平和記念日へ向けて | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

平和記念日へ向けて


最初にお断りなんですが、今日の写真には一部に衝撃的な内容が含まれていますので、閲覧には十分にご注意をお願い致します。



先日、夕方にトイレへ行った時のこと、もう夜になっているのかと思うほどの、電球色の照明が美しく窓の景色を彩っていました。

が、そもそもこの照明はいつ工事したんだろう?と思って、窓の外を見回すと空はどうやら暗くなく、黄色い光は自然に黄昏色を放っているように感じました。

夕刻といえど気温は下がらず、うだるような暑さでしたが、カメラを持って外へ出てみました。


オレンジ色と呼ぶよりは、黄色と朱色が混ざる光の中、住んでいる街ごと異世界へ転生したような空間。

特に不思議だったのは空の色で、カメラは赤外線に影響を受け過ぎての色合いとなっていますが、実際は青空はもっと青色です。

雲が西方ではなく、真上にあったが故の現象で、本来は夕日に向かって夕焼けとなるものが、太陽は既に沈んでいて雲が天頂にあったがための景色となりました。

西空は青く真上が夕焼けとなった珍しい夕空。


長く生きていると、稀ではありますが不思議な景色に出会うことがあります。

ところで地球は自転し太陽の回りを公転していますが、太陽も実は自転と公転をしていて、銀河の中心部を2億3000万年かけて一周します。

太陽系が生まれてから今までに20周した計算になりますが、他の例えばアンドロメダやマゼランなどの銀河の写真を見ての通り、私たちの天の川銀河も星の腕がある場所と無い場所が存在します。

星の腕は渦巻きの腕とも呼ばれ、約1億5000万年ごとにその腕を通過しますが、腕のエリアは星の密集地帯なので、地球を始めとして火星や木星など他の太陽系惑星にも隕石が降ることになります。


今は太陽系内の小惑星が地球と衝突する可能性だけを観測すれば良いですが、太陽系が腕を通過する数千年間は、どこから何が突っ込んで来るか判らない世界になります。

地質調査や計算によると、地球では2千600万年ごとに生命の大量絶滅が発生しているのだそうで、有名な恐竜の絶滅もその内の1つに過ぎないそうです。

秒速600キロ = 時速200万キロ以上で、郊外のラッシュ帯のような星の密集地帯を、通過することになる太陽系。

計算上は他の天体と衝突する可能性は極めて0%に近いそうですが、隕石の雨は避けられそうにはなく、人類が滅亡することは無いそうですが、文明はかなり破壊されるようです。


ただ、空を見上げるとその時代には、今とは違う魅惑的な景色が繰り広げられることは間違い無く、叶うものならばそんな景色を是非見てみたいものです。

さて、ここまでは物理学 や天文学のお話しで100%訪れる将来でしたが、少しずつ話しは逸れて行きます。

まず空から降る隕石の雨ですが、私はイメージ的に約25年前に流行したノストラダムスの予言書の、1999年7の月。

数千年続くのですから、ファーストインパクトだけでなく何度も何度も生命体を危機に陥れる自然現象が発生するでしょうし、他の惑星系が近くなるので異星人や異世界人とも遭遇するとなれば、それはもう新世紀エヴァンゲリオン。


数千年後に人類滅亡の危機を乗り越えて安定期になれば、地球上は北斗の拳の世界が広がるのでしょうか。

または石から復活したり石化させたりは無いでしょうが、Dr.ストーンのような世界が広がるのかも知れませんが、北斗の拳にしろDr.ストーンにしろ、文明がどの程度の壊滅を受けるのかによりますよね。

ただ、数千年に渡っての環境変化なので、人類に変わる新しい支配層の生物が、誕生するのかも知れません。

そうすると、新しい支配層の生物が新しい文明を築き、いつの日にか私たちの遺構や遺物を発掘した時には、今私たちが使っている物は先史時代遺物 = オーパーツですね。


太陽の今の年齢は推定ですが46億歳で、ちょうど人生80年なら40歳、100歳なら50歳の位置にあたるので、惑星を抱える恒星としては後45億年程度の寿命ですが、恒星としての寿命を迎えても赤星巨星そして白色矮星としての余生があるので、最短でも123億年が太陽の存在年数です。

地球はとうの昔に存在しないか、生物が生息するには不可能な星となってしまっていますが、皆が造り繁栄させた文明の痕跡も失われ、誰もが記録したデータや写真も閲覧する者は永久に訪れません。

そんな生命の痕跡も失われるまでの間、数十億といった年月がありますが、この無限に広がる大宇宙の中で、地球1つの霊長類に過ぎない人類は、いつまで互いの命を縛るのでしょうか。

