2771.孝経と詩経(1)爾の祖を念うこと無からんや | 論語ブログ

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孝経と詩経(1)爾の祖を念うこと無からんや

 

仲尼居し、曾子侍せり。

子曰く、先王に至徳要道有り、以て天下を順にす、民用って和睦し、上下怨むことみ無し。汝之れを知るか。

曾子、席を避けて曰く、参(しん)不敏なり、何ぞ以て之れを知るに足らん。

子曰く、夫れ孝は、徳の本なり、教の由って生ずる所なり。復(かえ)り坐せよ、吾れ汝に語らん。身體髪膚(しんたいはっぷ、之れを父母に受く、敢へて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、孝の終りなり。夫れ孝は、親に事うるに始まり、君に事うるに中(ちゅう)し、身を立つるに終る。

大雅に云わく、爾(なんじ)の祖を念(おも)うこと無からんや、厥(そ)の徳を聿(の)べ修むと。

 仮名孝経 開宗明義章第一 1頁1行目

 伊與田先生の解釈です。

開宗明義章第一

孔子先生がくつろいでおられたとき、弟子の曾子が傍にかしこまっていた。

孔先生が言われた。「先王は根源的に重要な道を知り、それを実践してもつに至った徳によって天下の人を素直に従わせた。民は和やかに睦まじく生活し、各々自らの立場をわきまれて、お互いに怨み合うようなことがなかった。お前はそれを知っているか」

曾子は席から立ちあがって言った。「私はまことに不束者であります。どうしてそんなに高遠なることを知りましょうか」

孔先生は言われた。「孝行というものは徳の根本になるものだ。いろいろな教えはここから出てくるのだ。席に戻って座りなさい。これからその孝行についてお前に話して聞かせてあげよう。この体はすべて親から授かったものだ。だから無茶をして傷つけたりしてはいけない。これが高校の始めだよ。それから世の中に出て正しい道を実践躬行して立派な人格を築き上げ、完成させる。そして亡くなった後も名が人の評価に揚がる。その時に自分の名だけではなく、父や母の名まで揚がる。これが孝行の終わりというものだ。だから孝行とは、まず親に仕えることから始まり、君に仕えることを経て、人格を次第に完成していき、年をとるほど立派な人物になって天寿を全うしたところで終わるものだ。

「詩経」の大雅にはこう言っている。お前の先祖を思わないでよかろうか。お前は先祖があるから今日があるのだ。だから、先祖の徳を受け継ぎ、それを自分に修め、さらに子孫に述べ伝えていかなくてはいけない、と」

*開宗明義…「孝経」の本筋を開き示し、意味を明らかにする。

*仲尼…孔子の字。

*身体髪膚…体全体。

 

「論語」に出てくる「詩経」の詩句から始まり「大学」「中庸」と紹介しましたから、今日からは「孝経」に出てくる「詩経」の章句を紹介していきましょう。

「孝経」は、孔子の高弟である曾子(紀元前506~437)の作だと言われています。具体的な事は分かりませんが、内容から推察すると、曾子学派の手になったものと想像出来ます。この「孝経」という書物は、全18章から成っています。別に22章の本も有るようですが伊與田先生は18章のもの(今文)を採用しています。

「孝経」の第一は開宗明義章といいます。開宗の宗というのは本来「本筋」という意味です。あるいは「本旨」といってもいいでしょう。家でも本家のことを宗家といいます。

宗教というのは一般に「しゅうきょう」と読んでいますけれども、これは「そうきょう」と読んでもいいんです。この宗は「本筋」という意味ですから人間となる本筋の教えを宗教というのです。

だから、開宗とは『孝経』の本筋を開き、示すという意味になります。

明義の「義」というのは「意味」です。あるいは「義理」といってもいい。だから、明義とはその意味を明らかにするということです。要するに、開宗明義章というのは、この書物の序論であり本論である。あるいは総論であるといっていいわけです。

