2872.徳(1)はじめに | 論語ブログ

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徳(1)はじめに

 

孔子が生まれたのは紀元前551年の春秋時代です。名目上は周王朝でしたが、すでに王朝の力は衰退し、秩序は乱れきっていました。こうした状況を見て、武力では安定した平和な国つくりは出来ないと考えた孔子は、「徳」によって国を治める徳治政治を説きました。

「徳」で国を治めるためには、国のトップである君主や有力家臣に徳がなければならないと考えた孔子は、「礼」や「仁」を説いて歩いたのです。

当時の武人の教育は六芸と呼ばれ、「礼(儀礼)、楽(音楽)、射(弓術)、御(御者)、書(読み書き)、数(計算)」といった実際に役立つ学問でした。孔子はこれらに加えて、礼儀作法や政治の心構えを弟子達に教えましたがとりわけ重んじたのが、「仁」「恕」「礼」の思想でした。

「仁」とは孔子の教えた思想の中でも最高の境地である相手を思いやる心のことです。

「恕」は「仁」の心を行動に表わしたもので、「礼」は「仁」の心の態度に表わしたものです。「論語」の中にも「恕」を表わす章句は数多く出てきます。

その中でも分かりやすいのが有名な章句『己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ』自分がされて嫌なことは、人にしてはいけないという言葉ですが、「恕」を端的に表わしています。

一方、「礼」を表わす章句としては、『子曰わく、礼と云うも、玉帛を云わんや。楽と云い、楽と云うも、鐘鼓を云わんや』です。これは、礼だ礼だと言っても、玉や絹など上返の美しさが問題ではない。音楽だ音楽だといっても、鐘や太鼓の表面的なテクニックが問題では無い。礼も楽も、内面から滲み出るものが大切だという意味です。つまり、形式や態度だけを繕っていても心(『仁』の心)がなければ意味がないということです。『礼』の逆説的な表現ではありますが、孔子の教えがよく現れた言葉といえます。

こうした孔子の唱えた考えや理想は、やがて儒教の根幹となっていきます。

孔子の没後も、その教えは弟子や子孫によって受け継がれます。

儒教の教えに五常または五徳といわれる五つの徳目があります。「仁・義・礼・智・信」がそれです。

「仁」儒教のベースとなっている基本的な考え。人が求める理想を表わしている。

「義」私欲に惑わされることのない、揺るぎない正義や正しい道のことを表わす。

「礼」「仁」を実際に行動に起こした際の態度やルールとなる指針を表わした言葉。

「智」人が修めるべき教育や知識、それを身につけるための学びを表わす。

「信」人から信頼や信用を得ることができること。誠実であることを表わす言葉。

これらに最も重要な貢献の一つは、孟子によるものです。孟子は孔子の教えを後継し、儒教をさらに発展させた重要な思想家でした。孟子は人間の本性が善であるという性善説を唱え、人間には心の中に「仁・義・礼・智」という善の素質が備わっていると説きました(四端説)。これらの「徳」が育まれ、発揮されることによって、個人の心性は善となり、道徳的な人間としての在り方を実現できると考えました。孟子の教えにより、仁義礼智信は儒教の倫理思想の中心的な要素となりました。

ところが漢の時代、孔子の12代目の子孫、孔安国の代になると、儒家の生き残りをかけ、政治との結びつきを強固にするために次第に権威や権力に都合のいいものに変えられていきました。その教えをまとめたのが道徳観念の強い儒教の考えです。そのため、儒教=孔子の教えとは言えません。それに対して『論語』は、弟子によって多少の手が加えられているものの、孔子の教えを再現したものです。

長年読み継がれてきた『論語』と、儒教の教えは別の物だということも意識の中に入れて置かねばなりませんね。

今日からのシリーズは、これらの「徳」について考えて行きましょう。まずは「徳」の出てくる章を見ていきましょう。

 

曽子曰わく、終(おわり)を慎(つつし)み遠きを追えば、

民の徳厚(あつ)きに帰す。

   学而第一 仮名論語5頁5行目です。

   伊與田先生の解釈です。

曽先生が言われた。「親の葬儀を丁重にして真心から喪に服し、そして先祖の祭を手厚くすれば、民の人情風俗は自ら厚くなるものだ」

 

その曽子の言葉です。「終りを慎む」とは、人生の終わりである死、殊に、父母の死に対する儀式、すなわち葬式の礼を慎重に、大切にすることです。「遠きを追う」とは、何代も前の自己から遠くなった祖先をいつまでも思い出して、それらに対する祭祀を、鄭重にすることです。

そしてそれは為政者・上に立ち政治を行う人への戒めですが、もし為政者がそうしたならば、一般の人民の行為も、篤実・誠実で、相手の立場を考える方向へと行き、道徳心は優れたものになるでしょう。と言っています。

当時は階級社会でした。喪礼、祭礼、みな階級によって区別がありました。一般の人民は、為政者である諸侯の階級、大夫の階級、士の階級に比べて、親を葬るにも、先祖を祭るにも、より簡素な儀式しか持っていませんでしたが、為政者が血族に対する儀式を慎重にすれば、一般の風俗も、それに応じて簡素は簡素ながらに美しくなると言っているのです。

人々が父母の喪においても、祖先の祭祀においても、まごころを尽くすのであれば、その道徳心は優れたものになる。ということです。

 

つづく

                                                                                              宮 武 清 寛

                                                                                                論語普及会 

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