2769.中庸と詩経(13)予明徳を懐う、聲と色を以て大とせず | 論語ブログ

論語ブログ

ブログの説明を入力します。

中庸と詩経(13)予明徳を懐う、聲と色を以て大とせず

 

詩に云わく、予明徳を懐(おも)う、聲と色を以て大とせずと。

子曰わく、聲と色を以て民を化するに於けるは末なりと。

   仮名中庸 第三十三章 85頁4行目

   伊與田先生の解釈

詩経(大雅皇矣篇)に、「予は明徳を懐うのみで、特に声を大に色をはげしくすることはない」とある。

孔子は「声と色とをもって民を感化するのは末だ」と言っておられるが同じことをいうのである。

 

「詩に云わく、予明徳を懐う、聲と色を以て大とせずと」・・・この詩は、「詩経」大雅の皇矣(こうい)篇にでてきます。周の建国を頌えた歌で、詩の原文では、ここの引用句の前の句に「帝、文王に謂う」とあって、天帝の語である事がわかります。

従って、ここの「予」は天帝の自称となります。

「詩経」には、天帝から文王へのお告げとして、われは汝の輝かしい徳を心にとめている。汝はよく徳につとめ声をはりあげたり顔色をきびしくしたりして外の威厳につとめることはしない。とうたわれています。

伊與田先生は、「中庸に学ぶ」の中で、次のような説明をしています。徳には、外に現れる「明徳」の側面と、目には見えないが内にあって大きな働きをする「玄徳」の側面があると。玄徳を主に説いたのが老子であり、明徳を主に説いたのが孔子であると指摘して、「明徳」を発揮しようとすればするほど、根にあたる「玄徳」を養っていくことが大切である。と。

「子曰わく、聲と色を以て民を化するに於けるは末なりと」・・・「声と色」は「声以色」の以の字を与の意味で読んだもの。「声」は号令、「色」は外貌の威光という事です。ここは上の明徳者をうける。天帝のことではありません。

「声と色を以て民を化するに於けるは末なり」・・・「声」を政令、「色」を刑罰とみると、「論語」為政篇「これを導くに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民は免れて恥ずるなし」仮名論語11頁6行目に当たります。

孔子の言葉でも、「口に出したり容貌(かたち)にあらわしたりして外の威厳につとめることをするのは、民衆教化のうえでは末のことだ、根本的なことではない。と言っています。

いつものように、「詩経」を見てみましょう。大雅・皇矣篇は八章章十二句の詩です。

皇矣篇(大雅)

第一章

皇矣上帝、臨下有赫、監觀四方、求民之莫。

維此二國、其政不獲、維彼四國、爰究爰度。

上帝耆之、憎其式廓、乃眷西顧、此維與宅。

皇(おお)いなるかな上帝、下を臨(み)ること赫(あき)らかなること有り、四方を監觀して、民の莫(さだ)まらんことを求む。

維れ此の二國、其の政獲ず、維れ彼の四國、爰に究(たず)ね爰に度(はか)れり。

上帝之を耆(いた)さんとして、其の式廓(しょくかく)を憎(ま)し、乃ち眷(かえり)み西に顧みて、此れ維れ與え宅(お)らしむ。

第二章

作之屛之、其菑其翳。脩之平之、其灌其

啓之辟之、其檉其椐。攘之剔之、其檿其柘。

帝遷明德、串夷載路。天立厥配、受命

之を作(ぬ)き之を屛(す)つる、其の菑(し)其の翳(えい)。之を脩め之を平らぐ、其の灌(かん)其の(れい)。

之を啓(ひら)き之を辟(ひら)く、其の檉(てい)其の椐(きょ)。之を攘(はら)い之を剔(き)る、其の檿(えん)其の柘(せき)。

帝明德を遷して、串(かん)夷路に載(み)てり。天厥の配(たぐい)を立てて、命を受くることに固し

第三章

帝省其山、柞棫斯拔、松柏斯兌。帝作邦作對、自大伯・王季。

維此王季、因心則友。則友其兄、則篤其慶、載錫之光。

受祿無喪、奄有四方。

帝其の山を省るに、柞棫(さくよく)斯れ拔きんで、松柏斯れ兌(とお)れり。帝邦を作(な)し對を作すこと、大伯・王季よりせり。

維れ此の王季、心に因りて則ち友あり。則ち其兄に友あり、則ち其の慶(さいわい)を篤くし、載(すなわ)ち之に光を錫(あた)えり。

祿(さいわい)を受けて喪うこと無く、奄(つい)に四方を有てり。

第四章

維此王季、帝度其心、貊其德音、其德克明。

克明克類、克長克君。王此大邦、克順克比。

比于文王、其德靡悔。受帝祉、施于孫子。

維れ此の王季、帝其の心を度<入聲>らしめ、其の德音を貊[しず]<音麥>かにして、其の德克く明らかなり。克く明らかに克く類[わか]ち、克く長々[おさおさ]しく克く君たり。此の大邦に王<字の如し。去聲>として、克く順い克く比[した]<音匕>しめり。文王に比[いた]<去聲>りて、其の德悔<叶虎洧反>ゆること靡し。に帝の祉[さいわい]を受け、孫子<叶獎里反>に施[およ]<音異>ぼせり。

