論語全章を読む(259)
泰伯第八-21 208.禹は吾間然すること無し
子曰わく、禹は吾(われ)間然(かんぜん)すること無し。飲食を菲(うす)くして孝(こう)を鬼神(きしん)に致し、衣服を悪(あ)しくして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室(きゅうしつ)を卑(いや)しくして力を溝洫(こうきょく)に盡(つく)す。禹は吾(われ)間然(かんぜん)すること無し。
泰伯第八 仮名論語108頁6行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
先師が言われた。「禹の人柄については非の打ちどころがない。自分の飲食を簡素にして、先祖の霊や天地の神を丁重に祭り、衣服は粗末にして祭礼の時につける前垂れと冠即ち祭服を美しくし、自分の住居を質素にして、灌漑用の水路の構築に力を尽くした。まことに禹の人柄に対して自分は一点の非の打ちどころもない」
禹(う)は、治水を成功させ、夏王朝を樹(た)てました。
禹は夏王朝の開祖とされます。伝説的な聖王で、名は文命、五帝の一人帝顓頊(せんぎょく)の孫で、夏后(かこう)氏、また有虞(ゆうぐ)氏とも言われています。
「論語」には4回出てきます。
舜の時代、父の鯀(こん)が黄河の治水を命じられましたが失敗しましたので、その子の禹が後を継いで仕事をすることになりました。彼は十三年間この仕事をし、この間に三回自宅の前を通り過ぎたのに家に入ろうとせず、ついに治水に成功しました。こうして彼は舜からやはり禅譲されたのです。孔子が舜・禹と二人並べて褒めたことは先日記したとおりです。
この章は、禹だけを取り上げて、孔子はこのように言っています。
「禹は吾(われ)間然(かんぜん)すること無し」・・・禹に対しては、非の打ちどころがない。「飲食を菲(うす)くして孝(こう)を鬼神(きしん)に致し」・・・飲食を切り詰めて手厚く先祖を祭り、「衣服を悪(あ)しくして美を黻冕(ふつべん)に致し」・・・質素な衣服を着て、祭りにつける衣服や冠を立派にし、「宮室(きゅうしつ)を卑(いや)しくして力を溝洫(こうきょく)に盡(つく)す」・・・宮殿を粗末にして、灌漑の水路のために力を尽くされた。「禹は吾間然すること無し」・・・禹に対しては、非の打ちどころがない。
禹の質素倹約な日常生活と、治水のために労を惜しまなかった、その勤権力行振りを褒めたのです。
禹は舜の下で働いていたのですから、当然舜の五人の臣の一人に数えられています。
禹の子供を啓(けい)といいますが、禹は堯や舜と同じように、伯益(はくえき)に位を譲ろうとしました。しかし、人々は皆、啓(けい)のところに行きましたので、啓が後を継ぐことになりました。こうして中国に初めて世襲の王朝が誕生したのです。この王朝を夏(か)と言います。そして夏王朝が天下を治める為に作った制度や文化、つまり夏の礼ができたのです。
つづく
宮 武 清 寛
論語普及会
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