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![安芸もみじ / 神社と電車と自転車と ┃ ヒロシマ・平和学習・平和教育・世界史・近代史・核兵器廃絶・世界史ブーム・現在、過去、未来の世界情勢・国際情勢・国際関係問題・世界の不安定な情勢や戦争と紛争・現代社会を深く理解するための基盤・激動の時代を生きる力・世界の中の日本を生きる教養・今あなたが一番知りたいこと・今でしょ](https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/15/miyashima/a0/66/p/o0800080014956246433.png?caw=800)
今から七十八年前の今日、一発の原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。
街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が一瞬にして奪われ、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。
内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
そして、今なお、後遺症に苦しむ方々に対し、心からのお見舞いを申し上げます。
核兵器によってもたらされた広島、長崎の惨禍は、決して繰り返してはなりません。
我が国は、引き続き非核三原則を堅持しながら、唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けます。
現在、核軍縮を巡る国際社会の分断の深まりやロシアによる核の威嚇等により、その道のりは一層厳しいものになっています。
しかし、このような状況だからこそ、「核兵器のない世界」の実現に向け、国際的な機運を今一度呼び戻すことが重要です。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを進める上で原点となるのは、被爆の実相への正確な理解です。
本年5月のG7広島サミットでは、世界のリーダーたちに、被爆者の声を聞いていただき、被爆の実相や平和を願う人々の思いに直接触れていただきました。
また、世界の指導者のみならず、若者等による広島、長崎訪問を促しました。
各国首脳による胸襟を開いた議論や「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」の発出を通じ、核軍縮の進展に向けた国際社会の機運を今一度高めることができました。
既に始まっている国際賢人会議の議論も踏まえながら、「核兵器のない世界」の実現に向け、引き続き積極的に取り組んでまいります。
また、被爆者の方々の平和への思いを次の世代へとしっかりとつないでいくための取組については、今後とも、「ユース非核リーダー基金」のプログラムなども通じ、積極的に行ってまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。
原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
2023(令和5)年8月6日
内閣総理大臣 岸田 文雄
ー平和への誓いー
みなさんにとって「平和」とは何ですか。
争いや戦争がないこと。
差別をせず、違いを認め合うこと。
悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔になれること。
身近なところにも、たくさんの平和があります。
1946(昭和20)年8月6日 午前8時15分。
耳をさくような爆音、肌が焼けるほどの熱。
皮膚が垂れ下がり、血だらけとなって川面に浮かぶ死体。
子どもの名前を呼び、「目を開けて。目を開けて。」と、叫び続ける母親。
たった一発の爆弾により、一瞬にして広島のまちは破壊され、悲しみで埋め尽くされました。
「なぜ、自分は生き残ったのか。」仲間を失った私の曽祖父は、そう言って自分を責めました。
原子爆弾は、生き延びた人々にも心に深い傷を負わせ、生きていくことへの苦しみを与え続けたのです。
あれから78年が経ちました。
今の広島は緑豊かで笑顔あふれるまちとなりました。
「生き残ってくれてありがとう。」
命をつないでくれたからこそ、今、私たちは生きています。
私たちにもできることがあります。
自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。
友だちのよいところを見つけること。みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。
今、平和への思いを一つにするときです。
被爆者の思いを自分事として受け止め、自分の言葉で伝えていきます。
身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。
誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます。
2023(令和5)8月6日 こども代表
広島市立牛田小学校6年□□□勝岡 英玲奈
広島市立五日市東小学校6年□米廣 朋留
ー長崎平和宣言ー
「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。
背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。
3年7ヶ月の病院生活、その内の1年9ヶ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
私の胸は床擦れで骨まで腐りました。
今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。」
これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄さんが語った体験です。
1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。
生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。
谷口さんは6年前にこの世を去りましたが、生前、まさに今の世界を予見したかのような次の言葉を遺しました。
「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」
長期化するウクライナ侵攻の中で、ロシアは核兵器による威嚇を続けています。
他の核保有国でも核兵器への依存を強める動きや、核戦力を増強する動きが加速し、核戦争の危機が一段と高まっています。
今、私たちに何が必要なのでしょうか。
「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです。
今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。
また、このサミットの成果文書である「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では、「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」ということが再確認されました。
しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。
核抑止の危うさはロシアだけではありません。
核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。
私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。
核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。
今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。
人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、対決ではなく対話によって核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。
核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。
そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジア非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。
地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。
被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。
この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。
被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、そして核兵器を廃絶できるかは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。
被爆地を訪れ、核兵器による結末を自分の目で見て、感じてください。
そして、世界中で語り継ぐべき人類共通の遺産ともいえる被爆者の体験に耳を傾けてください。
被爆の実相を知ることが、核兵器のない世界への出発点であり、世界を変えていく原動力にもなり得るのです。
私は、両親ともに被爆者である被爆二世です。
「長崎を最後の被爆地に」するため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいきます。
日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と一日も早い被爆体験者の救済を強く求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、長崎は、広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島をはじめ、平和を希求するすべての人々と連帯し、「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2023年(令和5年)8月9日
長崎市長 鈴木 史朗
※ 注記
長崎平和祈念式典2023の参列は中止されました。
台風6号の接近に伴い、会場を出島メッセ長崎へ変更の上、参列者の安全確保のため、来賓者、式典出場者及び被爆者・遺族の代表者のほか、事前申込みをいただいた方や自治体など全ての参列を中止しました。
「入場整理券」をお持ちの方も式典会場へ入場できません。