第五章

帝謂文王、無然畔援、無然歆羨。誕先登于岸。

密人不恭、敢距大邦、侵阮徂共。

王赫斯怒、爰整其旅、以按徂旅、以篤于周祜、以對于天下。

帝文王に謂(つ)ぐ、然く畔(はな)れ援(ひ)くこと無かれ、然く歆(うご)き羨(ねが)うこと無かれ。誕(おお)いに先ず岸(きわ)まれるに登れり。

密人恭しからずして、敢えて大邦を距み、阮を侵して共に徂けり。

王赫として斯(ここ)に怒り、爰に其の旅を整え、以て徂く旅を按(とど)め、以て周の祜(さいわい)を篤くし、以て天下に對(こた)えり。

第六章

依其在京、侵自阮疆。陟我高岡、無矢我陵、我陵我阿。

無飮我泉、我泉我池。度其鮮原、居岐之陽、在渭之將。

萬邦之方、下民之王。

依として其れ京に在(い)まし、阮の疆より侵せり。我が高き岡に陟(のぼ)れば、我が陵に矢(つら)ぬる無し、我が陵我が阿(くま)に。

我が泉に飮める無し、我が泉我が池に。其の鮮(よ)き原を度りて、岐の陽(みなみ)に居り、渭の將(ほとり)に在り。

萬邦の方(む)かう、下民の王なり。

第七章

帝謂文王、予懷明德、不大聲以色、不長夏以革。         (出典箇所)

不識不知、順帝之則。

帝謂文王、詢爾仇方、同爾兄弟、以爾鉤援、與爾臨衝、以伐崇墉。

帝文王に謂ぐ、予れ明德を懷(おも)う、聲と色とを大いにせず、夏(おお)いなると革むるとを長(ま)さず。

識らず知らずして、帝の則に順えり。

・天帝が文王に言われる。「我は、明らかにあらわれる君子の徳行をなつかしく思うて、これに天下を下すのである。」上帝は徒らに武力を以て他国を侵略することを好むものではないのである。

・仇をなす国を伐つにしても、声を大いにし顔色を激しくして、弱小の国をおどかして威圧するが如きことをせず、又いばらの木や鞭の革を以て打ち懲らすが如きことをして、ただ威力を握って敵を圧し滅ぼす如きをすべきではない。強力を以て敵を威圧するのではなくて、徳を以て懐けるようにあるべきことを戒めるのである。

・文王の心は、自ら天心と合一するものが有るので、かかる上帝の教戒を奉じて、よく徳を修め道に順って行う故に、知らず識らずの中に、その行うところが、自然に上帝の道の法則に順ってはずれないのである。

帝文王に謂ぐ、爾の仇方に詢(と)いて、爾の兄弟を同じくし、爾の鉤(こう)援と、爾の臨衝と、以て崇の墉(よう)を伐て。

第八章

臨衝閑閑、崇墉言言、執訊連連、攸馘安安。

是類是禡、是致是附。

四方以無侮。臨衝茀茀、崇墉仡仡。

是伐是肆、是絕是忽。四方以無拂。

臨衝閑閑たり、崇墉言言たり、訊(と)うべきを執(とら)うること連連たり、馘(みみき)る攸安安たり。

是れ類し是れ禡(ば)し、是れ致し是れ附く。

四方以て侮ること無し。臨衝茀茀(ふつふつ)たり、崇墉仡仡(きつきつ)たり。

是れ伐ち是れ肆(はな)ち、是れち是れ忽(ほろ)ぼせり。四方以て拂(もと)ること無し。

皇矣篇の一章二章は天大王に命ずるを言い、三章四章は天王季に命ずるを言い、五章六章は天文王に命じて密を伐つを言い、七章八章は天文王に命じて崇を伐つを言っています。

文王は「声と色を以て民を化する」ようなことをしませんでした。このような強制的な手段ではなく、徳をもって民を化したのです。為政者達よ、文王をお手本とせよ、と言いたいのでしょう。二千五百年後の今の世界を眺めるとしっかりこの事を理解してそしいなあと思える人の多い事を感じます。

 

つづく

                                                                                             宮 武 清 寛

                                                                                               論語普及会 

論語普及会 TOPこんにちは、論語普及会です。

論語は、生きるヒントの宝箱です。

rongo-fukyukai.jp

会員募集中です。