1639.指導者として人物を磨く・論語(152)「論語」が目指す「君子」たる人物 ⑥富と貴とは是 | 論語ブログ

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指導者として人物を磨く・論語(152

 

「論語」が目指す「君子」たる人物 ⑥富と貴とは是れ人の欲する所ⅱ

 

伊與田先生の著書『指導者として人物を磨く・論語』Ⅲ第二講、「論語」が目指す「君子」たる人物、にはこう書かれています。

 

子曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以って之を得ざれば、處らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。其の道を以って之を得ざれば、去らざるなり。君子は仁を去りて悪くにか名を成さん。君子は食を終わるの間も、仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於いてし、顚沛にも必ず是に於いてす。

(論語・里仁第四)

先師が言われた。「人は一般に裕福になり、高い地位に登りたいと願うものである。然し正しい人の道によって得なければ、それには満足しておらない。貧困にはなりたくなく、低い地位にはおりたくないというのが一般である。然し正しい人の道によることがなければ、貧困から逃れようとしてあせらない。君子は、仁の道から離れてどこで有徳の立派な人物だと称えられようか。君子は、食事をする間も仁の行に違うことなく、あわただしい場合でも必ず仁の道により、つまずいてひっくりかえるような時でも仁の道から離れることはない。

 

「仁」は人間の最高の道徳を意味します。大阪というところは、商人が道を学んだところです。金儲けはドロドロしていますが、浪速商人は道に沿った商売をやっていく。けれども、なかなかそうはいかないものですから、神詣でに行きます。「月参り」と言いますが、一瞬でも神に近づきたいという願いをもってお参りしました。

ですから、あまり過ちを犯さずに、何代も続いた老舗がでてきました。それで、仁からもはなれないようにと願い、小学校に「道仁小学校」、町名に「道仁町」という名をつけた所もあるわけです。

 

子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ與に比う。

                           (論語・里仁第四)

先師が言われた。「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ」

 

政治においては、「公約を守る人が優れた政治家である」とは必ずしも言えません。世の中が変わっているのに公約に固執して、時代の流れから外れている人がいます。インドをして無血の独立を勝ち得たのは、マハトマ・ガンジーでした。ガンジーは公約を破棄したことが多くあります。

というのは、ガンジーに対する強い信頼、あるいは、信仰があって、信仰があって、彼が手を振ると、たちまち数万の大衆がその方向へ動きます。群集心理です。それでは誤った方向に行く場合がある。その恐れがあるときには、ガンジーは公約を直ちに撤回しました。なかなかできない事です。ですから、「一つにとらわれることはない。道義に従ってやっていくんだよ」と、孔子は言っているのです。

伊與田覚著「指導者として人物を磨く・論語」による

 

つづく

宮 武 清 寛

論語普及会                       

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