3003.仁(6)仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す | 論語ブログ

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仁(6仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す

 

子曰わく、不仁者は以って久しく約に處(お)るべからず。

以って長く楽に處るべからず。

仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。

   里仁第四   仮名論語373行目です。

   伊與田覺先生の解釈です。

先師が言われた。「不仁の者は長く逆行におることはできない。

又長く平安な生活をも続けることはできない。

仁者は安んじて仁を実践し知者は仁の価値を知って仁を実践する」

 

この章では、「仁」という字が三回出てきます。「不仁者は以って久しく約に處(お)るべからず」・・・約は貧乏な生活を意味しますから、「仁」の徳を持たない人は、貧乏の生活に長くいれば、貧乏に耐えきれず、いろんな不都合をしでかします。陽貨第十七仮名論語271頁1行目「其の未だ之を得ざれば、之を得んことを患え、既に之を得れば、之を失わんことを憂う。苟くも之を失わんことを患うれば、至らざる所無し」・・・地位や禄を得ない時は、どうしてこれを得ようかと気をもむが、得てしまえば失うことを心配する。かりにもこれを失うことを心配すれば、何をしでかすかわからない。とありますが、そのような事を思い合わします。また不仁者は、長く得意の地位にいる事も出来ません。必ず身分不相応の出過ぎた行いをします。仁の心を持っていない人は、長期の困難に耐えることはできないし、またいつも不安な気持ちでいなければいけません。

「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」・・・そこへいくと、仁者は、状況がどうであれ「仁」に生きることで満足するのです。また、知者は仁の価値を知っていて、「仁」に生きることが利だとして行動するのです。ここでの「利」は利益という意味ではありませんが、こんな使い方がされています。

仁者は、損得や計算でなく、「仁」の心が身についていますから、どんな条件の下でも迷ったり悩んだりすることなく仁を貫くことができます。また、知者は、理性的な判断によって「仁」が必要なことを知っていますから、「仁」を貫こうとします。

「仁」は人間らしい心です。誰でもが持っているやさしい心です。しかし、利己心の方が強く働くために、「仁」の心が行動にならないことが多くなります。

ところが、仁者は特別な意識も打算もなく、ごく自然に仁を行うことができます。地位、知識、学問などと関係ない人柄そのものです。知者は仁者には及びませんが、頭で理解しており、良心に迫られて「仁」を行うのです。いわゆる教養人がこれに当たるのでしょうね。

「論語」の中には、「仁者」と「知者」とがしばしば対比して論じられています。今後出てくるとは思いますが、例えば雍也第六仮名論語76頁2行目

子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。

知者は楽しみ仁者は壽(いのちなが)し。

 伊與田覺先生の解釈です。

先師が言われた。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は活動的であり、

仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に安住する」

知者と仁者の風格について山と水にたとえて言えば、知者・賢人は海や川を好み、仁者・聖人は山を好む。

知者・賢人は活動的、仁者・聖人は静止的。知者・賢人は積極的に楽しんで、仁者・聖人は冒険することなく天寿のままにつつがなく生きる。

「壽」は「いのちながし」と読みます。しかし、文の意味は人の行き方のことですので、知者の「楽しむ」のに対して、仁者は、運命として与えられた寿命に静かに従う境地という生き方と解釈します。

 

つづく

                                                                                            宮 武 清 寛

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