2847.孝(1)はじめに | 論語ブログ

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孝(1)はじめに

 

「孝は、徳の本なり。教の由って生ずる所なり」とは、『孝経』冒頭に出る孔子の言葉です。

また『論語』にも、高弟の有若が、孔子の意を体して「君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」とが学而第一にでてきます。

さらに孔子は、『論語』の中各所に於ても具体的、実践的に孝を説いておられます。特に晩年に及んで、道の継承者と目される若い弟子會参に対して孝道について懇(ねんご)ろに教示されました。

「孝経」の著者については、古来諸説紛々で定まるところはありませんが、私は曾参が生涯を通じて師教を考究実践して、彼の弟子達と共に編纂したものと信じます。

因みに曾は姓、参は名、子輿は字。孔子より四十六歳若い弟子です。孔子も信愛された曾晳の子であるから、幼少より孔門的雰囲気の中で育てられたものと思われます。

「孝経」は経書として中国の歴代王朝に於ては特に尊重されました。わが国に於ても『論語』についで早く伝来しました。その内容が日本在来の風習と合致するところもあり、『論語』と共に自然に滲透して、いつしか国民の血となり肉となったのです。

然るところ、敗戦後の占領政策によって、縦糸に当る孝道を無視して、横糸ともいうべき自由平等の思想を鼓吹いたしてきました。その結果が親が子を殺し、子が親を殺す事件が頻発しても、左程驚かない社会的雰囲気が醸成されつつあることは、最も恐るべき事態というべきです。

今回のシリーズは「孝」です。

「孝」とは儒教のおける伝統的な徳目の一つで、子供が自身の親を敬い支えるべしと説く道徳的概念です。身近な家庭の道徳的秩序の維持を国家社会運営の端緒と位置づける儒教の徳治においては、まず家庭で守られるべき徳として「梯」とともに長らく重視されてきました。「孝梯」と併用され、「孝悌は仁を為すの本」とも言及されています。また、他の宗教にも親子関係のあり方を規定する類似の道徳規範は存在するものの、他の社会規範に対する優越性や、崇敬すべき親の対象として祖霊を含み家父長制と一体化している点など、一般的な親子関係の道徳概念とは異なる特徴を持つことを感じます。

古代中国では、祖先崇拝の観念の下に、血族が同居連帯し家計をともにする家父長制家族が社会の構成単位を成していました。孔子が、親を敬い、親の心を安んじ、礼に従って奉養祭祀すべきことを説き、社会的犯罪については「父はこの為に隠し、子は父の為に隠す」と述べています。やがて孝は「孝経」において、道徳の根源、宇宙の原理として形而上化され、無条件服従と父子相隠は法律にも明文化され、祖先祭祀にとって「孝」は重要な原理となります。

「孝」を守る振舞いである「親孝行」が高く評価され、これを実践する人を「孝子」と呼ばれました。孝子として有名な儒教の聖人は舜であり、孔子の弟子では「孝経」の作者とされている曾子が「孝」の実践に優れていたとされています。

「孝」は親の死後にも、一定期間、影響を与えるもので「論語」には、里仁第四仮名論語45頁2行目「三年父の道を改むる無きは、孝行と謂う可し」父のやり方を三年間改めないのが孝行であると記しています。これを礼に「日本後紀」では、桓武天皇が崩じた際、その年に元号を「大同」と改めたことに対し、子や臣の心情として、一年の内、二君あることを忍びないと思うからこそ、同年に改元しないのに礼に反していると批判する記述があるようです。

儒教の教えには、君臣間の「忠」がありますが、中国大陸や朝鮮半島の国々では、「忠」よりも「孝」が貴いと考えられました。例えば、道に外れたことを行う君主を三度諫めても聞き入れなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諫めても聞き入れなければ、泣き寝入りして従わなければならないとされました。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するというような事もあります。

君臣間の徳目である「」という教えとの間に齟齬を来すことになりますが。

 

つづく

                                                                                           宮 武 清 寛

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