を送るのは難しくなってしまう。
他者の評価は自分ではコントロールできない。
けど実際はコントロールする必要もないのです。
時間と時が経てば自ずとあなたの評価は固まってくるものであり、中身のない他者のスコアカードに振り回される必要はないのです。
特に起業を目指す方、起業してる方は、他者の評価や噂話を気にしすぎる事がとても多い。
SNSのフォロワーや評価を気にすることに時間や労力、それにストレスを費やす暇があるならさっさと自分のスコアカードに気を配り、自分の基準を身につけよう。
