2892.徳(21) 巧言は徳を乱る | 論語ブログ

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徳(21) 巧言は徳を乱る

 

子曰わく、巧言(こうげん)は徳を乱(みだ)る。

   小、忍ばざれば、則ち大謀(たいぼう)を乱(みだ)る。

   衛霊公第十五 仮名論語2387行目です。

   伊與田先生の解釈です。

先師が言われた。「口の上手な者は、徳をそこない、小さいことを忍ばなければ、大きな計画をやりそこなうことになるものだ」

 

「子曰わく、巧言は徳を乱る」・・・口の上手な者は、徳をそこない。「小、忍ばざれば、則ち大謀を乱る」・・・小さいことを忍ばなければ、大きな計画をやりそこなうことになるものだ。

「巧言乱徳」、巧みに飾った言葉は、人を惑わして徳の妨げになること。口先ばかりで誠意がないと、結局信頼をなくして徳を乱すもととなり、ひいては他人の徳も傷つけることになるということから。「巧言(こうげん)は徳(とく)を乱(みだ)る」と訓読します。

「巧言」は、学而第一仮名論語2頁5行目の、「子曰わく、巧言令色、鮮なし矣仁」の巧言です。

「巧言令色」は公冶長第五仮名論語62頁1行目や陽貨第十七仮名論語272頁3行目にも出てきます。

「巧言令色鮮し仁」は、表面だけを良く見せて接してくる人の裏には、他者を利用して利益を得ようとする目的が潜んでいることを示唆した言葉です。

「巧言」とは、口先だけが上手で、それに見合う中身を兼ね備えていないことを指します。また、「令色」とは、人にこびへつらうような愛想のよい顔つきのことです。ここでの「色」は顔つきを、「令」は立派でよいことを指しています。

また、「鮮し」は滅多にないことを指しており、「少なし」と置き換えて差し支えありません。そして、「仁」とは、他人を思いやる心を持って他人と関わる姿勢を指します。儒教の根幹をなす考え方です。

続けて、「小、忍ばざれば、則ち大謀を乱る」小事を耐え忍ばなければ、大事など為せる筈がない。と言っています。

「成らぬ堪忍するが堪忍」のよい例として引き合いに出されるのが、韓信(かんしん)(国士無双|史記)の故事です。「小不忍則乱大謀」小さな我慢ができないようでは大きな仕事を仕損じます。大きな目標の前には、ならぬ堪忍しなければならないということです。「ならぬ堪忍」の好例としてよく引き合いに出されるのが韓信は漢の高祖劉邦に仕えた将軍ですが、若いころは定職につかずぶらぶらしていました。そんなある日、普段から韓信をバカにしていた与太者が因縁をつけてきました。「やい、でっかい図体に剣などぶら下げやがって、恰好ばかりは一人前だが、肝っ玉のほうはからっきしだろう」。人だかりがしてくると、与太者は図に乗って、「やい、度胸があるならおれを刺してみろ。それが怖けりゃ股をくぐれ」。韓信は黙って与太者の股をくぐったといいます。韓信の力をもってすれば、そんな相手の二人や三人、とりおさえるのはわけもなかったに違いありません。ですが、こんな小事にかかわってもつまりません。大事の前の小事と思いなおして、あえて股をくぐったのです。

逆に、小さな事が我慢できず大を失ったのは、忠臣蔵の例があります。元禄十四年浅野長矩が私憤をはらすために殿中松の廊下で吉良義央に刃傷におよび、切腹を命ぜられて家名断絶しています。「小、忍ばざれば、則ち大謀を乱る」この教訓は、私たちの日常生活とも切り離せないですね。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。これは徳川家康が残した、処世訓ともいうべき言葉です。激気大事を誤る。この家康の言葉は「論語」から採ったのでしょうか。

子路第十三仮名論語192頁1行目には、

「子夏、莒父(きょほ)の宰となりて政を問う。子曰わく、速やかならんと欲すること毋(な)かれ。小利を見ること毋かれ。速やかならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず」

この章は政治の要諦を言ったものですが、最後の部分には、目先の利益にとらわれると大きなことは完成しないよ。と言っています。

 

つづく

                                                                                            宮 武 清 寛

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