この空のように、青いユニホームのシニア男性がガイドをして下さることになり、向かった先はこちら・・・。
先ず高知城を築城した土佐藩初代藩主 山内一豊像に敬意を表しご挨拶。
そして、正面の追手門から。
私がこのように植物を撮っていたり、高知に来た目的が牧野植物園というと、植物に関した情報も教えて下さいました。
お客様の好み、興味に合わせて、知識の引き出しからお話して頂けるのですね。
アウトプットの機会があるから、多方面のことに関心を寄せインプットする。
お客様の笑顔がガイドさんの喜びなのでしょう。
リタイア後の豊かな人生の見本ですね。
ガイドさんおすすめの撮影スポットで何回か写真を撮ってくださり、本当にご親切にして頂きました。
「チーズではなく、コーチ(高知)ですよ」と。(๑˃̵ᴗ˂̵)
追手門の前にある松の枝ぶりも素晴らしくて。
美しい門は、立派なヒノキや松を使って作られているそうです。
南海の名城、または鷹城とも呼ばれている高知城は、日本で唯一、本丸の建築群がすべて現存している。
江戸時代の姿を今に伝える城郭です。
自由民権運動の父 板垣退助像。
「板垣死すとも自由は死せず」の名言は、明治時代の一大流行語となりました。
石段は、敵が上りにくいように幅などに変化をつけて工夫されています。
お城へ通じる階段の横にある栴檀の木。
長い間、ここを通る人々を見つめてきたのでしょう。
紫の花が咲くそうです。
山内一豊の妻。
戦国時代は、良い馬を手に入れることが、戦に勝つという時代でした。
山内一豊の妻は、尾張の国に名馬が出たというのを聞きつけ、黄金10枚出してその馬を入手した。
それが戦場で勝つきっかけになり出世したといいます。
まさに、内助の功。
戦国時代は側室を持つのが普通でしたが、一豊は唯一側室を持たなかったこともガイドさんに教えて頂きました。
こちらは柏。
戦場で旗指物がなくなった時に、柏の枝を指して戦ったそうです。
葉は散って先端の3枚が残っていたのでそこから家紋にした。
三葉柏の家紋。
三菱のマークもこの家紋からデザインされているとか。
柏は、翌年に新芽が出るまで落ちないことから子孫繁栄の象徴とされる。
ガイドさんの分かりやすい説明で、お城の見方など開眼し《城女》になっていく。
土佐の国学者 万葉集の編纂で有名な鹿持 雅澄の《愛妻之碑》
あきかぜの福井の里にいもをおきて
安芸の大山超えかてぬかも
(いも→ 女性、妻のこと)
石垣は、美しい扇の勾配。
雨の多い地方なので、城内には多くの水路があり石垣から飛び出している石樋から排水した。
16箇所あり、本丸の石樋は現在も使われてている。
一つ一つ説明に頷き、先人の知恵にただ感心するのでした。