3006.仁(9)君子は仁を去りて悪くにか名を成さん | 論語ブログ

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仁(9君子は仁を去りて悪くにか名を成さん

 

子曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。

其の道を以って之を得ざれば、處(お)らざるなり。

貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。

其の道を以って之を得ざれば、去らざるなり。

君子は仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん。

君子は食を終わるの間も、仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。

   里仁第四    仮名論語384行目です。

   伊與田覺先生の解釈です。

先師が言われた。「人は一般に裕福になり、高い地位に登りたいと願うものである。然し正しい人の道によって得なければ、それには満足しておらない。

貧困にはなりたくなく、低い地位にはおりたくないというのが一般である。然し正しい人の道による事がなければ、貧困から逃れようとしてあせらない。

君子は、仁の道から離れてどこで有徳の立派な人物だと称えられようか。

君子は、食事をする間も仁の行に違うことなく、あわただしい場合でも必ず仁の道により、つまずいてひっくりかえるような時でも仁の道から離れることはない。

 

この章には、「仁」の字が2回出てきます。

「君子は仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん。」・・・君子は、仁の道から離れてどこで有徳の立派な人物だと称えられようか。

「君子は食を終わるの間も、仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。」・・・君子は、食事をする間も仁の行に違うことなく、あわただしい場合でも必ず仁の道により、つまずいてひっくりかえるような時でも仁の道から離れることはない。と、君子の条件としての「仁」を取り上げています。

「子曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。」・・・富貴・財産・高い地位や名声は、だれでも欲しいものです。しかし、たとえ富貴な身分になっても、正当な方法・手段によって得たのでなければ、その身分に止まろうとはしないのです。だれでも富貴は望むのですが、それは、正当な方法で手に入れるべきだ、というのです。

儒家には元来、地位はその人の徳性と才能とに応じて与えられるとする思想があり、徳性と才能によって、富貴を得たとするならば、それは其の道を以てするものですが、そうでない場合は、其の道を以てせざるもの、しかるべき方法によらないものです。その場合は、あぐらをかいて居すわれないのです。

だから、正当な方法・手段で富貴の地位に就くのなら大いに歓迎、ということです。

しかし、現実にはなかなかそうはいかないのでしょうか、つい正当でない方法によってでも手に入れようとするのが、俗人の常なのです。

財産・地位・名声、そうした目標は、人々の意欲をかきたて、社会を活性化する動機付けともなっていますから、いちがいに否定すべきものではないのかもしれません。しかし、それを得るために手段を選ばないとなると話は違ってきます。社会は混乱し  いつか必ず破局へ突き進みます。

「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以って之を得ざれば、處(お)らざるなり。」・・・人は一般に裕福になり、高い地位に登りたいと願うものである。然し正しい人の道によって得なければ、それには満足しておらない。

そうです。正当な手段で手に入れたものでないならば、そこに安住していられないのです。続いて、これと対をなした章句があります。

「貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。其の道を以って之を得ざれば、去らざるなり」・・・貧困と低い地位。それは誰もが望まないものであろう。だが、正常な生活を営んでいてそうなったのならば、無理に逃れようとは思わない。

逆に、貧と賤は、誰だって嫌なものです。元来の法則としては、徳性と才能のない者が、貧賤であるべきです。しかし、貧賤になるべきでない者・徳性と才能のある人が貧賤を得る場合もあります。その場合は、貧賤を忌避・貧しかったり、賤しい境遇にあることを嫌がって避けることはしません。

要するに、君子の目標は仁、すなわち人間への愛があるのです。もし君子であるならば、仁を去れば、仁を忌避したのならば、いかにしてその名誉を完成するのでしょうか。つまり、正しい道を踏んでいるのに落ち込んだというのであれば、それもやむをえない、無理に避けることはないのです。世俗の富貴貧賤は二次的なことで、要するに正しい道義を踏むこと、仁徳を実践することが重要なのです。

続けて、君子の仁との関係が強調されます。

「君子は仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん」・・・仁の道から離れてどこで有徳の立派な人物だと称えられようか。君子として完全になるのは、仁によってこそ、なのです。

「君子は食を終わるの間も、仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす」・・・君子は、食事をする間も仁の行に違うことなく、あわただしい場合でも必ず仁の道により、つまずいてひっくりかえるような時でも仁の道から離れることはありません。

後半の部分は、君子の仁との関係が強調された一章です。

「君子」はどんな場合にも不断(絶えず続けてする様子)に道徳的な実践修養に励む人たちです。そして、道徳の実現をこそ第一義に考えますから、世俗の生活の衣食住にことさら心を奪われることはないのです。

 

つづく

                                                                                            宮 武 清 寛

                                                                                              論語普及会

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