この章に「子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり」とありますが、伊與田先生はこの語句について、「これは『論語』学而第一に有る『本立ちて道生ず』(根本が定まって道が開ける)ということをいっている」と指摘しています。まさにその通りですね。「論語」では「本立ちて道生ず」の次に「孝悌は其れ仁の本為るか」と続いています。つまり、孝と悌という徳こそが「仁」の根本であろうということです。仁というのは「論語」の中心概念であり、それは「孝」から始まるというわけです。そして、ここのところがきっちりと定まっていませんと、道、たとえば「生き方」などはふらふらして定まりようがありません。

この章の最後に「詩経」の句が登場します。「大雅に云わく、爾(なんじ)の祖を念(おも)うこと無からんや、厥(そ)の徳を聿(の)べ修むと」・・・「詩経」の大雅にはこう言っている。お前の先祖を思わないでよかろうか。お前は先祖があるから今日があるのだ。だから、先祖の徳を受け継ぎ、それを自分に修め、さらに子孫に述べ伝えていかなくてはいけない、と。

では、この詩句の出典ですが、「詩経」大雅・文王篇に出てきます。文王篇は七章五十六句の長詩ですが、ここでは第六章八句のみを取り上げます。

文王

文王在上、於昭于天。周雖舊邦、其命維新。有周不顯、帝命不時。文王陟降、在帝左右。

亹亹文王、令聞不已。陳錫哉周、侯文王孫子。文王孫子、本支百世。凡周之士、不顯亦世。

世之不顯、厥猶翼翼。思皇多士、生此王國。王國克生、維周之楨。濟濟多士、文王以寧。

穆穆文王、於緝煕敬止。假哉天命、有商孫子。商之孫子、其麗不億。上帝旣命、侯于周服

侯服于周、天命靡常。殷士膚敏、祼將于京。厥作祼將、常服黼冔。王之藎臣、無念爾祖。

無念爾祖、聿脩厥德。永言配命、自求多福。殷之未喪師、克配上帝。宜鑒于殷、駿命不易

命之不易、無遏爾躬、宣昭義問、有虞殷自天。上天之載、無聲無臭、儀刑文王、萬邦作孚

文王(大雅)

第六章

無念爾祖 聿脩厥德 

爾の祖を念(おも)ふ無からんや 厥(そ)の徳を聿(の)べ脩む(出典箇所)

永言配命、自求多福

永く言(ここ)に命に配し 自ら多福を求む

殷之未喪師、克配上帝

殷の未だ師(もろもろ)を喪(うしな)わざりしとき 克(よ)く上帝に配せり

宜鑑于殷、駿命不易

宜しく殷に鑑(かんがみ)るべし 駿命易(やす)からず

・爾の祖先たる文王の徳を思わずには居られない。文王の徳を思うて、其の徳を述べ顕し、これに倣って徳を修めて行かなければならぬ。

・文王は聖徳が有って、天命を受けて天下に王たるの業を開いた。此の天命にそむかぬ様に、いつまでも長く、これに添い合うように勉めて、天命を牛わぬ様にせねばならぬ。それには自ら努力して、徳を修めて怠らず、よって多くの福を求める様に心懸けねばならぬ。

・殷は紂王が暴逆であった為に、天命を喪って亡んだが、殷が未だ天下兆民の心を失わずに、天下を治めていた時は、能く上帝の心に添い合って、天道に循って天下を治めていたのである。

・周は文王の盛徳によって天命を受けてその子孫が天下の王となったが、宜しく殷が紂王の暴逆によって天下を失うに至ったことを鏡として、反省しなければならぬ。大いなる天下を保つことは、実に容易なことではなく、甚だ難しいのである。

引用の章句は章末に出てきています。自説の信憑性を高めるために権威があった「詩経」の一説を引いているので、章末に論詳するように出てくることが多いのです。

 

つづく

                                                                                               宮 武 清 寛

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