この真っ赤な光に包まれた景色の中、私はふと中岡 元の姿を連想してしまったことも事実でした。


広島人だとすぐにピンと来る名前なのですが、県外の方々だと誰よ?となる人が多いでしょうし、それも仕方ありません。

1973(昭和48)年から週刊少年ジャンプで連載が始まり、実写映画にもアニメにもなった作品「はだしのゲン」の主人公です。

1976(昭和51)年に父へ三國連太郎を配役し最初に映画化された作品の、そのラストシーンでは破壊され消失した広島の風景の中、オレンジ色に染まる夕景をシルエットと化した中岡家の家族が、明日へ向かって歩み始めます。

もうウン十年も昔から、黄昏色に包まれる夕方には、そのラストシーンといつも重なる心象です。


少年誌に連載されたのが1973(昭和48)年、映画化されたのが1976(昭和51)年で、令和の現在では描写が差別に属したり性描写として相応しくなくなったりと、現代では基準的に難しくなってしまった作品です。

その影響で今年度から小学校~高校での広島平和教育での教材から、はだしのゲンが消えました。

確かに同時代の他の原作やアニメも、現代基準では放送や図書館陳列に耐えられず、お蔵入りさせられている名作も多い。

同理由で放送できない名作アニメの代表格と言えば、科学忍者隊ガッチャマンや一休さんや平成前半までのドラえもんなど、DVDやBDでの再版も難しいタイトルが並びます。


A-bomb survivors are not hams.<br>Discrimination is a serious violation of human rights.<br>No hate is allowed.
A-bomb survivors are not hams.<br>Discrimination is a serious violation of human rights.<br>No hate is allowed.


ただ、はだしのゲンに関しては広島市の学校や公設の図書館で、誰でもが読むことができる体制は堅持するようです。


さて、明日から8月となるこの季節、広島そして長崎では核廃絶と戦没者そして原爆犠牲者への、祈りの季節へと入ります。


2016年より始まったブログスタンプでは、8月6日の被爆者を差別するスタンプに対して、2017年から毎年アメブロへ抗議を続けていますが、他のブログスタンプへの差し替えや何らかの考えを返信を頂けるなど、7年間に何も対応を頂いておりません。


このような不誠実な対応は、被爆者へ対しての差別が根底にあるものと推察されることから、抗議10年目を目処に法律に基づいた行動を起こすための準備に入っていることは、過去の記事で既に公表しているところです。



当方の主張はこれまでの8月6日の記事をご覧頂ければご理解頂けると思いますが、決して8月6日と9日を″原爆の日″や″平和記念日″など、それに類するブログスタンプへの変更を求めているものではありません。


他にも公式制定や非公式の記念日が数多くあるにもかかわらず、わざわざ実在しない″ハムの日″というブログスタンプを、私以外からも膨大なクレームや要望の声が届きなら、なぜ固持しているのかというものです。


この質問に対して前述の通り返信を頂いたこともありませんし、他の記念日への差し替えも行う意思は、アメブロには無いようです。


これはアメブロによる人権侵害と差別ではないのか?という疑問から、実際に人権侵害と差別であるという確定へ至った理由は、他にもあるのですが現時点では記事での開示は致しません。



8月6日にブログスタンプの変更が確認されなかった事を受けて、年1回の抗議文と記事における抗議をこれまで継続してきました。


それ以外にも、アメブロによるアンケートや要望において、このブログスタンプに対するクレームは述べてきました。


今年も既に7月なので、当然ですがこれまでのアンケートに答える際に、ブログスタンプについての要望はご意見欄へ記入しています。


毎年、アメブロの良心による自浄作用を期待しつつ、8月6日の平和記念日を迎えるのですが、いつになれば被害者の苦痛の声はサイバーエージェントとアメーバブログへ届くのでしょうか。



途中から写真は、平和記念公園基安東岸へ新たに設置された、マハトマ ガンジーの銅像へと変わっています。


この銅像は5月19日から開幕した先進7ヶ国首脳会議 = G7広島サミットの拡大会合に参加した、核保有国のインド政府から寄贈を受けました。


G7初日にインド政府関係者との除幕式も行われ、市国際化推進課は「ガンジーは非暴力の哲学と実践の先駆者。インドとの友好親善や交流の発展にも期待したい」と述べました。


胸像は高さ約2.2m、幅約1.8m、奥行き約1.2mで、インド政府は同様の胸像を国連にも寄贈しており、今回も費用を全額負担しました。



ガンジーの胸像は既存の記念碑である″原爆犠牲 ヒロシマの碑″と、向かい合っての形で設置されています。


元安橋から世界遺産航路の乗り場を通り過ぎてき牡蠣船かなわの反対側まで歩くと、もう目の前なので分かりやすい開けた場所にあります。


この夏休み、そして平和記念式典へ来られる際には、是非ガンジーの胸像をご覧頂けると幸いです。


ガンジーは非暴力・不服従を掲げ、英国からの独立に導いた「インド独立の父」として知られますが、その理念と言動から世界平和のシンボルともされている偉人です。



広島市によると、今年4月にインドのシビ・ジョージ駐日大使から寄贈の申し出があり、ガンジーの理念や活動が平和を推進する市の立場と一致するとして、受け入れを決めたそうです。


