仁(34)樊遲、仁を問う、人を愛す
樊遲、仁を問う。子曰わく、人を愛す。
知を問う。子曰わく、人を知る。樊遅未(いま)だ達せず。
子曰わく、直きを挙(あ)げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば、能(よ)
く枉(まが)れる者をして直からしむ。
樊遅、退いて子夏に見(まみ)えて曰わくさきに吾夫子に見えて知を問う。
子曰わく、直きを挙げて諸を枉れるに錯(お)けば、能く枉れる者をして直からしむと。何の謂ぞや。
子夏曰わく、富めるかな、是の言や。舜、天下を有(たも)ち、衆に選びて皐陶(こうよう)を挙げ、不仁の者遠ざかる。湯、天下を有(たも)ち衆に選びて伊尹(いいん)を挙げ、不仁の者遠ざかる。
顔淵第十二 仮名論語177頁1行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
樊遲が仁について尋ねた。先師が答えられた。「人を愛することだ」
更に知について尋ねた。先師が答えられた。「人を知ることだ」樊遅はまだよくのみこめないでいた。
そこで先師は重ねて言われた。「正しい人を引き上げて曲がった人の上におけば、曲がった人を正しくさせることができる」
然し樊遅はなお合点がいかなかったので退出して子夏を訪ねて聞いた。「さきに私は先生にお目にかかって知について尋ねましたところ、先生は、正しい人を曲がった人の上におけば、曲がった人を正しくすることができると申されましたが、どういう意味でしょうか」
子夏が答えた。「内容の深いお言葉だねえ、舜が天下を治めた時、民衆の中から選んで、皐陶(こうよう)を挙げ用いたところ、自ずから不仁の者が姿をひそめた、又殷の湯王が天下を治めた時、民衆の中から選んで伊尹を挙げ用いたところ、不仁の者は自ら姿をひそめた」
* 皐陶、舜の賢臣、今の法務大臣として大功績を挙げた。
* 伊尹、湯の賢宰相殷建国の大功労者。
この章では、樊遲の仁とは何でしょうという問に対して孔子は「人を愛することだ」とだけ答えています。
孔子は仁をもって最高の道徳、日常生活に遠いものではないが、容易に到達できぬものと考えました。
この章では、樊遲が質問していますが、孔子は弟子の問いに対して「仁」をさまざまに定義しています。若い樊遲に対しては「人を愛すること」といっています。
当時の世の中の乱れは、他人を思いやる愛情が失われていったことが原因で、真心や思いやりを大切にして人を愛する心をとり戻すことが何よりも必要だとして、「仁」が最も重要だと位置づけたのです。
もっとも“人を愛すること”といっても、これだけではあいまいでわかりにくいので、「仁」は、具体的には「孝悌、克己、恕、忠、信」という個別のあらわれ方をするのだと説きました。
「孝」=子が親に尽くすこと、「悌」=弟が兄に尽くすこと、「克己」=私利私欲をおさえること、「恕」=他人に対して思いやりをもつこと、「忠」=自分の心に素直なこと、「信」=人をあざむかないこと、という具合に説明したのです。とりわけ、近親者への思いやりを説いている「孝悌」を、「仁」を実現するための基本中の基本であるとして重んじました。
「仁」とは、孔子の教えが究極の目標とする政治上・倫理上の理想です。すべての徳を統べる主徳で,孝悌に始まり,忠恕をへて,仁愛に至るのです。
ところで、人を愛する「仁」は、あくまで人間の内面にある情ですから、他人には伝わりにくいのが難点です。そこで、孔子は、「仁」が態度や行為として外面にあらわれたものを「礼」とよんで区別しています。
この章のでは、更に知とは何でしょうかと質問をしています。孔子は人を知ることだ。と答えましたが、樊遅はよく理解できませんでした。
すると孔子は「直きを挙(あ)げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば、能(よ)く枉(まが)れる者をして直からしむ」・・・まっすぐな者を任用し、曲がった者の上に置けば、曲がっている状態をまっすぐにする事ができる。とお答えになられました。「何の謂ぞや」・・・樊遅はやはり理解できませんでした。孔子の前を退いてから、自分より年下の子夏に会って確認をしました。私は先生に知について訪ねましたら、直きを挙(あ)げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば、能(よ)く枉(まが)れる者をして直からしむ。と答えられました。これはどういう意味でしょうかと。
子夏は「富めるかな、是の言や。舜、天下を有(たも)ち、衆に選びて皐陶(こうよう)を挙げ、不仁の者遠ざかる。湯、天下を有(たも)ち衆に選びて伊尹(いいん)を挙げ、不仁の者遠ざかる」・・・。それはすばらしいお言葉だな。と言い。その説明をしました。聖人の舜が天子となられた時、多くの臣下の中から皐陶(こうよう)を抜擢して任用されたので、人格者でない者は遠ざかってしまいました。そして、聖人の湯(とう)が天子となられた時も、多くの臣下の中から伊尹(いいん)を抜擢して任用されたので、人格者でない者は遠ざかってしまったではないか。先生はこういう事を言っておられるのでしょうと。
孔子の塾生は、年齢の差を越えて、お互いに先生から教えられた事を語り合い、また尋ねあって、自分たちの知識を向上させようとしていたのでしょうね。
つづく
宮 武 清 寛
論語普及会
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