2846.楽(24)人と歌いて善ければ | 論語ブログ

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楽(24)人と歌いて善ければ

 

子、人と歌いて善(よ)ければ、必ず之を反(かえ)さしめて、

而(しか)る後に之に和す。

   述而第七 仮名論語943行目です。

   伊與田先生の解釈です。

先師は、人と歌われて、相手が優れた歌い手だと必ず繰り返させて、

自らもこれに合わせて歌わせた。

 

今回のシリーズでは「楽」について見てきました。今回が、孔子の音楽好きが伺える章句紹介の一区切りとなります。

「人と歌いて」・・・孔子は、人と歌われた。

「論語」の中には歌うことについての章がたくさん出てきます。

孔子は人の歌を聞くのが楽しみで、気に入った歌にぶつかると、繰り返し歌ってもらい、それから自分も一緒に歌うのが常だったようです。音感が抜群に優れていた孔子は、楽器の演奏も一流でしたが、歌も上手かったと言われています。楽しく歌い演奏する孔子の姿は、真面目で堅い思想家のイメージとはかけ離れたものがあります。これらの章は、孔子が身近に感じられる一節です。

中国の古典・『孝経』の中に、「風を移し俗を易うるは、楽より善きは莫し」という言葉があります。伊與田覺先生著「仮名孝経」28頁3行目。悪い風俗を良い風俗に変えていくのは、調和を貴ぶところの音楽を盛んにするよりよいものはない。とあるように、音楽を普及することが最も効果的だという事です。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われますが、音楽程その時の世相を反映するものは無いでしょう。逆に、音楽が世相を創っていくとも言えます。先の戦争中は愛国心や闘争心を鼓舞する音楽が流され、それがさらに愛国心・闘争心を煽っていく現象があったと言われます。私達の青春時代はフォークソングが全盛でした。自由な空気、明るい未来、友とのつながり・・・そういった価値や世相が歌われ、それが世の中を動かしていったように思います。

現代は、昔に比べると様々な音楽が混在する時代となりましたが、中にはハッと心をつかまれるようないい音楽があります。願わくば、平和を喜び、人とのつながりを大切にし、希望をもって未来に進む・・そんな音楽がいつまでも流行して欲しいものです。

「人と歌いて善ければ、必ず之を反さしめて、而る後に之に和す」・・・孔子は他の人と一緒に歌の会を開くときに、孔子も、一緒に歌うのです。そして、人の歌う歌がいいと思ったら、ということですから、代わる代わる歌うのか、いい歌だと思ったら必ず之を反さしめて、ということですから、もう一回歌ってくれと頼み繰り返して歌ってもらうのです。そのあとで今度は自分も加わって合唱しました。

「反」は復、つまりもう一度繰り返すこと。最初の「人と歌う」をいうのは、孔子が自分の知らぬ歌を合唱することはできぬはずだから、合唱ではなく、合唱をしうるような歌のための集りを開催した。という説もあります。

それから、「而る後に之に和す」。じゃあ、一緒に歌おうよ。と誘っているのです。

この章などは、小さな生活の記録であるけれども、孔子の人柄を象徴する章ですね。

歌をうたうことは、孔子の日常生活の不可欠な一部分となっていたようです。しかし、弔問などの不幸のあった日だけは、さすがに歌うことはありませんでした。

子、    喪(も)ある者の側(かたわら)に食(しょく)すれば未だ嘗(かっ)て飽かざるなり。

子、    是(こ)の日に於て哭(こく)すれば、則(すなわ)ち歌わず。

   述而第七 仮名論語827行目です。

   伊與田先生の解釈です。

先師は、喪中の者と食事をする時は、相手の心情を思うて十分に召し上がらなかった。

又先師は、死者を弔って声をあげて泣いた日には、歌を歌わなかった。

この章には、孔子の生活に表れた二つの事柄が述べられています。

孔子がいかに細かな神経の持ち主であったのか、そしてそれは、人は人々の中にいるという意識と連なるものであったか、そこ事を最もよく示す章です。

前半は他人との間に調和を保とうという心情であり、後半は自らの感情に不調和をつくらないという心情です。

「喪ある者の側に食す」というのは、他家の葬式の手伝いに行った時の事と言われています。手伝いとして立ち働くためには、食事をとらなければいけません。しかし、その食事は、近親者を喪って悲しみにひたる者の傍でとる事になります。礼のしきたりでは喪主自信は充分の食事をとってはいけない事になっています。その傍での食事です。「未だ嘗て飽かざるなり」・・・腹いっぱい食べた事はなかった。のです。

孔子は、喪に服している人のそばで食事をする時は、程々に控えられた、という事でした。又、弔問に行って哭礼・声をあげて泣くことを行なった日には、歌を歌われませんでした。

歌をうたうことは、孔子の日常生活の不可欠な一部分となっていたようですが、弔問などの不幸のあった日だけは、さすがに歌うことはありませんでした。

孟子は、「人皆人に忍びざるの心あり。惻隠の心無きは人に非らざるなり」・・・人は皆他人の不幸を平気で見ているには耐えられない心があるものだ。人の不幸を憐れむ気持のない者は人間ではない。と言っていますが、「人の痛みの分からないような者は、人間じゃない!」ということでしょうね。

孔子の時代には、葬儀に参列した時には「哭礼」と云って、声をあげて泣くことが礼儀作法とされていました。日本人は、人前では悲しみをぐっとこらえて、大声をあげて泣き叫ぶようなことはしませんが、お隣の韓国では哭礼の風習が今も残っているようで、身内の葬儀には棺に取りすがって大声で泣きわめく光景をよく見ます。あれは悲しみのあまり我を忘れて泣き叫んでいるのではなくて、ああやるのが儒教の元々の仕来たりなんだそうです。涙が殆ど見えないですよね。

「論語」の中には歌うことについての章がたくさん出てきます。

孔子はまた、人の歌を聞くのが楽しみで、気に入った歌にぶつかると、繰り返し歌ってもらい、それから自分も一緒に歌うのが常だったようです。

 

つづく

                                                                                           宮 武 清 寛

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