ただ、インド側は平和記念公園内への設置を希望したそうでが、もう昭和の時代には記念碑の新設は許可しないとの条例が定められています。


中曽根康弘 元総理の寄贈碑文も政府の圧力に屈せず、元安川東岸へ設置した過去があることから、インド側も現在地で了承に至ったようです。


ただ、本川西岸に比べて本通り商店街と平和大通りを結ぶ公園道であり、人通りも多く利便性も高いので、公園内に埋もれるよりも現在地が良いように私個人も感じます。



広島市が発表したのが5月10日で、11日から設置工事を開始、18日までに工事は完了して19日の式典となりました。


しかし一般へのお披露目はもっと後になり、平和公園はG7サミット開催中は閉鎖されていたので、終了してからやっとその姿を見ることができました。


記事へのUPは今更なんですが、撮影はG7サミットが終了して直ぐだったりします。


一般に不戦の誓いと言われる日本国憲法第9条、そして国際平和都市ヒロシマ、非暴力と不服従を貫いたガンジー••••••••これらがただの平和コレクションとならないよう、今の岸田政権だけでなく未来の各政権への望みは高くなります。



この時のG7サミットで核軍縮文書「広島ビジョン」が肯定した核抑止力について、松井一実 広島市長は「核抑止力の論法は、この度のロシアによるウクライナ侵攻で破綻している」と強調しました。


核兵器を実際に使用するかしないかではなく、それ以前の段階で他国への侵略行為を妨害するのであれば、核兵器の使用もあり得ると言った国際社会への脅迫。


核兵器を保有しているからこその、核戦争や主権蹂躙そして戦争が起こりにくいと言った理論を、ロシアのプーチン大統領が身を以て否定したためです。


これにより、今年の広島平和宣言は、市民社会に向けて核抑止論からの脱却を、為政者へ促すよう訴えます。



平和宣言では、広島ビジョンで「核兵器が存在する限り、防衛目的で役割を果たすべきだ」との考えが示されたと指摘。


世界中の政治指導者に対し、核抑止論の破綻を直視した上で、核兵器の無い世界へ具体的な取り組みを始めるよう迫り、市民社会の後押しも促します。


サミットを巡っては、平和記念公園を訪れた首脳たちに松井市長が原爆慰霊碑で碑文に込められた「広島の心」を説明し、受け止めてもらったとも回顧。


被爆者の体験記を引用するなどし、為政者に被爆地訪問を要請する。



他にはインドのマハトマ・ガンジーの「非暴力は人間に与えられた最大の武器」と言うことばを盛り込み、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を世界に広めるよう呼びかけます。


日本政府へは、核兵器禁止条約への署名と批准や、第2回締約国会議へのオブザーバー参加を強く求めるつつも、松井市長は平和宣言では広島ビジョンの評価へ踏み込まない考えのようです。


会見では「各国の為政者に、理想の追求と未来志向を貫く行動を促したい」と訴えていて、平和宣言の前哨は既に始まっているかのようでした。


さて、今年の平和記念日の記事では、もうアメブロへの抗議をしないで済むように願うばかりですが、各保有国の思惑だけでなく一般の差別や偏見と言った違法行為とも戦わなければなりません。


私からすれば人間としての才能を疑うばかりですが、相手からするとこちらが何を主張しているのかが、理解できないのかも知れません。



そして今日の内容からのリンクですが、先日ちょっとつもと違う嗜好の映画を見ました。


その映画は「おじいさんと草原の小学校」


勉強したい知識を学びたいという一心で、小学校に入学した84歳のキマニ マルゲの実話です。


祖国ケニア独立のために戦い、いくつもの差別と虐待と悲しみを乗り越えたマルゲの姿を描いた映画なんですが、個人の伝記的なだけではなく、国家とは国民とは平和とはなども考えさせる作品でした。





May the world be filled with peace and happiness.





昨 2022年10月14日は鉄道開業150周年でしたが、今年 2023年7月1日は現役最古の優等列車 さくら号の誕生100周年でした。

さくら号は日本で2番の特急列車として登場し、現在も新幹線の列車名で走り続ける名門列車で、今年いっぱいこのアイコンを全記事に貼ります。

デザインは現在のさくら号 新幹線 N700系、100年前の牽引機だった蒸気機関車 8620形、そしてブルートレイン時代の20系客車に、特急さくらのヘッドマークをあしらいました。


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