京都鉄道博物館へ収蔵され、文化財として展示されていた特急トワイライトエクスプレス。
1989(平成1)年7月21日に運転開始、2015(平成27)年3月13日に終着駅へ到着後、その営業運転を終了しました。
今日の記事は、京都鉄道博物館で撮影はしたものの、公開することは無くフォルダーに収まっていた写真のUPです。
使わなかったのには理由もあるもので、全体のバランスを取るために一部、再掲載の写真もありますことをご了承くださいな。
この3枚はいずれも一昨年の撮影で、1番上は″撮った″と言うよりも″写った″と言った方が正しい写真だったりします。
223系 京都の森QRトレイン と蒸気機関車は別の日ですが、こちらは狙って撮った写真となります。
C56-160号機が牽引するSLスチーム号は、鉄道開業150周年記念のヘッドマーク付きですが、C56形は往復ともこの辺りで煙モクモク、蒸気プシューなので、いい感じに撮れました。
場所は喫煙コーナー付近でEF65-1号機前辺りからの写真難ですが、いつもは京都鉄道博物館へ持って行かない長望遠系ズームを持参しての撮影でした。
今回UPしている写真は2018(平成30)~2023(令和5)年にチョコチョコと撮影したトワイライトエクスプレスです。
続いての写真は何も特別展示が無い時に訪館した時に、車両工場はどうなっているんだろう?と足を運んでみると、オハ25-551 と カニ24-12が入庫していたので、日頃見られない屋根上を見学してみようと相成った時でした。
他の鉄道博物館などに比べてオハネフ25やナハネフ22がいない分、少し華やかさが足りないよねぇが第一印象だったのですけど。
電源車が保存展示車両になっているなんて、何て凄い博物館なんだろうと感嘆したものですが、もう京都鉄道博物館に現存しないカニ24形です。
エンブレムはオハ25形のものですか、巨大なファンとベンチレーターはカニ24形の屋上設備です。
あの小さな鉄道模型 = Nゲージでもその存在感が大きい屋根上ファンを、静止状態で間近に観察できるのですから、テンション上がりっ放しだったことを覚えています。
ベンチレーターも並んで入庫していた旧型客車 = オハ46-13と形状が同じで、このシステムと形状がベターなんだろうなぁと、いろいろ推測できます。
外観上の形態はいろいろ観察したのですが、写真に撮ったのはこの2枚だけで、今となってもっとしつこく撮っていれば良かったなぁと、しみじみ感じているところです。
この3枚はトワイライトプラザに展示されているスロネフ25-501です。
昔で言うところの1等展望車にあたりますが、最後尾は解放スペースではなく、スイートルームというダブルルームの個室となっています。
全長20mの客車の約25%の広さを誇る豪華客室で、残りのスペースにロイヤルルームが4室、素子です車掌室そして乗降デッキになっています。
トワイライトエクスプレスのテールマークと遠くに見えるDD54-33号機を、そして展望室ガラスに映り込むEF65-1号機を入れて撮ってみました。
再び車両工場でのトワイライトエクスプレスですが、この写真はトワイライトエクスプレス瑞風の1周年記念展示の時に撮影しています。
ダブルトワイライトエクスプレスの特別展示と言うことで、普段の入館者を超える混雑ぶりで、そんなに枚数は撮れなかった割に滞在時間は長大となりました。
全日そうだったのか私が訪館した日がそうだったのかは分かりませんけど、あまりの混雑ぶりに動線確保や人の流れの誘導が全く手に負えず、人の入れ替わりが滞留してしまっていたのも、今は好い思い出となっています。
ダブルトワイライトは大阪向きの先頭車 キイテ87-1とキサイネ86-1、そしてEF81-113号機とオハ25-551の4両が、特別展示車両でした。
車両工場には2両編成2本しか入線できないので、外には締め出されたトワイライトエクスプレス瑞風の残りの編成と、いつもは手をつないでいるカニ24形が閑雲野鶴としていました。
上手く撮れていないのですけど、オハ46形の向こう側へ連結されているのがカニ24形で、画面の左側へいるのが瑞風です。
好い感じに撮れないように止めてあって、喫煙所付近に人だかりができないよう、工夫して止めたのだろうと思われます。
停止位置や連結順は固定されていないので、別の日にはオハ46形が1番遠くにいて、カニ24 + オハ25形の順番のこともありました。
この4枚は奥にカニ24形またはオハ25形を入れて、スワローエンゼルことC62-2号機と合わせて撮っています。
SLスチーム号のりばのホームから撮った写真は昨年10月の写真で、雨が降り始めてしまってちょっとしっとりな風情です。
残りの3枚はC62-2号機がオーバーホールを受ける以前の撮影ですが、扇形庫へ帰るため転車台に乗る時なので、いつも夕方の写真となっています。
3枚ともC62形とトワイライトエクスプレスの間に炭水車がいるのですが、これは 8620形 8630号機のテンダーで、短期間で再訪しているので同じ日の写真のように見えます。
徐行とは言え機関車は動いているし人も多いので、これだけ場所を移動しての撮影は単日ではムリなんですけどね。
と言うことで、C61-2号機そして8630号機の炭水車とも、頑張って合わせて撮っています。
さて、日本国内で収蔵保存されているブルトレ用電源車は2両しかいない希少種で、鉄道遺産としてだけでなく産業遺産・工業遺産としても貴重な車両でした。
この度、京都鉄道博物館のカニ24-12が廃棄されてしまったことはとても残念ですが、それは年末の記事で「広島の被爆建物と同様である」と記しました。
カニ24形の場合は発電機2機が車内に搭載されており、車体そしてシャシーの劣化によって車両そのものが崩壊しかけていました。
建物であっても工業製品であっても必ず経年劣化は発生し、やがて倒壊するのは自然の摂理ですが、日本は国の制度として産業遺産・工業遺産そして被爆遺産を文化財として認めたがりません。
ここに一企業として限界を迎えることになるのですが、歴史的建築物と同等の保護制度があると、カニ24形のもっと早い段階での修復が可能であったことは確実です。
何を残して何を廃棄するかの線引きも難しいとは思いますが、博物館としてクラウドファンディングなども、日本では難しかったのでしょうか?
さて、カニ24形が展示終了となる際に車内一般公開が実施された折、興味深い事実が明るみになりました。
トワイライトエクスプレスがまだ名称が決定する前、青函トンネルを通って大阪と函館を結んでいた特急日本海がいたため、便宜上の仮称として新日本海と呼ばれていたようです。
正式デビュー時は、出発日夕刻と翌朝明け方をイメージする″トワイライト″が命名されましたが、選考におて北をイメージする列車名がの多くが既に使用済みで、「スターライト」など生命の候補が多数挙げられていたようです。
が、カニ24の車内には公式に新日本海の仮称が記されていたことは、やはり歴史は面白いと感じるばかりのできごとでした。