指導者として人物を磨く・論語(154)
「論語」が目指す「君子」たる人物 ⑧君子は事え易いくして説ばしめ難しⅰ
子曰わく、君子は事え易くして説(よろこ)ばしめ難し。
之を説ばしむるに道を以てせざれば説ばざるなり。
其の人を使うに及びては之を器にす。
小人は事え難くして説(よろこ)ばしめ易し。
之を説ばしむるに道を以てせずと雖も説ぶなり。
其の人を使うに及びては備わらんことを求む。
子路第十三 仮名論語197頁5行目です。
伊與田覚先生の解釈です。
先師が言われた。「君子は事え易いが喜ばせにくい。君子を喜ばせるのには、正しい道にかなっていなければ喜ばない。そして人を使うには、個々の長所に応じた使い方をする。小人は事えにくいが、喜ばせやすい。小人を喜ばせるのには、正しい道にかなわなくても喜ぶ。然し人を使うに当たっては、完全を求めてなんでもさせようとする」
「君子は事え易くして説ばしめ難し」・・・。君子は君主として仕えるのはたやすいが、喜ばせるのは難しい。「之を説ばしむるに道を以てせざれば説ばざるなり」もし喜ばせようと思っても、道理に従ったものでなければ、喜ばないからです。それは、君子は理性の持ち主だからです。理性に外れた事をして喜ばせようと思っても喜ぶはずがありません。理性というのは、道理への強い執着であると共に、人間の多様性に対する敏感さでなければならない事をこの章は教えています。
「其の人を使うに及びては之を器にす」・・・そして、其の人・君子は人を使う時は相手の特殊な才能を尊重して、その才能に応じ適材適所に配置します。
これに反して小人は逆です。「小人は事え難くして説ばしめ易し」・・・仕える人が小人であれば働きにくいが、喜んでもらうのは簡単です。「之を説ばしむるに道を以てせずと雖も説ぶなり」・・・もし喜んでもらおうと思えば、道理に従ったものでなくても喜んでもらえるからです。「其の人を使うに及びては備わらんことを求む」したがって、小人が人を使う時は、働き方は万能であり結果は完全でないと承知しません。
君子は正しい道に適わなければ喜ばなく、小人は正しい道に適わなくても喜ぶ。という事です。
伊與田先生の著書『指導者として人物を磨く・論語』Ⅲ第二講、「論語」が目指す「君子」たる人物、にはこう書かれています。
手段を選ばずに注文を取ってきて喜ぶ社長もいますが、上に立つ君子は、ちゃんと道を踏んで注文を取ってきたものかどうか、見極めることも大切です。上に立つ者が君子であるかどうかによって、下の者の言い方もまた違ってくるわけです。
「論語」には、「社長の心得」が君子として出てきます。君子たる経営者となるように心がけることも、非常に大切なことだろうと思います。と。
つづく
宮 武 清 寛
論語普及会