~ファンタジックな森のヒーリングハウスで、素の自分を取り戻す時間を~
北海道神宮の山にある愛と美と喜びの空間へ。
50歳で東京から札幌へ移り住み、目指すは生涯現役アロマセラピスト&ヒーラー。
自然からのセンス・オブ・ワンダーを大切に、日々の小さな喜びを綴っています。
【ハーブガーデン&アロマ・ヒーリングハウス グリーンアーチ】へようこそ。
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平和記念資料館→ 慰霊碑→ 原爆の子の像と歩いて、平和の鐘を鳴らしました。
対岸には原爆ドームが近づいてきます。
広島の地形は、中国山地の山々が連なり、山沿いのひとつの支点から5,6本の大きな川がハの字のように放射状に広がっている特徴的な景観です。
四国側から見ると、背景には山々、支流から分岐して幾つもの川が穏やかな瀬戸内海に注ぐ潤いある水の都。
街は活気がありながら、山、川、海といった自然が身近に感じられる風光明媚な土地という印象でした。
原爆投下の目標地点は、いくつかの地方都市が候補に挙がっていたそうです。
広島平和記念公園は、二股に分かれる本川と元安川に挟まれた中洲にあります。
その二手に分かれる地点には、相生橋がかかり中州と両側の土地を結ぶT字型をしています。
原爆投下の目標地点になったのは、空からも目印として分かりやすいそのT字地点といわれています。
相生橋を渡り、原爆ドームへ。
昭和20(1945)年 8月6日 午前8時15分。
広島に投下された原子爆弾は原爆ドームの南東約160m、上空600mで炸裂し、閃光と共に熱線と放射線、爆風が、一瞬にして多くの人々と街を破壊したのです。
爆風は垂直に吹いたため、壁の一部がそのまま残されたそうです。
このドームは、広島の物産品を展示、販売する建物でしたが、原爆の悲惨さを後世に伝え、核兵器の廃絶と恒久平和を発信するシンボルとして、1996年世界遺産に登録されました。
資料館で、なぜ、原爆を投下することになったのかの詳しい経緯の説明文を読み、一部の偏った方針で決行されたこと、それに巻き込まれた市民のことを思うと、理不尽さに居た堪れなくなりました。
理由はひとつではなく、いくつかの複合的なものです。
どちらの国が良い、悪いではなく、その時の社会情勢、国同士の勢力争いなど、色々な要素が絡み合ってこのような惨事になったのです。
でも、いかなる理由があろうとも、このような最終手段を選ぶ正当な理由にはなりません。
1942年、のちに「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘の原爆製造計画が始まりました。
ウランの濃縮、プラトニウムの生産には大規模な工場が必要で、原爆の開発は軍だけでなく科学者や産業界などの協力も必要でした。
巨大な軍事開発事業で3年と20億ドルをかけて完成したそうです。
その軍事威力を見せつけるということも要素のひとつ。
あぁ、なんと愚かなことでしょうか。
焼け野原と化した広島ですが、当時からは想像できないくらいの復興を遂げました。
原爆で亡くなった方、幸いにして生き残っても職を失い、被爆者として差別を受けたり、その後放射能による病などに罹患したり・・・様々な苦しみに耐えてきたことを知りました。
恐ろしいことを知るというのは勇気が要りますが、戦争や原爆のことを正しく知るというのは、平和な世界になるために必要なことです。
外枠だけ残った姿で、原爆ドームは静かに訴えています。
周りから見つめている全ての人に。
世界の人に。
「平和への誓い」 - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)
原爆や戦争で命を落とした皆様のご冥福と、世界平和を心よりお祈りいたします。
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森のコテージ グリーンアーチ
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